第2話:眼福の日々――「尊い、尊すぎる……!」

 それから三ヶ月。私の観察は本格化していた。


 毎朝、窓から中庭を見る。クラウディウス様とレオンハルト様が訓練をしている。その姿を遠くから見守る。スケッチブックに、二人の姿を描く。至福の時間。


 ある朝。いつものように窓から二人を見ていると――


 カンカンカンカン。


 剣と剣がぶつかり合う音が、中庭に響く。


 クラウディウス様の剣が鋭く振り下ろされる。レオンハルト様がそれを横に受け流し、そして反撃。剣がクラウディウス様の胴を狙う。


 でも、クラウディウス様は一歩下がってかわす。そして、また攻める。


 二人の動きが美しい。無駄がない。計算されている。まるで、振り付けられたダンスのようだ。汗が二人の顔を伝う。朝の光がその汗に反射してきらめく。


 そして――


 カィンッ!


 クラウディウス様の剣がレオンハルト様の剣を弾いた。レオンハルト様の剣が地面に落ちる。カラン、と乾いた音。


「参りました」


 レオンハルト様が頭を下げる。その所作が美しい。騎士らしい、凛とした礼。


「いや、お前の動き、良くなっている」


 クラウディウス様が二枚のタオルを取り出す。一枚で自分の顔を拭きながら、もう一枚をレオンハルト様にひょいと投げる。


「ほら、お疲れ様」


「ありがとうございます」


 レオンハルト様が受け取ったタオルで汗を拭う。顔、首、腕。その時――クラウディウス様が、レオンハルト様の頬に手を伸ばした。


「ここ、汗」


 自分のハンカチで、レオンハルト様の頬を拭った。ゆっくりと、優しく。


 レオンハルト様が動きを止める。クラウディウス様の手が、レオンハルト様の頬に触れている。二人の顔が近い。呼吸が聞こえそうな距離。


「……ありがとうございます」


 レオンハルト様の声が、少し震えている。頬がほんのり赤い。


 クラウディウス様が微笑む。何も言わない。ただ、微笑む。その笑顔には、レオンハルト様への深い愛情が宿っている。まるで、大切なものに触れるように柔らかく、優しい。


 私は――鼻血が出そうになった。


 ハンカチで頬を拭う……、しかも至近距離……! 


 これは……、完璧な構図……!!!


 窓ガラスに額を押し付けたまま、スケッチブックを取り出し、ペンを走らせる。手が震える。興奮しすぎて、線が乱れる。でも、描く。


 クラウディウス様がレオンハルト様の頬を拭うシーン。レオンハルト様の少し照れたような表情。クラウディウス様の優しい微笑み。


「はぁぁ……、尊い、尊すぎる……」


 小声で呟く。その時、メイドが部屋に入ってきた。


「エリザベート様、朝食の準備が……。あの、窓に何か?」


「!!」


 慌てて窓から離れる。スケッチブックを背中に隠す。


「い、いえ! 何でもないのよ! あは、あははは……」


 メイドが首を傾げる。


「では、朝食をお召し上がりください」


「はい!」





 午後の図書館。


 私は本棚の影に隠れていた。手には本。でも読んでいない。


 視線は、あるテーブルに注がれている。そこには、クラウディウス様とレオンハルト様が座っていた。


 テーブルの上には地図と資料。羊皮紙に描かれた精密な地図。インクの匂いが漂っている。二人の頭が近い。地図を覗き込みながら、小声で話している。


「ここが、盗賊団の予想される拠点で……」


 クラウディウス様が地図の一点を指差す。その指が、地図の上を滑る。


「なるほど。では、ここから攻め込むのが……」


 レオンハルト様も同じ場所を見る。二人の指が、触れそうになる。でも、触れない。ギリギリで離れる。まるで、磁石の同極同士のように。


 ああああもどかしい……!


 クラウディウス様が、レオンハルト様を見た。二人ともまるで彫刻のように整った横顔。鋭く青い瞳が、レオンハルト様の緑の瞳を捉える。


「レオン」


 親しみを込めた呼び方。その声が柔らかく、優しさが滲む。


「はい」


「お前の意見は?」


「私は、こちらのルートが良いかと」


 レオンハルト様が地図の別の場所を指差す。その指が、長くて艶めかしい。クラウディウス様が少し考える。眉を寄せる。そして――


「ほう」


 クラウディウス様の頬が緩む。


「さすがだな」


「いえ、団長には及びません」


「謙遜するな」


 クラウディウス様が、レオンハルト様の肩を軽く叩いた。レオンハルト様が照れくさそうに視線を下にそらす。頬が、ほんのり赤い。


 三ヶ月間見続けてきた私にはわかる。この何気ない仕草に込められた、深い信頼。


 ……尊い……


 私は本棚の影で、スケッチブックを取り出した。ペンを走らせる。二人が地図を見るシーン。近距離で見つめ合う様子。肩を叩く仕草。微笑み合う表情。


「はぁ、完璧すぎる……」


 小声で呟く。その時――


「あの、そこで何を?」


「ぅわっ、はい!!」


 後ろからの声に振り向くと、眼鏡をかけた司書の女性が立っていた。厳格そうな表情。


 私は慌ててスケッチブックを隠す。


「い、いえあの、 読書です! 読書!」


「……?」


 司書が首を傾げる。そして、私の手元を指差す。


「あの、その本、逆さまですが……」


「!!」


 見ると、持っている本のタイトルが逆向きになっている。


「あ、あはは……」


 笑ってごまかす。司書が困ったような表情を浮かべる。


「お静かに願います……」


「は、はい……」


 司書が去っていく。私は、また本棚の影に隠れた。


 危なかった……


 でも、すぐに視線を二人に戻す。クラウディウス様とレオンハルト様が、また地図を見ている。二人の姿が、美しい。


 やっぱり、尊い……





 夜。王宮の廊下。


 私は柱の影に隠れていた。月明かりが窓から差し込んでいる。石造りの廊下が、青白く照らされている。


 廊下の向こうから、二人の声が聞こえる。


「団長、今日もお疲れ様でした」


「お前もな、レオン」


 クラウディウス様とレオンハルト様が並んで歩いてくる。二人とも、制服姿。でも、マントを外していて、くつろいだ様子。


 青白い月明かりが、二人を照らす。美しい。


「明日も、よろしく頼む」


「はい」


 クラウディウス様が、レオンハルト様の肩に手を置いて立ち止まる。月明かりの中で、二人が向かい合う。


「お前がいてくれて、助かっている」


 クラウディウス様の声に、温かみが込められている。普段の厳格さとは違う、特別な響き。レオンハルト様が、クラウディウス様を見上げる。


 月明かりが二人の顔を照らす。クラウディウス様の鋭い瞳。レオンハルト様の優しい瞳。見つめ合う二人。


「……団長」


 レオンハルト様が何か言いかけて、黙る。唇が、わずかに震える。クラウディウス様が首を傾げる。


「何だ?」


「……いえ、何でも」


 レオンハルト様が微笑む。でも、その笑顔はどこか寂しく、切なそうだ。クラウディウス様が少し眉を寄せる。心配そうな表情。


 でも、何も言わない。


 ただ、レオンハルト様の肩に置いた手に、少し力を込める。


 ……尊い、尊すぎる……!


 私は柱の影で、スケッチブックを取り出した。でも――暗くて何も見えない。


 くっ……!


 記憶に焼き付ける。この構図。この光。この二人。この空気。


「では、明日」


「はい、おやすみなさい」


 二人が別れる。クラウディウス様は右へ。レオンハルト様は左へ。私は柱の影から出て、自分の部屋に戻った。


 部屋に着くとすぐにスケッチブックを開く。ペンを走らせる。月明かりの下で見つめ合う二人。手を肩に置くクラウディウス様。見上げるレオンハルト様。寂しそうな笑顔。


「ふぅ、完璧……」


 描き終えると、スケッチブックを胸に抱く。


「今日も、尊かった……」


 幸せな気持ちで、眠りについた。





 翌朝、メイドから知らせが届く。


「近々、王宮で社交会が開かれます」


 ……社交会? きっと、二人も参加するだろう。


 また新しい一面が見られるかもしれない。




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