三 招かざる客は夜に咲き
新世界派の部員である
その作家の正体は、虎丸の幼馴染・入舟
彼が大阪を去ったのは四年と少し前、ふたりが十五になった年度の春。
美青年っぷりや
小説家といえば世間からすればろくでなしの印象が強いのである。大学に通いながらとはいえ、拓海の家が文学活動を許可するとはとても思えなかった。
初めて目にする幼馴染の書いた原稿用紙を、虎丸は物珍しげにパラパラと捲る。その様子を眺めていた拓海は、言い訳めいた口調で説明した。
「
「たかるって、虫みたいに言うなや! てか、おまえ、苗字変わったんやな」
「引っ越したすぐあとで変わった。母が離縁したんだ」
「なーる……。親父さん、ようおまえのこと手放したなぁ。大事な跡継ぎを」
「かなり揉めたが、もう関係ないな」
「そらそうやなぁ」
拓海の父親は地元の名士で、母親はただの下働きだった。
父親は息子たちの中で飛び抜けて優秀だった拓海に家を継がせたかったらしく、周囲の反対を押しきって拓海の母親を正妻にした。だが、あまりの扱いの非道さに耐えかねて、拓海は中学を四修で終わらせると母親とともに大阪を出ていったのである。
──こいつのめちゃくちゃ綺麗な母ちゃん、ガキの目ぇから見ても可哀想やったもんなぁ。どうにかおさまったんなら、よかったわ。
物心ついたときからずっと近くで育ってきた幼馴染なのに、関西と関東に離れて四年経ってもなんとなく連絡は取っていなかった。男同士で、今更という気恥ずかしさもある。それに虎丸は虎丸で、高校中退や就職などいろいろあったのだが。
人の縁は儚く、かと思えばこんな場所で再会したりするのだから不思議なものだ。
「しっかし、おまえ、相変わらず字ィ下手やな……」
一字一字がマス内にきっちりおさまるよう丁寧に綴られた文字には、書いた者の神経質な性格がよく表れている。だが、なんともいえない個性的な筆致だ。
──せや、こいつ、いっつも試験でダントツの首席やったくせに、字が下手すぎて解答が読み取れへんて教師がよう嘆いとったわ……。
一分の隙もない無敵人間のような気がしていた幼馴染の重大な欠点を思い出して、虎丸は思わず噴き出した。
「ぐっ、こんなかっこいい顔でこんな下手な字を……!! あかん、笑けてきた。子供たちに混じって
「もう習ってる。紅さんには新世界派に入ったときから指導をしてもらってるんだ」
「個人レッスンなんてずるい!! いや、そんなことより、習ってこれなんか!?」
隣の席にいた紅はテーブルに両肘をつき、組んだ指の上に小さな顎を乗せて遠くを眺めていた。
「フッ。辛いことがあっても根性で乗り超えてきた二十年、こんなにも自分の無力さを痛感したのははじめてだぜ……」
「おまえのせいで紅ちゃんが思いつめとるやんけ!」
さらに横から、
「まあまあ。他人が判読できるようになったんだから、大きな進歩だと思うよ~。拓海はうちじゃ一番あとに入った部員だけれど、初めて原稿を持ち込んできたとき、誰も読めなくて全員で頭抱えたもん。八雲部長でさえ『いい小説のような予感がしますが、解読不可能です』ってめずらしく困惑してたからね」
「さーすが拓様! 平凡極まりないオレにはとても成し得へん伝説残しとるなー!!」
「うるさい、黙れ」
爆笑しながら背中をばんばんと叩く虎丸の手を、拓海はうっとうしそうに払った。
「まあ四年分の積もる話もあるから、あとで部屋行くわ。うちのオカンもおまえら親子のことずっと気にしてたで。お茶菓子でも用意しといてなー」
「ああ、わかった」
「は? オマエら仲悪かったんじゃねーの」
出会い頭に口喧嘩を始めたふたりとはとても思えないスムーズなやり取りを見て、紅が片眉をひそめる。
虎丸と拓海は一瞬真顔で互いに目を合わせると、何でもないことのようにあっさりと言った。
「いや、べつに。嫌いやけど昔から仲ええで?」
「そうですね、嫌いなだけで腐れ縁なので。仲が悪いわけではないです」
「はー!? ぜんっぜんわかんねー」
理解できない、と紅はますます顔をしかめる。その向かい側に座っていた十里が、にこにこと笑いながら解説した。
「ああ、仲良いからこそ張り合ってるだけなんだよ。男の子は幼稚だねぇ~」
「ふーん……。逆はともかく、拓海が虎丸なんかと張り合う要素あるのか?」
「拓海はガチガチの優等生だからさ~。虎丸くんみたいに奔放な子は眩しく見えて、ずっとうらやましかったのかもよ?」
「先輩方、勝手なことを言わないでください。確かにこの馬鹿は昔から、規範や常識よりも我が道を行く馬鹿でしたけど」
少しは図星だったのか、拓海が抑え気味ながらもムキになって反発した。
「馬鹿って二回言うなや! あとさりげなく紅ちゃんにも『虎丸なんか』って言われたし~!」
ふたたび口喧嘩が始まろうとしていたところへ、八雲が入ってきた。
まだ夕方だが風呂あがりらしく、髪から雫がこぼれている。
「おや、拓海。戻っていたのですね」
「八雲先輩、もっとしっかり髪を拭いてください。湯冷めするし、床が濡れます。焚きたての風呂に入るのも熱湯なんでやめてくださいと言ったじゃないですか」
「相変わらず細かい。まあ、大事なかったようでなによりです。十日以上も帰らないので少々心配していました。十里君ならともかく、あなたが誰にも告げずいなくなるのはめずらしいので」
「医科の実習で地方へ泊まり込みだと、出発前から所長に伝えてましたよ」
「ああ、それはすべて
いつも表情のない八雲にしては、露骨に蔑んだ目をしている。
「うんうん。完全に藍ちゃんが悪いね~☆」
「だいたいのことは藍ちゃんがわりーだろ。おれらの世話係のくせに、いつもいつも率先してトラブル持ち込んできやがって」
「ああいう大人になってはいけないという反面教師ですよ」
十里や紅にまで、これほどの言われ方をされる藍さんとはいったいどんな人物なのか。勝手に夢想していた美しい遊女像がかなり崩れてきた気がする。
と、虎丸が愕然としていたときだ。
メイドの仕事中だった茜が、緊迫した様子で食堂に駆け込んできた。
「あの。みんな、ちょっといいかしら」
「茜ちゃーん、どないしたん?」
「お客様がいらしたの」
「客ぅ? ほんまや、門のほうに馬車が停まっとるの窓からチラッと見えるわ。こんな辺境まで何の用やろな?」
「文壇からの使いだといえば、わかるって。馬車に
文壇、黒い菊──。
茜の伝言を聞いた新世界派の部員たちに、ぴりっとした緊張が走る。
十里と紅が、重たい声でひそひそと話し合い始めた。
「今は藍ちゃんがいないし、僕が応対するよ。八雲部長は絶対出さない」
「そうだな。茜、相手はどんなやつ?」
「男女一人ずつよ。洋装の男の人と、着物の女の人。どちらも若いわ。二十代前半くらい」
「女がいるならとりあえず拓海を正面に座らせて……。あ、でも毒舌かますから喋らせるなよ? 会話の進行はジュリィに任せた。多分それでだいたいうまくいく」
「任せて。じゃあ茜、その人たちを応接間に通してくれるかい?」
「わかったわ」
十里の指示に頷いて、茜は慌ただしく玄関のほうへと戻っていった。
「こういうときこそ世話係の出番だろ。使えねーなぁ」
「もしかしたら、藍ちゃんが全然帰ってこないことにも関係があるかもしれないけどね。とにかく、部長は絶対に出てきちゃダメだよ」
八雲に念押しし、十里は拓海を伴って応接間へ向かった。
食堂には虎丸と紅、そして八雲が残った。虎丸はそうっとふたりの様子を窺ってみたが、紅は険しい顔で親指の爪を噛んでいる。八雲はいったい何を考えているのか、その無表情からは読み取れない。
焦りを隠せずそわそわとしている紅を、八雲は穏やかな声で落ち着かせる。
「紅、あまり心配しないでください」
「……うん」
「とりあえず──隣の部屋に行って、盗み聞きとしゃれこみましょうか」
「しゃれてんのかなそれ……。でも、待っててもしかたねーしな」
状況が飲み込めていない虎丸に、八雲が向き直って言った。
「虎丸君も来てください。そろそろ、ちゃんとお話します。あなたが本当のことを知れば、私は軽蔑されるかもしれませんがね」
また蚊帳の外なのだろうと思っていたのに。
八雲の意外な言葉に、虎丸は今の空気にそぐわないことはわかっていたが思わず高揚したのだ。
「八雲さんの話を聞いてオレがどう思うかなんて、自分でも保証はできませんけどね。でも、もう乗りかかった船ってやつですわ。見届ける覚悟はできてますから!」
古今東西で使われるそんな諺が一瞬頭をよぎった。
八雲を訪ねてタカオ邸にやって来てからというもの、幾度となく新世界派の部員たちが起こす怪奇現象に巻き込まれてきた。だが、いつも受け身だったわけではない。虎丸は好き好んで彼らに巻き込まれていったのだ。
──もしかしたら、ほんまにごっついやばい悪業が隠れとって、八雲さんは極悪人なんかもしれへん。でも、この人がたとえ、どんだけ人の道を外れとっても。
惹かれるもんは、しゃあないよなぁ。八雲さん自身にも、この人の小説にも、この人の過去にも。
覚悟はできているなどと恰好をつけたが、本当は秘密を知るのが恐ろしいのだ。もしかすると、彼は虎丸が思っているような人間ではないかもしれない。
それでも、引き返したくないと思える八雲の引力がなにより恐ろしい。
三人は目を合わせて頷くと、来訪者のいる応接間の隣室へと向かった。
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