嗅覚と追憶

雨の日のコインランドリーの匂いが好き。特に、店内のお客さんの誰かが乾燥機を使っているとおぼしきとき。

排気口の下を歩くと、温かい柔軟剤と、たった今焼き上がったばかりのパンのような風味が鼻腔びくうをかすめる。


天気の良い日は、天日干しの布団の下をくぐり抜けるよう。

天気の悪いときは、そっと濡れた体を抱きしめてもらうよう。


特に、天気の悪い日は母との遠い記憶がよみがえってくる。

四十度を超える高熱、台風の日。


三歳くらいだったような気がする。

喘息ぜんそくのせいで横になると気管が苦しくて。寝付くこともできず、たた呼吸をひたすらに。

意識が遠い、母の声が遠い。水すらも喉が許容してくれない。


その時にずっと抱いてくれていた母。母の膝の上で、腕の中で

意識を朦朧もうろうとさせていた。太陽のような母の体臭、雨の音。

その情景を脳裏に焼くたび、心臓を食い破られる。


私が、母を殺した。最後まで苦しめた。


母の好物、リンゴ飴。

最期の日、最期と知らなかった日、母の病名すら知らなかった日。

母の食事制限が無くなった、と聞いて学校帰りに走って買いに行った、リンゴ飴。

母に食べさせた、リンゴ飴。

それが母を殺した。


膵臓癌すいぞうがんなんかよりも、私が母を殺した。

ずっとそう願ってる。そう、信じたい。


母は私をきっと恨んでいる。私のことを忘れてない。そう信じたいだけ。


最期の日 母の目線 「あなた誰?」


私が殺したんだと、信じたい。

私はあなたの世界最悪の娘のままで。

そのままで居られたならば、私はきっと幸せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る