第3話-優しい対戦-

この日、私は古いレコード店にいた。

ネズミと踊った「ワルツ」の曲を、思い出しながらレコードを探していた。


 先日、上司から「飯田さん、今日のプレゼン良かったよ」と言われた。

毎日が憂鬱で疲れていた私は、少し会社が楽しくなってきていた。

これも、フラミンゴやネズミたちに会えたからだ。


 ワルツのレコードを探しながら、あまりにもの多さに驚いた。

こんなに沢山あるんだ、戸惑いながらも、手前のレコードに手を伸ばしたとき、私は視線を感じた。

視線の方に目をやると、また黒猫だった。


 今度はレコードジャケットに描かれている黒猫だった。

その黒猫は、ジャズのレコードジャケットに描かれていた。


 黒猫、最近よく見る気がする…なんだろう?

気になって、手に取ってみた。

でも、今日はワルツのレコードを買いにきた。でも…黒猫が描かれているレコードも気になった。

ワルツ、黒猫、ワルツ、黒猫…。

両手に持った二枚のレコードを交互に見た。


 帰りの電車の中、私はどっちのレコードも買っていなかった。


 子供の頃からそうだった。

家族で外食に行っても、迷ってばかりで、なかなか決められずにいた。

会社での仕事終わりに「今日、ご飯行こう」と、誘われても、読みかけの本も読みたいし…、でも、せっかく誘ってくれたのに…。

返事に迷っていると「じゃあ、また今度ね」と、空気を読んでくれているようだった。


私って、どうしてこんなに優柔不断なの…そんなことを考えながら帰った。


 アパートの前に着いたとき、また黒猫が横切った。

もしかして、私が帰ってくるのを待っている?そんなことないよね、でもよく見かける。偶然?偶然にしては多すぎる気がするけど…。

そんなことを考えながら黒猫を見送った。


 部屋に入り電気をつけた途端、私は一瞬身体が固まった。

部屋で私を待っていたのは、一頭のシマウマだった。

「うっ…そ…う…」

フラミンゴにネズミ、免疫がついていたつもりだが、一頭のシマウマを目の当たりに、驚かない方がおかしい。

それに、そのシマウマはテーブルの前で、器用に正座をしていた。

ますます驚いた。


 シマウマは軽く会釈をしてきた。

私も会釈をして、シマウマを見た。

シマウマは、背筋が伸びて、両手…?前足…?を膝の上に乗せていて、とても姿勢がよかった。


 そして、テーブルの上にはオセロ盤があった。シマウマは、私に前に座るように、おいでおいでをした。

「オセロするの…?」

私が聞くとシマウマは頷いた。

頭の中が???だらけだった。

シマウマの体は大きくて、少し怖くもあった。

私は恐る恐るシマウマの前に座った。

シマウマは静かにお辞儀をして対戦が始まった。


 私は、始まる早々「えっ、ちょっと待って…」と考え込んだ。

えっ?始まったばかりですよ、何を考えるのですか?

と、でも言いたそうな顔で私の顔を覗き込んできた。


 対戦が進むにつれてシマウマは、私が考え始めると、時計を見るようになった。

私は思わず言った。

「待ってよ、時計なんか見られたら焦るよ…」

でもシマウマは、私が考え始めると時計を見た。

「これを動かすと…あっ、やっぱり…でも…」私は一人ぶつぶつ言いながら、それでも進まなかった。

どんなに時間をかけても勝てない。

「こんな所にも優柔不断が出るんだ…私って…」落ち込んだ。


 すると、「一度深呼吸をしてみてください」

私の心に直接聞こえた。耳じゃない、心に聞こえた。

強くて優しい声だった。

「今の声は貴方なの?」私が聞くと、シマウマは静かに微笑んだ。

シマウマから伝わる優しい空気が、私の背中を押してくれた。


 私はシマウマに言われた通り、大きく深呼吸をした。不思議と、次は勝てる。そんな気がした。

よし、ここからは運と感だ!

そう決めて進めた。

気がつくと四隅を取っていた、負けていたのに最後の一手で大逆転!

「勝ったーっ!」

偶然?たまたま?でも勝った。嬉しくて、両手をあげて喜んだ。

シマウマは優しい顔で微笑んでくれた。


 最初は少し怖く感じたシマウマだったが、物静かで優しいシマウマに癒されていた。


 シマウマは、対戦前には手を膝に乗せて、静かに頭を下げた。

私はシマウマに聞いた「礼儀正しいのね、足、痛くないの?」

シマウマは静かに微笑むだけだった。


 その後もゲームを繰り返した。

数回だが勝てるようになった。

少しずつ、テンポよく進めるようになってきた。それでも、考え込んでしまうこともあった。だが、シマウマは時計を見なくなった。

むしろ見守ってくれているように見えた。

私も、考えこむことがあっても、慌てたり、焦ったりしなくなった。

考え込んでいる時間さえ楽しく感じていた。


 すると、また聞こえてきた。

「優柔不断は悪いことばかりじゃないですよ、優しくて思慮深い、ということです。

人の目を気にしなくていいんです。

どう思われている、なんて考えないでいいんです。自分の意見をハッキリ言えばいいんですよ。」と、私の心に聞こえてきた。

私は嬉しくなって「あっ、また聞こえた。やっぱり貴方の声ね、貴方でしょ、ありがとう。」

そう言うと、シマウマは微笑んで、スーっと消えた。


 シマウマがいなくなった後、私はシマウマが残した目に見えない温もりを、そっと両手で包み込んだ。

フラミンゴたちが去った後も、ペアのネズミたちが去った後も、いつも突然やってくる別れを、ただの寂しさではなく、心の中の大切な記憶としてしまっている。


 私は、シマウマが残していった、オセロ盤にそっと手を伸ばした。

そして、よく見るとそれは、見覚えのあるオセロ盤だった。

「あっ、このオセロ盤…」

そのオセロ盤は、私が子供の頃遊んだものだった。

オセロ盤の裏に私たち三人のきょうだいの名前が書いてあった。

名前の横に黒猫の絵が描いてある。下手な絵だけど黒猫に見える。

こんな絵、あったかなぁ?


それにしても最近よく黒猫を見る気がする。

それにフラミンゴ、ネズミ、シマウマ、何か意味があるのかなぁ?

夢?いや夢じゃない。フラミンゴのときの筋肉痛。ペアのネズミのときの小さなビーズ。

そして、このオセロ盤。

どうしてこのオセロ盤が…?


 私は不思議に思い、実家に電話をした。

電話の向こうで母が、今頃何を言っているの?と言うように、

「もう遊ばない、って従兄弟の圭くんたちにあげたじゃない」

確かに、そうだったよね、と思いながら、

「まだ持っているかなぁ?」

聞くと、母は、

「えっ、返して欲しいの?」

「違うよ、聞いただけ」

母は思い出すように、

「さあねぇーっ、もう十年くらいになるわね…」


 母との電話の後、私はオセロ盤を抱きしめた。

子供の頃の思い出と、シマウマとの優しい時間が重なったオセロ盤が愛おしかった。

私はシマウマが座っていた場所に向かって言った。

「私ね、優柔不断でハッキリしない自分が、とても嫌だった。でも、優柔不断でもいいんだよね。ありがとう。またきてね、オセロ強くなっているからね」



 「それと、このオセロ盤どこにあったの?」

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