六 新世界より愛をこめて
タカオ邸から少し離れた夜の路上に、シックな
馬車と同じ構造で前方に独立した操縦席には、人の形をしているが人間ではない運転手が座っていた。
そして、後部座席に乗っているのは──。
羽根付きの帽子にコルセットのないハイウェストドレスという、海外の女優のような装いをした
「まあ。わたくしの館に蝿がたかっていますわ」
「あわわ。ごっつい人たちがたくさんいますねー」
隣で声をあげたのは、いかにも大人しそうな少年である。
山吹色の着物の下に立ち襟の白シャツを着こんだ書生風の恰好で、ぶ厚い眼鏡のせいかどことなく野暮ったい。すべて最先端のファッションで身を包んだ女性とはまるで正反対だった。
重量感のあるタイプライターを空いた座席に置いて、大事そうに手で押さえ車の揺れから守っている。
「揃いも揃って醜いのは何故かしら。どうせ形容化するのなら、美しく造ればよろしいのに」
「
「なんにせよ、わたくしの美しい館とわたくしの美しい作家たちに手出しをすることは許しません。白玉、まとめて潰してしまいなさい」
「はい、主!」
少年はいくぶん楽しそうに、包帯を巻いた指でタイプのキーを叩いた。カタカタと心地よい打鍵音が響く。手つきはたどたどしく見えるが、ピアノを速弾きするようなスピードで文字を打ち込んでいる。
『歓喜』の
────
タカオ邸の地面が不気味に躍動し、湯が煮立つように庭の土が盛り上がった。
「おっと、この反則級の大技は……」
「白玉が出てる!?」
「主の命令でもないと絶対動かないのに。まさか、帰ってきてるのか?」
地響きは館の中まで走って、絨毯を揺らしていた。
「あの子が出てきたならば、もう問題ないでしょう。私は、虎丸君を探しに行ってきます」
部員たちにそう告げると、八雲は羽織をひるがえして正面玄関のほうへと消えた。
***
タカオ邸の正門から向かって右奥、虎丸は八雲の住む離れ屋にいた。
「おった、アンナ! 緊急事態やっちゅうのに、呑気に寝とるなー」
タヌキは飼い主の座布団の上で、お腹を出して寝ていた。
アンナ・カレヱニナはもともと八雲の使い魔だった。合体していた物の怪の高尾姫が消滅し、今では単なる愛玩用の太ったタヌキとして過ごしているのだ。
ほとんど目を覚まさないのには、途方もなく長い年月を生きていたせい──と、それなりに重い事情があったはずなのだが、ただの獣に戻ってからも変わらずスヤスヤとよく眠っている。
虎丸の隣でおしとやかに膝をついているのは、洋館のメイドであり
「無事でよかったわ。わたしのことも、迎えに来てくれてありがとう。でも虎丸さん、単独行動して平気だったの?」
「ゴロツキが火取り出したから、火事になったらあかんと思って急いできてん。茜ちゃん探してくるってちゃんと声かけたけどなぁ?」
「部員のみんな、議論を始めると夢中になっちゃうから」
「オレすぐ無視されんねん! あと、牛親子もおるよな?」
「馬も、鶏もいるわ。ぜんぶの家畜に拓様が文学作品に出てくる美女の名前をつけてるの。趣味みたい」
「変なヤツやな……」
では安全な場所まで逃げようと、虎丸がタヌキを抱いて立ちあがったとき。
茜が綺麗に磨いた爪先を合わせて「あっ」と声をだした。
「そうだ、あの子もちゃんと連れてってあげなきゃ」
「あのこ?」
「
茜が指を差したのは、部屋の隅に鎮座している少女をかたどった人形である。
初めて訪ねて来た日、たしか八雲は預かり物だと言っていた。あらためて眺めてみると、茜と同じ柄の着物にフリルのエプロンという使用人の制服を着ている。
虎丸は動いているところを見たことはないが、台座に歯車などの部品が露出しているので何か仕掛けがあるのだろう。指のひとつひとつまで精巧に造られた、見事な等身大の人形だ。
「はよ逃げなあかんし、人形まではちょっと……と、言いたいとこやねんけど、この館のことや。ただの人形とちゃうんやろなぁ~」
下手に触ると壊れてしまいそうだ。どうやって運ぼうかと悩んでいたところに、襖が開く。
「逃げる必要はありませんよ。すでに危機は去りました」
入ってきたのはこの部屋の住人、八雲であった。
「えっ、だって、ゴロツキが百人攻めてきたのに……」
「敵は皆、土の
「えええ!?」
虎丸は間の抜けた声を出して、裸足のまま庭に出る。垣根で仕切られた向こう側の西洋風庭園では、巨大な土人形が暴れまわり屈強な男たちを力技で叩き潰していた。
地獄絵図ではあるが、流血はない。潰された敵の肉体は
「文字VS文字の、怪異大戦争……! あっ、ねえねえ、見てください。あのゴロツキら、みんな同じ印がありますよ」
「虎丸君、視力がいいですね。どんなものでしょうか」
「黒い菊の入れ墨みたいな……。印鑑くらい小さいの。前に闘った
「ふむ、やはりそうですか。落ちていた原稿用紙をいくつか拾って読んでみましたが、すべて同一の筆跡で書かれていました。その字には見覚えがあります。おそらく七高のときと、同じ作者によるものです」
「七高が漏らした黒い菊の入れ墨を持つ男、先ほどのふたりが言っていた『
「あの男……架空じゃなくて人間が『逆形容化』された文字なんちゃうかって話でしたね。こいつらも、元はほんまもんの人間が百人ってことですか? 倒したらどうなるんやろか」
本物の人間であれば手にかけることはできない。
以前の闘いのときもそう嘆いていた虎丸に不安が募る。
「襲ってくる以上、私たちは迎え討つしかないのですが──逆形容化された彼らの死がどこで判定されるのか不明です。文字にされた時点なのか、このように倒されて原稿用紙となった時点なのか。あるいは形だけ消えてもどこかで生きている可能性もあります」
「うーん、真相は作者のみ知るってことですかぁ」
「おそらく、後者という気がしますがね。これで消滅するのならば、普通の人間に文字を付与するのと強さは変わりません。人を丸ごと造り変えるほどの能力に利点がないとは考えにくいです。真実を知るには、彼らを造った『操觚者』に、会いに行くしかないでしょう。どちらにしろ仲間が捕まっていますから」
虎丸はふと気づく。
白い月明かりの下とはいえ、八雲の顔色があまりよくない。
もとより決してよくはないのだが、ひとたび目を閉じれば幽霊のようにスッと消えていなくなってしまいそうな血の気のなさだ。
「……八雲さん? 元気、ないですね。どないしたんです?」
「少し、疲れました。私はとくに役に立っていないのですが」
「部屋戻りましょか」
今にも倒れそうで不安だったので、先に縁側へと上がって片手を差し出した。
虎丸の手を取って、八雲は淡く微笑んだ──ように見えた。
月が逆光になっていたのではっきりとわかったわけではない。
白い光が作った陰影で、いつもの八雲には有り得ない
「八雲さーん!!」
重そうなタイプライターを台車に乗せ、ガラガラと畳の上で引きずる音がする。
部屋に入ると、寝癖頭で眼鏡をかけた少年が八雲を待っていた。
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