第六幕 黒き菊の使者

一 完全無欠の美丈夫

「あぁ、文学関係者の一部で話題になってるマイナア同人雑誌の『新世界』? あの排他的、秘密主義的で有名な連中のところに居候してるなんて、なかなかやるね」


「いやーーなんていうんでしょ。人徳? 人徳のなせる業っていうか? 大阪もんは人懐っこいのが性分なんで! 気難しい作家先生と仲良うできるのも編集の素養やってうちの長に習ってますんで、当然っていうか、まーー、その、たいしたことあらへんですよ?」


 会話の相手は中堅の報道記者だ。虎丸が勤めている零細出版社・ナンバ出版が発行している雑誌で、ルポルタージュの連載を持っている。

 編集長とは古い付き合いらしい。だから原稿の回収を新人の虎丸に任せても問題ないだろう、ということで命じられた仕事である。

 鼻高々に喋り続ける虎丸にも、子どもを見守るような目で感情を込めずに頷いてくれている。


「えーっと、とにかくですね。皆さんにはようしてもろてましてん。うちの文芸雑誌に八来町八雲やらいちょうやくも先生が新作を書き下ろしてくれることになったんですわぁ。ボクの頼みやったら断れへんて言うてはりましたし」


 虎丸も、言っていて自分で少し虚しいのである。

 まったく関係のない相手にどれだけ仲良しアピールをしようとも、新世界派の部員たちには特別な絆があって、突然現れた自分が入り込む隙間はないと思い知ったばかりなのだ。


「八来町八雲ねぇ。あの雑誌が話題にのぼるときは必ず名が挙がる人物だけれど、ぼくはジャアナリストだから幻想文学は思想が感じられなくて、ちょっと肌に合わないんだよねぇ。他の作家も八来町の影響を受けすぎているし。でも、いいと思った作家もいるよ。筆名はたしか……」


 記者が挙げた名は──入舟いりふね辰忌たっき


 まだ虎丸が顔を合わせていないひとりだ。

 出会う前に読み終えておこうと、移動時間を使って『新世界』は二十巻まですべて目を通し終わっていたので、どんな小説を書いているかは知っている。


「あースッキリとした短編を書く、あの」

「そうそう。新現実主義風で、キレのある文体の。聞いた話によると、婦女子が一目見れば忘れられなくなるほどの美丈夫なんだって?」

「まあ、ボクには負けますけどね~!(ほんまは会ったことないけど)」

「さすが大阪人は冗談がうまいなぁ、はっはっは」

「あれ? はっはっは」

「彼なら機会があれば会ってみたいから、よかったら名刺渡しといてよ」

「はーい、お安い御用ですわぁ」


 気安く請け負って、虎丸は家から満面の笑みで退散した。



「ふっ、虚しい……けど、東京おる間に真実にしたらええ話や。将来の野望のためにもなんとか全員と仲良うなって、無名のうちに唾つけとこ」



 青い空を見上げながら物思いにふけっていると、先ほど会談したばかりの相手が玄関を引いて出てきた。


「あれ、まだいたの。ぼくも取材で出かけるから人力車を呼んでるんだ。ついでに駅まで送るよ」

「おおきに~。最近なんか、追っかけ甲斐のある事件ありました?」

「今追ってるのは神隠し事件、だね」


 駅までの道中、世間話の一環でなんとなく振っただけなのだが、中堅の記者は思ったよりも深刻な素振りで声を潜めた。


「なんやっけ、政治家とかのお偉いさんがぽつぽつ消えるっていう……」

「そう。先週また貴族院の議員がひとりいなくなった。要人のわりに警察も動かないし、きな臭いんだよね」

「ほーん……。取材もええけど、気ィつけてくださいね~」


 要人の神隠しは、庶民の間でもまことしやかに囁かれている。

 だが、表で詳細が報道されないため怪談レベルのうわさも多く、怪奇嫌いの虎丸はあまり食指が動かない話題なのだった。


 記者と別れて鉄道に乗り、揺られながら持ち歩いていた『新世界』のページをめくった。



 ──入舟辰忌いりふねたっき、か。ジュリィさんが帝大の後輩って言うてたから、オレとあんまり年も変わらへんはず。キレッキレのいい短編書くんやけどな。



 『新世界』には十巻から名を連ねている。一覧を見ていくと、五人の中では一番最後に参加した部員のようだ。

 記者が口にしていた新現実主義というのは理想主義の対抗勢力として近頃の文壇でよく耳にするが、代表格は同人雑誌『新思潮』の菊池寛らだろう。


 同じ東京帝大系の雑誌で、同じ若手だというのに。何故こうも新世界派はマイナー、アンダーグラウンド扱いなのか。

 本人たちが望んで排他的、秘密主義的であることも大いに原因なのだろうが──



「よし、絶対にいつかオレの手で、あの五人を有名作家にしたる!!」



 と、虎丸は改めて誓うのだった。



 ***



 乗合バスを降りてタカオ邸へと道を歩く。

 周辺は相変わらず山ばかりの風景で、初めて来た日から二週間も経っていないのに日が短くなっているのがわかった。一日一往復しかないバスの時間は同じだが、空は毎日少しずつ暗くなっていく。


「はー腰いたい。今朝、なんでかわからんけど起きたら床に転がってたんよなー。美味しそうな夢を見た気ィするけど、思い出せへん……」


 門の中に入ると、見慣れた後ろ姿が目に入った。


「お、茜ちゃん。そんなにめかし込んで、どないした──」


 今日は女姿、といっても結局こちらでいるほうが多いのだが。

 普段と比べてもやけに着飾っている。着物の柄もリボンも豪華だ。外出でもするのかと声をかけた虎丸の呼びかけを途中でさえぎって、いつも穏やかな茜にしてはかなりの剣幕で言った。


「……拓様」

「たくさま?」

「拓様、戻ってるって、どこ!?」

「わ、わかりませーん!」

「食堂から拓様の気配がする気がする! 行ってくるわね!」

「な、なんやぁ……」


 本館に走っていった茜を見送って、呆然と立ち尽くす虎丸である。

 あまりの勢いに数十秒ほど固まってしまったが、とりあえず住人たちがいつも集まっている食堂へと自分も向かうことにした。


「たくさま、かぁ。婦女子からそう呼ばれとる奴、地元にもおったなぁ……。うわさの入舟辰忌がどれほどの色男か知らんけど、オレが出会った中で一番男前なんは後にも先にもアイツやろうな。でも、性格はごっつい悪かったな~。あーいろいろ思い出したら腹立ってきたぁ」


 ステンドグラスの装飾がはまった扉を開けると、ちょうど食堂から出ようとしていた人物と鼻を突き合わせる形で目が合った。


 立っていたのは、サラッサラの黒髪を下ろした美青年──。


 耳とうなじに沿うよう清潔に切り整えられ、例えるならば青味を帯びた濡烏ぬれがらす色である。一分の隙もない着流し姿は、背景に後光が射して見えるほどだ。


「たっ……拓海たくみ!?」

「虎丸?」


 青ざめながら震える手で指を差す虎丸を見て、完全無欠の美丈夫は凛々しい眉をひそめた。

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