七 少年はただ無邪気に笑った

「あっ、虎丸さんもいる。こないだはどうもでした!」

「誰や、眼鏡少年!!」


 突然現れた見知らぬ人物に、虎丸は驚いた声をあげる。

 大人しそうな少年は頬を指でぽりぽりと掻いたあと、ようやく腑に落ちたらしくあらためて自己紹介をした。


「あ、そっか。また記憶消してたんだった。えーっと、ぼくは白玉っていいます」

「美味そうな名前やな……」

「あはは、やっぱり同じ反応してる。新世界派の部員のひとりで、年は最年少の十七歳。作家活動以外では江戸からくりの人形師をやっています。そういう家系の生まれなんですよ。よろしくお願いしますね!」

「……どっかで会ったっけ?」


 そう尋ねた直後、小柄な少年の両手を繃帯ほうたいが覆っていることに気づいた。指の先まできっちりと巻かれ、よく見ると首や耳の下にもところどころ火傷のような痣がある。

 虎丸の視線に気づいた白玉は、笑ったまま言った。


「子供の頃に、事故で。握力が弱いのでペンはうまく持てないけど、大抵のことは人形を操ってできるんです。人形も人形で作ってますし、家具でも機械でも何だって作れます。そこに置かせてもらってる絡繰からくり人形も、ぼくのものです」

「この細かい絡繰りも、人形を操って!? 器用やなぁ~」

「文字の力だけはぼくが直接書かないと発揮できないから、タイプライタァを使ってます。キィの数がすごいでしょ。日本語の小説を書くために自分で設計しました。大量の和文に対応したマシィンなんですよ」


 こんな重いの持ち運ばんでも、とさっきまで思っていた虎丸は、朗らかな少年を前に慌てて言葉を飲み込んだ。

 白玉は虎丸の様子を見て、へらっとはにかんで言った。


「虎丸さんは、いいですね。すごく好きな感じです。えへへ」

「なに、なにが!?」


 突然の告白に虎丸は驚きながらも、頬を緩める。色恋の類ではなくとも好意を告げられて悪い気はしないものだ。

 しかし、少年は笑顔でとんでもないことまで白状し始めた。


「記憶を消すと、意外と皆さん二度目以降は違う反応をするんです。嘘をつくのは他人に向けてだけではありません。誰だって自分の心さえも取り繕うから、ぶれが出るんでしょうね」

「記憶、オレ消されたん!? いつの間に!?」

「ごめんなさい! こないだは部屋に運んでる途中で目を覚ましそうだったので、廊下に放置しました! 虎丸さんはすぐ館内をウロウロするから、実はこれまでに五回もぼくに見つかってます。毎回絶対に美味しそうって言うんですよー」

「そういや床で寝とった日、あったな……」


 白玉の話によると、これまでに何度も地下に侵入してその度に見てはいけないものを見てしまい、記憶を消されているらしい。

 本当に何度もこの少年に会っていたのだろうかと思い出そうとするが、不明瞭どころか綺麗に抜け落ちてとっかかりすらない。


「にしても、五回て。白玉って聞いて美味そうしか出てこーへんオレに語彙力がないだけなんでは……?」

「言葉だけじゃなく、接するときの態度っていうのかな。ぼくの怪我に気づいても自分からは触れないところとか。そういう気遣いにぶれがなくて、嘘もないです」


 眼鏡の奥に隠れたまっすぐな視線。

 たしかに覚えがあるような、と虎丸は悩むがやはり思い出すことはできない。


「記憶を消したとき、二度目の反応がうちで一番変わるのは茜です。彼の場合は他人の反応を気にする性格だから変わりやすいんですけど。でも、十里じゅうりさんも、コウさんも、拓海さんも、普段から率直で堂々としているように見える方々だってそれぞれ変化はあるのに、虎丸さんは毎回同じでちょっとビックリです。だからめずらしくてちょっと好きです。初対面の相手にも心を開くことに躊躇がなくて、生き生きしてる」

「あら、いつの間にわたしの記憶も消していたの?」


 茜が横からにこやかに尋ねる。


「ごめんね、こっそり台所のお菓子をつまみ食いしたときとかにちょいちょいと。叱られるときもあれば、消してみると許してくれるときもあるよ」

「そんなことでちょいちょい消すん!? しかも結局つまみ食いバレとるしー」


 虎丸からすると、人智を超えた技を気軽に使っているのが不思議でしかたないのだが──。

 普通の人間からすれば記憶がなくなるのは不安なはずだ。しかし、茜がさほど気にしていないところを見ると、白玉への信頼が下地にあるのだろう。


 そう、思いきや。


「と、まあ。ぼくはこういう人間ですから、決して信用しないでくださいね。誰しも嫌なことは忘れたいでしょう。でも、悲しい記憶や、辛い記憶だって、本来その人にとってはかけがえのないもののはずなんです。勝手に最初からなかったことにするなんて、とんでもない罪悪ですから」


 少年は屈託のない笑顔でそう言った。


「あっそうだ。ぼく、八雲さんを呼びに来たんでした。あるじが戻られてますから、ご挨拶をお願いします!」

「あら、大変。急いでお茶の用意をしなきゃ。わたしは先に行くわね」


 茜はばたばたと慌てて走って行った。


「大金持ちの主! オレも会いたい~!」

「主も虎丸さんを見てみたいとおっしゃってたので、ぜひ!」

「やった!」

「では、皆で。虎丸君、すみませんが白玉の台車を運んでやってください」


 白玉が少し足を引きずっていることに、八雲に言われて気づいた。

 タイプライターの台車を片手で押し、玄関の段差で転ばないようにと反対側の腕を白玉に差し出す。


「わー、虎丸さん、力持ちですね!」


 眼鏡の少年は嬉しそうにまとわりついて、虎丸を見上げた。



 ***



 いつもの食堂ではなく、虎丸が初めて入る吹き抜けの部屋だった。


 床全面にゴブラン織りの絨毯が敷きつめられ、正面奥で二手に分かれた階段が二階部分へと続く。白と金のシンプルなステンドグラスが窓にはまっている。上品かつ高級感あふれるパーティールームだ。


 木製オルガンの前に座った十里が外国の曲を弾いている。紅は隣で演奏を聴いていた。


「うおー、広い部屋やな。お茶会とかするサロンって感じ?」


 ワゴンで紅茶の用意をしている茜、それから拓海の姿もある。新世界派の部員五人集合である。


 中心に置かれた真っ赤な布張りのソファで、拓海の横に座っている洋装の人物がおそらくタカオ邸の主人だ。


 身に着けているものすべてがいかにも高価、広告写真のようにハイカラである。西洋化の象徴である断髪ボブヘアを揺らした、四十絡みの女性だった。


 圧倒的な貫禄と威圧──そして、金持ちのオーラに虎丸はやや怯む。

 八雲の後ろで息を潜めて様子を窺っていると、女主人がヒールをカツカツと鳴らしてこちらに歩いてきた。



「あらまぁ、わたくしの八雲。相変わらず可愛いこと。ほほほ」



 扇子の先端を八雲の顔の輪郭に這わせ、女は妖しく笑った。



 ──!?


 うわぁ、ツバメや! 絶対若い愛人ツバメや、あれ!



 後ろで見ていた虎丸は、思わず開いた口を手で押さえる。

 無名の作家たちが何故これほどの支援を受けられるのか、謎が解けた気分だ。


 金持ちのパトロンと、見目の良い若手芸術家。


 よくある話──なのかはわからないが、あまりにしっくりとくる組み合わせである。


「まじかぁ、まさに小説の世界やん……。舞台は療養所サナトリウム。結核を患った妻の治療代を払うため、大金持ちの熟女に身を売る美貌の青年作家……」


 勝手に妄想を膨らませている虎丸を、白玉が不思議そうに眺めている。


「妻? 八雲さん、ずっと独身ですけどね?」

「あれ、声出とった?」

「はい、若いツバメあたりから全部。ここは由比ヶ浜とかじゃなくて八王子なので、療養所はありませんよー」


 当の女主人と八雲は、虎丸のことなどそっちのけだ。


「あの、あるじ。私ももういい大人なのですが」

「ほほほ、わたくしから見れば貴方たちは全員、永遠に子供のようなものですよ」


 そう言いながら、扇子で八雲の頭を雑にぺしぺしと叩いている。

 虎丸は一目見て愛人だと思い込んだが、よくよく観察してみるとそれほどいやらしい雰囲気ではない。たとえるなら飼い主とペットのようである。それはそれで、違う方向に不健全なのだが。


「主、お茶入ったって~」

「あら、ありがとう。わたくしの可愛い十里」

「なーなー、主! 欧羅巴えうろっぱに行ってたんだろ? お土産は!?」

「もちろん、たくさん買ってきましたよ。わたくしの可愛い紅」


 次々寄ってくる部員たちに、主人は満足げだ。


「それ、全員に絶対つけなあかんのかい!!」


 我慢できず、叫ぶ虎丸である。

 数秒の沈黙が流れ、部屋にいた全員が関西弁の青年に注目する。


 ようやく、女主人も虎丸の存在に気づく。

 先ほどと同じく靴を鳴らして歩いてきて、腰に手を当て、女優のような立ち振る舞いで真正面に立ちはだかった。

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