二 遠き日の友は変わることなく

「拓海ィ、なんでおまえがここにおんねん!? あ、まさか『入舟辰忌いりふねたっき』っておまえの筆名かいな!」

「それはこちらの台詞だ。虎丸、何故お前がここにいる?」


 サラサラ髪の美青年はいかにも煩わしそうに、ふっとため息を吐く。羽織もなく紺色の着物のみという素っ気ない日常着なのに、憎たらしいほど絵になる男である。


「あいっかわらずの流し目! とりあえず流し目! その流し目に引っかかる女子多数!」


 ぐぎぎ、と悔しそうに虎丸は歯を噛みしめる。


「ちょっとちょっと、どしたの。一触即発でさ~。きみたち知り合いだったの?」


 食堂の椅子に座っていた十里じゅうりが立ち上がり、仲介にやってきた。


「幼馴染、です!」

「同じ町内に住んでいて中学校まで一緒だっただけの知らない男です、十里先輩」

「めっちゃ知っとるいうねん、それはぁ!」

「では訂正する。近所で飼われていたよく知るサルです」

「ウキー!」


 どうどうどう、と十里は困った顔で笑いながら、掴みかかる虎丸を剥がした。


「そういえば拓海は関西の生まれだったね。全然訛りがないから忘れてたよ~」

「嫌いなんです、向こうの喋り方。うるさいので」

「なんやとぉ! おまえは大阪愛が足りん!!」

「だから、故郷は嫌いだと言っているだろう」

「がるるるる」


 ツンと横を向いた幼馴染を、虎丸は獣のように威嚇する。


「ん~まぁとりあえず、ふたりとも座って落ち着きなよ。お茶でも飲んでさ」

「わたしが淹れてくるわ。拓様のためなら、喜んで!」


 茜は目が完全に乙女だ。

 そうか、さっき茜が言っていた拓様はこいつのことか、とすべてが繋がって虎丸はますます気に食わない。


「俺は自分の部屋に戻ろうとしていたんですが。ここは茜がうるさい」

「なっ、この野郎、茜ちゃんに冷たくすんなぁ!」

「拓様、冷たいところも素敵……」

「えっずるない!?」


 混沌と化した場を、十里が制す。


「いいから座ろう。そろそろ面倒になってきたから。拓海も、先輩命令~☆」


 鶴の一声である。

 見たことはないが十里が怒ると怖そうなので、虎丸は大人しく従うことにした。


 幼馴染のふたりは対角に座って互いから目を逸らす。茜はお茶を淹れに行ったので、あとは十里と元から座っていた赤髪娘・コウと四人でテーブルにて向かい合った。


「オマエら幼馴染なのに、なんで仲悪いんだ? ……って無視すんなよ!」


 両者のやり取りを馬鹿馬鹿しそうに見ていた紅が尋ねるが、どちらもふて腐れていて答えない。再び十里がフォローを出した。


「そっか~、虎丸くんと同級生だったなんて。不思議な縁もあるものだねぇ。拓海は帝大最年少入学でまだ十九だもんね」

「はい。尋常小学校と中学で二年飛び級していますから」

「さっすが医科主席。優秀だよねぇ~。拓海が入学してきたとき、ウワサを聞きつけた女の子たちが大学まで押し寄せて百姓一揆みたいになってたのを思い出すなぁ」

「たいしたことないです。頭脳じゃ『白』にはとても勝てませんよ」

「あの子の頭は特殊だから比べるもんじゃないよ~。まるで自働算盤じどうそろばんみたいだからね。きみもじゅうぶん立派だって」


 十里は話を変えてお茶を濁そうとしたのだろうが、虎丸にとってその話題は鬼門だ。


「ムキキキキィ。ほんまにこいつは、昔っから……」


 顔も良ければ頭も良い。

 この幼馴染のことで思い出すのは、めくるめく敗北の記憶である。

 同じ町内に同い年で生まれ、小中とずっと同じ学校。というわけで、当然のように周りの大人たちから比較され続ける運命をたどったのだ。


 端正な顔立ちといえば八雲もそうだが、浮世離れしていて婦女子にキャアキャア言われるタイプではない。だが、拓海はまぎれもない正統派の眉目秀麗だ。

 濡れ羽色の貴公子だの大阪のナルキッソスだの数多くの奇怪な二つ名をつけられ、物心ついた頃からずっと虎丸の隣で女学生、近所の主婦、年配の老婦人にいたるまでモテまくり、しかも本人はたいして興味がなさそうにしていたとにかくいけ好かない気取った男なのである。


 『色男、金と力はなかりけり』という俗諺ぞくげんどおり、顔だけの男ならばまだ納得もいく。しかし、小学校に引き続き五年制の中学を四修でさっさと卒業してしまったほど成績も優秀だった。そのうえ毎年の身体測定では背丈も常に虎丸より指一本分高く──


 と、そこまで愚痴ったところで、虎丸はテーブルに両手をついて立ち上がった。


「は、身長! 昔より伸びとるはず! どっちが背ぇ高いですか!?」


 ものすごく嫌そうな拓海を無理やり立たせ、真剣な顔で十里と紅に尋ねる。

 紅は一応見ようとしたものの小柄なため目線が届かなかったらしく、小さく舌打ちをすると不機嫌な顔で黙って座り直した。

 かわりに一番背の高い十里が、若干どうでもよさそうに確認した。


「うーん、ほぼ同じ、じゃない~?」

「よっしゃ、ついに勝ったで!!」

「いや、同じならべつに勝ってねーだろ」


 紅のつっこみはもっともだが、虎丸としては負けていないことが重要なのだ。


「ん~と、話をまとめると、虎丸くんが拓海を嫌いなのはモテるからっていうのはわかったけどさ~。逆に拓海はなんで虎丸くんを嫌いなの?」

「うるさいからです。大体、女が寄ってくるから何だというんだ? この顔は俺にとってむしろ邪魔なんだ。現実の女はかしましくて嫌いだ。できることなら虎丸のような平凡極まりない容姿に生まれたかった」

「きーー!! めっさ腹立つううう!! その性格が一番むかつくんやあああ」


 激昂していた虎丸に、ふと違和感が走る。



 ──ん? 女?



 腹が立ちすぎて聞き流したが、今の発言はどこかおかしくないだろうか。

 たしか、聞いたことがあったはずだ。架空の花魁を手に入れようとした七高しちたかという男に似た嗜好の部員がいるだとか、タヌキや牛に架空美女の名前をつけただとか。


「あれ、そういえば……お前モテるくせに断ってばっかで誰かと交際してたって話、一回も聞いたことあらへんよなぁ……?」


 すると、美青年は堂々とした態度で言ってのけた。


「現実の女は嫌いなんだ。俺は小説に登場する女しか愛せない。有り得ない美しか愛せない。だが有り得ないから存在し得ない。存在するともう無理だ。現実にいないからこそ、愛せる」


 うわぁ、と引きながら虎丸は口元を押さえる。


「なにその、業が深い……架空フェチシズム? リアルを重要視する作風の新現実主義にあるまじき発言やん……。耽美派に転向したら?」


 いろんな意味でさあっと青ざめながら、幼馴染をドン引き気味に眺めた。小説を書きはじめた影響で目覚めてしまったのだろうか。あるいは、元から持っていた素質を虎丸が知らなかっただけなのかもしれない。


 紅と十里は慣れているのか、さほど動じることなく彼のフェチシズムを受け入れているようである。


「なかなかキモ……いや、個性的だよなー。うちの部員は」

「変態性を主題にするなら、こんなものじゃまだまだ足りないよ~。目指せ、マルキ・ド・サドだよ」

「そこは耽美派代表のジュリィが頑張れよ」

「変態は才能だから。頑張ってなるものじゃないから。拓海の美男っぷりは性癖がよけいに屈折して見えるよね~」

「逆はまーいるけど、モテすぎて幻想の彼方にいっちまったのは稀有な例だな」

「あ。茜、お茶おいしいよ。メルシィ」

「拓様に幼馴染なんて……。素敵ね、いろんな意味で」



 ──あかん、まだこの人らの感性についていかれへん。


 

 作家は全体的に奇人変人だからこそ、変人に対する受け皿が広いのか。変態性に関する好き勝手な議論を始めた作家たちを尻目に、黙ってお茶をすする。

 なにはともあれ、幼馴染と意外な場所での再会を果たした虎丸なのだった。

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