黒猫は案内人

藤咲未来(ふじさきみらい)

第1話-フラミンゴと踊る夜-

終電に乗り込むと、私は座席に深く腰をかけた。

いつもならスマホを取り出し、SNSをなんとなく眺めるのだが、今日はそんな気力もなかった。

私、飯田妙子。

OL一年目を過ぎて、なんとかやってきたけれど、時々、今のままで大丈夫かなぁ…と弱気になってしまう。


電車の振動に揺られながら、思い出したくもないことばかりが頭の中を埋め尽くす。

今日も上司から「仕事が遅い…」と注意された。

「はー」思わずため息が出る。

電車の窓ガラスに映る自分の顔が、ひどく疲れて見えた。

「もう限界かも…」

そう呟いた瞬間、私の後ろを何かが横切った。

ピンク色の影…?慌てて振り向いた。

でも、そこには何もなかった。

通路を歩くのは、疲れきった会社員ばかりだった。


まただ、そう思った。

私は、子供の頃からごくたまに、いるはずのないものが見えたりしていた。

大人になってからは、そんなこともすっかり忘れてしまっていた。


疲れがどっと押し寄せてくる。

電車を降り、アパートまでの道を歩く。

コンビニが目に入った。

あっ、晩御飯どうしよう…。

あ…カップラーメンがあったはず、もうそれでいい。

そんなことを考えながら足を進めた。


アパートの前に着いたとき、一匹の黒猫が横切った。

このときは、黒猫に気に留めることもなく、自分の部屋に向かった。

部屋に入ると、ソファに倒れ込んだ。

もう、へとへとだった。


そのとき、視線を感じた。

ゆっくり振り向くと、そこには一羽のフラミンゴが立っていた。

「えっ?」

「なんでフラミンゴ?」

ありえない。

ここはアパートの一室。

動物園でもないし、湿地帯でもない。

なのに、目の前には綺麗なピンク色のフラミンゴが、器用に一本足で立っていた。

いやいや、疲れ過ぎて幻覚でも見ているのかもしれない。

目をこすった。もう一度そっと目線を戻した。

いる!

紛れもなく、そこに、フラミンゴが…。

そして、こっちを見ている。

目が合う。

そらす。

それでもフラミンゴは目をそらさない。

私は、ゆっくりとソファから身体を起こし、座り直した。


 すると、フラミンゴが動いた。

右足、左足、右足、左足、時々クロス。

リズムよく、優雅にステップを踏んでいる。

「踊ってる…?」

突然の出来事に唖然とした。

だが、脳裏に一つの考えがよぎった。

これをSNSにアップしたらバズるのでは⁉︎

慌ててバッグに手を伸ばした。


 その瞬間、「えっ、うっそ…?」

フラミンゴが増えている。

最初は一羽だったのに、三羽に増えている。

そして、三羽のフラミンゴが私を見てくる。

「一緒に踊れ」

フラミンゴの目がそう訴えている。

「いやいやいや…無理でしょ…」

だが、フラミンゴたちは私を待っている。


 仕方なく、恐る恐る足を動かした。

右足、左足、右足、左足、時々クロス。

すると、フラミンゴが首をクイッ、とかしげた。

「違う。こうだ」とでも言うように、ドヤ顔で右足を後ろに高く上げて見せた。

「無理だって!そもそも私とあなたたち、構造が違うんだからね」

思わずツッコむと、フラミンゴたちは口ばしの端を上げて笑った。

声は出さないが、目と口元が明らかに笑っている。

なんか…。


 そう思いながらも気がつけば、私はフラミンゴの後について踊り続けていた。

右足、左足、右足、左足、時々クロス。

ふと、嫌な予感がして振り向いた。


 「…えーっ?また増えてるじゃん⁉︎」

もはや何羽いるのかもわからない。

部屋中がピンク色のフラミンゴでいっぱいだった。

だが…何羽いるかわからないフラミンゴたちの、その動きは一糸乱れぬ動きで見事だった。

「すごい!」

フラミンゴって、こんなに上手に踊るんだ。


私は、驚きながらも、またフラミンゴと一緒に踊っていた。

そのうち、私の頭の中を埋め尽くしていた嫌なことが、すっかり消えていた。

フラミンゴと踊る時間が楽しいとさえ思えた。

次の瞬間。


 フラミンゴたちは両足でしっかり立ち、一斉に激しくヘッドバンギングを始めた。

「えぇぇぇぇ??」

バサッ、バサッ、バサッ!!!

ピンクの羽が揺れ、首がしなる。

「ちょっと、待ってよ、夜中だよ、近所迷惑だよ!」

だが、フラミンゴたちは止まらない。

私は慌ててリモコンをとり、テレビをつけた。

「ほら、いつもの深夜ニュースだよ…」

ピタッ。


 フラミンゴたちの動きは止まった。

そして画面を凝視している。

画面の中には、黒猫が映っていて、ペットフードのCMが流れていた。

フラミンゴたちが黒猫とアイコンタクトをとっているように見えた。

まさかね…同じ動物だから親近感?

そう思った。

だが、それも束の間だった。


 フラミンゴたちは、またヘッドバンギングを始めた。

もう、何を言っても止まらなかった。

そして、一緒に踊れ!と誘ってくる。

もちろん、ヘッドバンギングなんてしたことない。

でも、無意識のうちに同じ動きをしていた。

何がなんだかわからないけど…なんか…楽しい。

気がつけば、私は夢中でフラミンゴたちとヘッドバンギングをしていた。

こんな自分初めてかもしれない。

子供の頃から人見知りが激しくて、かなりのあがり症。

会社では、上司に名前を呼ばれただけで緊張し、会議では声を出すのもためらってしまう。

そんな私が、今フラミンゴと一緒に全力でヘッドバンギングをしている。

楽しくて仕方なかった。

フラミンゴたちも楽しそうだった。

「楽しいね」 思わず口に出していた。

そのときだった。


 気がつくとフラミンゴたちは消えていた。

部屋の中は、いつも通りの静けさを取り戻していた。

私は一人、ソファの上で疲れ果てていた。

立ちあがろうとすると「痛っ、えっ?筋肉痛?」

太ももが、ふくらはぎが、悲鳴を上げていた。

つけっぱなしのテレビに視線を向けると、朝のニュースが流れていた。

もうフラミンゴたちの気配は、どこにもなかった。


カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

私の部屋には、もうフラミンゴはいない。

だけど、心の奥が少しだけ軽くなっていた。

私は消えたフラミンゴたちに呟いた。


「わたし…仕事で悩んでいたけど、なんか吹っ切れたよ」

「ありがとう」

「でも…筋肉痛、痛いよ…」

筋肉痛の痛みとは、裏腹に笑顔になっていた。


「また、きてもいいよ」

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