紀子、激怒
ひょっとして我が舞坂高校には阿呆しかいないのではないかと思い始めた。高校生という生き物は元々そうなのかもしれないけれども。
しかし私はそれに呆れつつも、いっぽうでは愉快な気持ちにもなっていた。合う合わないはあるかもしれないけれど(まさに地味同盟と瀬島さんたちがそうであるように)、陰険なことにはならない。イジメが発生しているという話も聞かない。いたって平和そのもの。阿呆というのはその意味でいいことだ。
「で、その下心ってのはなんだってぇの?」
紀子はまだやや警戒気味に桐生くんを見ていた。傍目にはそうは見えないかもしれないがそうである。それなりに観察し続けた結果、彼女の心の中もある程度想像できるようになっている。仕草とか口調とか、もっと細かいところから感じるもの。ことに紀子は感情豊かで、それを発散する危険性もまるで感じていないようだから非常に分かり易い。危ういのではあるんだけど、今のところ危機には陥っていないし、それは彼女の個性だし、なによりいやらしくそう見ている自分を悟られてはいけないから明確に彼女に忠告はしていない。
「ふへへ、分かるだろ?」
で、その分かり易いがめんどくさい紀子と相対している男子。桐生洋二くん。軽い感じはあるけれども、それは決してマイナスになっていない、と私は評価する。評価するひとによってはまた違うだろうけど――実際、ややイラついているようにも思える紀子の目線では、彼は軽薄なチャラ男に見えているのかもしれない。佳奈はどんどん深いところに入っていって、なんの反応も示さない。すこし危ないな、と思いつつも佳奈に関しては脇で見ているに留め、今は険悪でもないが親愛でもない、紀子と桐生くんのほうに注視する。
「全然分からんよ。女の園に不躾に踏み込んできて、あんたはなにを求めてるのさ。ハーレムとか? そうだよねぇハーレムは全人類男性の共通する夢だもんねぇ」
「それは男に対する偏見だ。俺はひとりだけ愛せるひとがいればいい。複数囲える甲斐性もないしな」
「どこまで本音なのかねぇ……まぁ甲斐性なしなのはなんとなく分かるけど」
「結構ひでぇなお前」
しかし桐生くんはあんまり気にしていないようだった。効いてもいない。まぁ男子がみんなハーレムを望んでいるというのは、確かに偏見なんだろう。でもたくさん言い寄られたらそれはそれで嬉しいのも確かなはずだ。もっともそこは女も同じであり、恋愛という局面においては男女ともに分かれることはなく、なんとなれば無法地帯とすら言える。幸いにも今のところ私はそこに踏み込んでいない。
私がそうして幼い恋愛観を開示した理由は、このあとの展開に関連する。
「とにかく、俺は恋してんだよ」
「あんたは年中発情してんじゃん」
紀子と桐生くんは1年生も同じクラスだった。
「見境なく女子に声かけやがって。しかもそのことごとくが実らず、全敗! おお、かわいそうな桐生くん。よよよ」
「ほっとけ」
「その割に私には声かけなかったよね」
「お前が俺の視界に入っているわけないだろ」
意外とこのふたりは仲がいいのではないか、と私は観察しながら思っていた。まあ、陽キャ同士だからそうなっているだけかもしれないけど、桐生くんはともかく、紀子は単純に陽キャと評していいものかどうか疑問が残るからこれが明快な答えでもない。
つまりよく分からない。そして強いて分かる必要もない。
「で、今は誰に恋してるって訳? 私じゃないとしたらカナちん、それともキョーカ」
「地味同盟とか言うのには興味ねぇよ」
ふんすと傲然に胸を張る桐生くん。水泳部だけあってその胸板は中々逞しい。制服越しでも分かる細マッチョぶりであり、多分モテていると思う。にもかかわらず、彼は意中の人には振り向いてもらえない。そこに喜劇的悲劇がある。
「じゃあ誰を狙ってんのさ」
「ふへへ。分かるだろう?」
「分かんないから訊いてんのさ」
私はそのやり取りでなんとなく察したが、きっとそれが明らかになると紀子は激昂すること間違いなしなので、早めに心の掩蔽壕に避難することにした。ここから先起こることに、私は一切の責任を背負いたくはなかった。
そして案の定桐生くんは言った。
「俺が狙ってるのはな、由美ちゃんだよ」
やっぱりな、と私は思い、予定通りに呆れて、頬杖を付いた。佳奈がさらに陰鬱になっているのが気になるが、今はまだ気にしていられない。紀子のほうが今のところは問題だった。彼女は分かっていないようだった。そしてそれが明かされた時、むっとした顔を見せた。だがこれはまだ序の口だった。
「はぁ?」
紀子はむっとしてから、今度は馬鹿にするような顔をしてみせた。桐生くんは全然気にした風ではない。はたしてここからどうなるのか、私は興味津々に――とまでは行かなかったけれど、人間観察の一環として見ていた。ということは、私は桐生くんを中々面白い人物として見ていたとなる。まあそれは間違いない。そもそも、どこにも見るべきもののない、つまらない人間というのは滅多にいないものである。誰にもどこかしら見るべきものはある。それが私の人間という存在に対する信心だった。
「それで絡んできたの? いいとこ見せたくて?」
紀子がまだ心と頭の整理が出来ていないようなので、私が代わりに訊いた。
「それよりももっとだ」
「なにが目的なのか……私たちになにか出来ることがあるって言うの?」
私は涼やかに見えるように目を流した。その見た目ほどには内心に余裕があった訳ではない。どこか遠い異世界で行われているような、つまり、恋愛、というものが目の前にあることにややたじろいでいたのだった。きっとだけれども、私だけではなく紀子や佳奈もそう感じていたに違いない。地味同盟であるがゆえに。
「情けない話だが、浦部さんのツッコミ通り俺は恋愛全敗男だ。だがそこで思ったんだ。俺はあまりにも真っ直ぐ過ぎたんじゃないかと。もっと巧みな手管を駆使して向かうべきだと、そう結論付けた」
「まぁだ、話が見えないねぇ」
「意外と浦部さんもカンが悪いんだな」
カンが悪いというより恋愛慣れしていない、というべきなのかもしれない。どこか第三者目線で見ている私は桐生くんがなにを求めているのか、そしてその馬鹿馬鹿しさにも気付いていたが、紀子は近視眼的になっていた。
「お前等にまた由美ちゃんが絡んでくるだろ? 今のところ彼女と一番接点があるのは、お前等だ。だから機会があればそれとなく、俺の気持ちを彼女に伝えて欲しいんだよ」
「ッ……てめぇ!」
申し訳ないが私は、桐生くんはすこし頭が足りていないのではないかと思った。彼の策が愚かなのは主に3つ。ひとつには私たちにはまるで手伝ってやる義理がないということ。ふたつには、よしんば私たちが伝えたとしても、瀬島さんはまともに受け取らないであろうこと。そしてみっつには、これがなによりも重要だが――
それは紀子が言ってくれることだろう。だが彼女は怒りに震えていて、あまりにも憤怒しすぎて、すぐには口にできないようだった。私はそれを楽しみと不安を交えて、それを甘く飲んで構えていた。頬杖は付いたままだ。なんで高校生ってこんなに阿呆なのかな。それは私自身もだけれど。そんなことを考えていた。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、っていうだろ? そういう搦め手が必要だって思ったんだ」
「馬鹿ね、あなたは」
「おいおい、冷たいな佐倉さん」
「だってそうでしょ。その格言はこの場合においては明らかに誤用よ。私たちは瀬島さんの馬じゃない。そう言う意味なら氷上さんから攻めるべきじゃない」
「そんな細かいことは言いっこなしだぜ」
「私は文芸部だからそういうところにはうるさいのよ」
そうやって時間を稼いで紀子の爆発までを長引かせ、あわよくば冷めることを期待していたのだけれど、そううまくは行かなかった。休火山が活火山に変貌しようとしている。
で、やっぱり爆発してしまった。
「こンのぉ、どあほうがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
私が観測した限りでは、紀子最大の声量で叫んでいた。絶叫、咆哮と表現してもいい。そして目はなんだか血走っている。今にも桐生くんに喰ってかかろうかという勢いだ。オペラ歌手もかくや、という勢いで絶叫したので、そのせいで教室全体の時間が止まったかのように麻痺、目線はすべてこちらに集まっていた。
これで地味同盟だというのだから阿呆らしいことこの上ない。しかし私は、ここまであからさまに激昂するまでには行かないが、気持ちの面では同じだった。桐生くん。この男は許されるべきではない。佳奈は……どう思っていたのだろうか?
「な、なんだよ。そんなに怒ることか?」
「怒るに決まってんだろこのアホンダラが! あんたねぇ、あんたは、乙女心ってのをまるで分かっちゃいない!」
そういうことだ。
「そりゃねえ、私らはあんたになんの感情も持ってないさ! でもねぇ、そうやっていいように男に使われるのがどんだけ屈辱なのか、そこんところ分かってんのかコラ!」
「はっはっは。地味同盟のおたくらが乙女?」
「このぉッ、マジで殺すぞボケがァッ!」
「さすがにちょい待ち」
本当に喰ってかかろう、というか拳を握り締め、かなり本気でぶん殴りに行こうとしていた紀子を私は身を乗り出して抑えた。
「はなせッ、放せキョーカ! これは誇り高き乙女の戦いなのだッ!」
「でも学校で殴り合いになるのはいけないよ。それに男子と殴り合いの喧嘩をして勝てる訳ないじゃない」
「おいおい。俺は女を殴るような拳は持ってないぜ」
「じゃあ素直にぶん殴られろ! このやろ! コノヤロ!」
紀子は必死だった。私も必死だった。どうにかして落ち着くまでこうやって拘束しているしかない。怒りはごもっとも。気持ちは私も一緒だ。だけれどそれと同時に私は喧嘩が嫌いなのだった。どうやって穏便に過ごせまいか……時間を掛けるしかない。
「なぁ頼むよ。そんなに怒らなくてもいいだろ。上手く行きゃ、なんなら俺の知ってるいい男を紹介してやってもいいからさ」
「なおさら御免だ!」
「どうどうノリ、どうどう」
そうやって押し合いへし合いしている内に、もっと深刻な変化が起こる。これまで俯いたまま暗黒少女っぷりを発揮していた佳奈がすっくと立ち上がり、
「……馬鹿みたい」
と言ってそのままどこかに立ち去って行ったのだった。その声色は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。もともと感情を読みにくい彼女ではあるけれども、この時はいっそう複雑だった。
しかし見た限りでは――その瞳には涙が溜まっていたようだった。
よく分からない。ここは怒る局面でありこそすれ、悲しむ局面では決してないはずだ。喧嘩がイヤなのかもしれなかったが、そんな感じでもなかった。ともあれ、彼女の精神面に危機が訪れているのは間違いない。
となればこれ以上紀子に構っていられない。昼休憩の時間ももうそろそろ終わる頃だった。そんな状況で佳奈を放っておける訳がない。
紀子はまだまだ怒り心頭といった感じで状況に気付いていない。とすればここは私が解決するしかない。
「じゃ、私はやることがあるから仲良く喧嘩しててね」
そうして私は佳奈を追い掛け始めた。
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