第21話 鮫島には、

 1年前のことだ。


 目が覚めると病室で、「よかった、よかった」と泣き崩れる母がいたのをよく覚えている。

 どうして覚えているかというと、「あなたは私の子どもなの」と悲痛に顔を歪めるその人物に全く心当たりがなかったからだ。


 担当医が言うには、岡元椎太なる人物は、事故に巻き込まれて記憶が混濁していたらしい。




「――本当に?」


 ネットを調べても出てこない。

 図書館に行って新聞のアーカイブを見ても出てこない。

 母も妹も、事故の詳細は「知らない」「わからない」という。


「どこを調べても、そんな事故の記録なんて残っていない」


 本当はそんな事件、存在しなかったのではないだろうか。


「否」


 事件は存在した。

 だから岡元椎太なる人物は病院で目覚めたのだ。


「事故はなかったんじゃない。なかったことにされたんだ。この事実は、蔵屋敷のツイートに寄せられたリプライに、削除されたツイートが多かったことからも明らかだ」


 知らない人は伝えられない。

 記憶に残っている人物が記録に残そうとすると無かったことにされる。


「さしあたり、この事件を、俺はこう名付けようと思う」


 あったはずの事件を、無かったことにする怪談。


「――鮫島事件」


  ◇  ◇  ◇


 と、いう話をしたら非難されまくったわけだ。


「あなた、頭おかしいんじゃありませんの!?」


 †漆黒の堕天使† ちゃんが、ひどく昂奮した様子でまくし立てる。


「俺はいたって正常だよ」


 現存する被害者は俺一人だけ。

 その俺自身も、俺の家族も、どういうわけか事故の詳細を「知らない」。


「事故があったと母も妹も、医者も認識しているのに、誰もその詳細を知らない。覚えていない。だから怪談にならず、都市伝説になった。だからこの奇妙な事件からは怪異が生まれなかった」


 あったはずの事件なのに、誰も当事者がいない。


「本当にそうか? そんな都合のいい話があるか?」


 否。

 偶然で済ませるより、もっと論理的に説明する逆説が存在する。


「怪異は、人の想像力が生み出す。そう言ったよな」


 †漆黒の堕天使† ちゃんが歯噛みする。


 怪異は、モチーフとなった怪談にまつわる力を得る。

 であるなら、この事件から生まれた怪異はどのような力を持っていただろうか。


「怪異は生まれていた。だが、自らの力で消滅した。違うか?」

「自らの力でって、どげんこつね?」

「怪異の持つ異能力が、『あったことを無かったことにする』力だったんだよ。その力で、人々の記憶と記録から自らを消した」


 その結果、この話題を出すことはいつしか禁忌となり、誰も思い返さなくなった。

 人々が想像力を使わなくなったことで、実体を保てなくなった。

 これが俺の考える、真相だ。


 †漆黒の堕天使† ちゃんが口をとがらせた。


「……一つ、致命的な見落としがありますわ」

「え?」

「その説明だと、怪異の持つ力と、それにまつわる逸話の生まれた順番が逆転してしまいますわ」

「……確かに」


 つまりこういうことだ。

 本来、『あったことをなかったことにする』怪談が先にあり、そこから怪異が生まれなければおかしい。

 だが、俺の説明だと、怪異が生まれた結果、怪談が消滅したことになってしまう。


 それは燃焼した薪が樹木に戻るよりも奇妙な話だ。


「……もともと、あの怪異にそんな逸話はなかったんですわ」

「っ、知ってるのか †漆黒の堕天使† ちゃん!」

「だからその名前で呼ぶなですわーっ!」


 拳を握った両手を上に挙げて「もーもー」と喚く †漆黒の堕天使† ちゃん。


「言っておきますけど、詳細は話しませんわよ。私だって消されたくないですもの。ただ、ヒントくらいは教えて差し上げますわ」


 口の前に人差し指を立てた †漆黒の堕天使† ちゃんが、真剣な面持ちで囁く。


「誰にも秘密でしてよ? この事件に、『あったことをなかったことにする』という逸話を、後付けした存在がいますの」

「†漆黒の堕天使† ちゃんに中二病患者のレッテルを貼ったやつみたいに?」

「だから……っ!」


 わー、 †漆黒の堕天使† ちゃんが怒ったー。


「言い方は癪ですが、そういうことですわ。後は、自分たちで考えてくださいまし」

「えー、そげなこつ言われても、推理材料が足らんとよ。ね、岡元くん」


 ……いや。


「ある。ここまでに得られた情報から、すべてを紐解く、たった一つの解が」


 疑問に思っていたんだ。

 燈火ちゃんの祖母に初めて会った時、既に俺の名前が知られていたことを。


 不審に思っていたんだ。

 第一声、「孫ともどもご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝罪から入った老巫女の、まるで自身も俺に罪悪感を抱いているような言い分を。


「その怪異って、ひょっとして封神巫女でも対処できないくらい狂暴だったんじゃないのか?」

「私としては、それをわかった上で『命名』したあなたが信じられませんわ」

「必要があったんだよ。この怪談に尾ひれを付けるために」

「尾ひれって……あなたまさか!」


 蒼白していく †漆黒の堕天使† ちゃんの顔色。


「えっ、え? どげんこつ?」


 燈火ちゃんはまだ理解できていないらしい。

 

「怪異『鮫島事件』、これを葬ったのは燈火ちゃん、君のおばあちゃんが仕込んだ毒だ」

「え?」


 封神巫女にさえ対処できない、災害。

 それを封じるために、巫女たちは一つの策を巡らせた。


「事件をもみ消したんだよ」


 怪異は怪談から生まれる。

 対偶から、無い怪談から怪異は生まれないことがわかる。


「もみ消すって……そげなこつ」

「可能だったはずだよ。それこそ、公安あたりに協力を取り次げばね」


 全部を消す必要はないのだ。

 ただ、まことしやかに、「事件に関する情報を消して回る存在がいる」と、噂を広める根拠があればいい。


「少しの情報統制じゃ無理かもしれない。けど、インターネット上から、この事件に関する記録が消え続ければ、次第にこんなうわさが広まる。『事件をもみ消そうとする動きがある』とね」


 怪異は人の想像力から生まれた怪物だ。


「噂を信じる人が増えれば、怪異はその力を獲得する。そして、自らの力をもって滅び行く」


 人々の記憶と記録から自らの存在を消して回り、最後には消滅する。

 これが、巫女が盛った毒。


 ――俺が、今生の記憶を思い出せない、原因。


「え、その怪物ば蘇らせる話ばしょっと?」

「うん」

「ななな、なしてそげなこつ……!」


 まあまあ、落ち着いて。

 これには深いわけがあるんだ。


「まず、目的の再確認だけど、俺たちはカガセオたちの居場所を探している」

「う、うん」

「だけど、それをするには怪談の総数が多すぎる。だったら、怪談そのものを消して回ればいい」


 やつらが、怪談の多い恒凪を隠れ蓑にしているというのなら、俺は恒凪の怪談という森を焼き払うまでだ。


「そこに、ちょうどいい都市伝説があった。俺は閃いた。この都市伝説に、『怪談を無差別に消して回る怪物』という尾ひれを付けて流布させようと」

「で、でも、それってもはや全く別の物語なんじゃ……」

「だからこその、『命名』だよ」


 怪談は尾ひれを付けて広まっていく。

 人から人へ伝播する過程で、少しずつ形を変えていく。


 たとえば、『くねくね』。

 正体に気付くと精神に異常をきたしてしまうこの怪異は、田んぼに出るという噂もあれば、海の上に現れるという噂もある。

 正体に気付かなくても、原因不明の肺炎になるともいう。

 供養しなかった案山子の成れの果てという話もあれば、『口縄くちなー様』の祟りという噂もある。


 だが、そのすべてが『くねくね』だ。

 枝分かれした物語を十把一絡げにまとめてしまうもの、それこそが、名前なのだ。


「もともとこの怪談に、『無差別に怪談を消しまわる』なんて逸話は無かった。だけど、含有して『鮫島事件』と名付けたことで、この怪異にはその特性が付与された」

「そ、そげなこつ、本当に可能と?」

「命名で怪異に別の性質を付与できるのは、 †漆黒の堕天使† ちゃんで検証済みだ」


 ばん、と机をたたいて †漆黒の堕天使† ちゃんが憤慨する。


「冗談じゃありませんわ! それ、思いっきり私も巻き添えくらうじゃありませんのーっ!」

「大丈夫。怪異をたくさんかってるカガセオの方が先に被害を受ける。確率的には」

「運が悪かったら私から消しに来るってことですわよね!? 待って、待って! 消えたくありませんわ。早く、早く私に本来の力を――」

「おーっ。カガセオの特定急げよ? 消される前に」

「鬼ーっ! 悪魔ーっ! 修羅餓鬼畜生ーっ!」


 だから言ったのに。

 聞かない方がいいって。


「うわぁぁぁっ! やってもうた! やってしもうたと! こんな話聞かん方がよかったと!」


 なんで燈火ちゃんまで頭抱えてるの?


「だって、だって! それってつまり、おばあちゃんが敵わんかった怪異といずれ戦う必要があるいうこつやろ!?」

「そうだね」


 大丈夫。俺は知ってる。

 燈火ちゃんなら相手がどんな怪異だろうと封じれるって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る