君の声が、届くまで

小説王に俺はなる!!

第1話 雪の約束

雪が、降っていた。

 卒業式の日に雪が降るなんて、あまりにもドラマチックすぎる。

 だけど、その日ばかりは神様が本気を出したのだと思う。

 だって私は、その雪の中で、大切な人と別れたのだから。

 「葵、手、冷たくない?」

 そう言って、悠真が私の手を取った。

 指先から伝わる温度が、胸の奥まで染み込んでいく。

 その温かさを、私はずっと覚えている。たぶん、これからも。

 「大丈夫。……でも、ほんとに行くんだね」

 「うん。東京じゃないとダメなんだ。夢を追うなら」

 「声優、だっけ?」

 「そう。俺の声で、誰かを救えたらいいなって思う」

 悠真は照れくさそうに笑った。

 その笑顔を見ながら、胸が締めつけられた。

 春の空気の中、舞い落ちる雪。

 教室ではみんなで写真を撮ったり、泣いたり、笑ったりしていたけれど、私はずっと窓の外を見ていた。

 あの雪が止むころ、悠真はいなくなる。

 「私も、東京に行くよ」

 思い切って言ったその言葉に、彼は驚いた顔をした。

 「え? 本気で?」

 「うん。私も……声を届けたいから」

 「葵も?」

 「声優になる。悠真と同じ夢、追ってみたい」

 少し間を置いて、悠真が笑った。

 その笑顔が、今でも焼き付いて離れない。

 「……じゃあ、約束だ」

 悠真は、そっと私の指を握った。

 「また東京で会おう。もしどこかで再会できたら——そのときは」

 「そのときは?」

 彼は、言葉を詰まらせた。

 でも、まっすぐな目で私を見つめながら言った。

 「今度こそ、君を幸せにする」

 風が吹いた。

 雪が二人の間を舞い、光の粒みたいにきらめいた。

 その瞬間、私は「永遠」という言葉を信じてしまった。

 けれど、その永遠は、長くは続かなかった——。

***

 三年後。

 東京の朝は、やっぱり慌ただしい。

 人も多くて、空気も乾いてて、でも私はこの街が嫌いじゃない。

 なぜなら、悠真がいるから。

 「——よし、今日も頑張ろう」

 鏡の前で気合いを入れて、マフラーを巻く。

 ボイススクールのレッスンは厳しいけど、ようやく“オーディション”に挑戦できるレベルになった。

 小さなアニメスタジオで、アフレコのテストを受けるのだ。

 胸が高鳴る。

 緊張と期待が混ざり合って、息が苦しい。

 でも、それが心地いい。

***

 スタジオの中は、思ったよりも狭かった。

 防音ガラスの向こうには、スタッフが数人。

 マイクの前には先に来ていた受験者たちが、台本を握って練習している。

 「次、天野悠真さん、お願いします」

 その名前を聞いた瞬間、心臓が止まった。

 ——え?

 いま、なんて?

 マイクの前に立つ男。

 黒髪、低めの声、背筋の伸びた立ち姿。

 少し俯きながら原稿を持つその仕草。

 ……間違いない。悠真。

 信じられなかった。

 三年ぶりに見る彼の背中が、そこにあった。

 でも、何かが違った。

 あの日の笑顔が、どこにもなかった。

 「——おはようございます。天野悠真です。よろしくお願いします」

 その声を聞いた瞬間、涙が出そうになった。

 懐かしくて、痛くて、でも温かい。

 あの冬の日の約束が、耳の奥でよみがえる。

 けれど、彼は私を見ても、まったく気づかない。

 視線が合っても、ただ軽く会釈をしただけだった。

 まるで、初対面みたいに。

 オーディションが終わるまで、私は震えていた。

 マイクの前に立つ彼の声が、雪の記憶を掘り起こす。

 でも、その声の中に「葵」という名前はなかった。

***

 テストが終わり、私は外に出た。

 冷たい風が頬を打つ。

 ビルの隙間から見える冬の空。

 東京でも、たまに雪が降るらしい。

 「……嘘、だよね」

 手の中に残るのは、震えるスマホと、再生された音声ファイル。

 それは、悠真が数年前に送ってくれたボイスメッセージ。

 『葵、元気でな。俺、絶対夢を叶えるから。』

 笑っていた。

 でも、その笑い声が、今の彼にはなかった。

 私は、空を見上げた。

 白いものが一つ、また一つと落ちてくる。

 雪。

 まるであの日みたいに。

 「悠真……どうして、私を忘れたの?」

 返事はない。

 ただ、風の音だけが残る。

 けれど、どこかで確信していた。

 ——彼の声は、まだ、私の中に生きている。

 その声が、もう一度私に届く日まで。

 私はこの街で、声を出し続けようと思った。

 そうして、雪の中で小さく息を吐いた。

 始まりと終わりが、同じ雪の日だった。

 でもこれは、終わりじゃない。

 ここからまた、二人の“約束”が始まる。

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