七 表と裏、慈愛と憎悪

 物の怪とのトラブルは解消し、無事に使い魔も手に入れた。いろいろあったが結果は十里じゅうりの目論見どおりだ。タカオ邸へ、三人そろって帰路の途中である。



 ──銀雪ぎんせつ



 即興でつけられた名ではあるが、真っ白で儚げな雰囲気の少年鬼にぴったりだった。

 タヌキの肉体が残っていたアンナ・カレヱニナとは違い、実体がないので常時姿が見えるわけではないらしい。八雲が名前を書いて『形容化』したときだけ現れる。

 黒鬼女が消滅して力が弱まっていると言っていたが、それでも十分頼りになるはずだ。


 虎丸としてはなにより、銀雪に新しい名と未来が与えられたのが嬉しかった。


「使い魔って、どんだけでも持てるんですか?」

「使役するにもなかなか精神力を喰うのですよ。物の怪の強さにもよりますが、せいぜい一体が限度だったので銀雪で満席です」


 アンナは普通のタヌキに戻ったので、八雲の口振りだと虎丸が見たことのない使い魔もいそうである。


「ふうん……。ジュリィさんは物の怪を使役できへんのです?」

「できないね~。操觚者そうこしゃならある程度の文字は共通して使えるんだけれど、作家だからこそ文体や語彙にはそれぞれ個性があるからねぇ」


 と、十里は噛み砕いて説明してくれる。


「その人にしか書けない小説があるのと同じで、その人にしか扱えない言葉や使えない能力があるのさ。僕たちは『固有能力』って呼んでるよ。いわば個性オリジナリティの産物だね」

「剣術の得意技みたいなもんやろか……。ジュリィさんの場合は、活動写真みたいに映像を流してましたね」

「そう。僕は過去の記憶や遠くの景色を視覚化できるんだ。だから情報収集に回ることが多くて、実戦は苦手なんだよね~」


 文体の個性といえば──

 先ほどの闘いの最中、気になったことがあるのだ。

 虎丸はちらりと八雲を盗み見るが、悠長にも羽織の汚れをはたいていた。


「埃だらけになってしまいました。早く風呂に入りたいです。大浴場の湯が焚かれているといいのですが」

「ほら、もう着くからさ。お土産に買ってきた真珠麿マシマロ、紅と茜が喜ぶといいね。アンナに栗甘露煮マロングラッセもあるし~☆」

「あの高級そうな甘露煮をタヌキに……。オレのぶんはないんですか?」

仏蘭西ふらんすには、男に土産を買う文化なんてないよ~」

「茜ちゃん……はまぁええか。八雲さん、高尾姫は女の子でしたけど、アンナ本体も雌なんです?」

「さあ? 確認したことがないのでよくわかりません」

「そこも気にしないんかい! みんな大雑把か!」

「細かいこと気にしてるとモテないよ~」


 いかにも和と洋といった感じで雰囲気こそ正反対だが、八雲と十里はわりに仲の良いふたりだ。

 虎丸がそう言うと、


「十里君と私はわりかし似た部分があるのですよ。銀雪の件もそうですが、最終的に助けられれば良しとする考え方です」


 と、いつも無表情な青年作家は流れる瞳で十里を見る。


「経過より結果を優先する部分は、そうかもね~。経過を気にしてちゃ、意見の異なる僕なんてここにいられないからね。でも僕は部長と違って独断で動かないし、もっと仲間の言うこと聞くよ~?」

「おや、藪蛇で説教されてしまいました」


 ハーフの青年はばっさりとした物言いながら、相変わらずニコニコしていた。

 飄々かつマイペースな性格はたしかに少し似ていると、虎丸は思う。


 三人でがやがやと喋りながら歩いていると、白亜の洋館が見えてきた。夕方が夜に変わる薄暗闇の中、庭の小道に点々とガス灯が浮かぶ。

 玄関近くのガーデンテーブルで、赤髪姉妹の紅と茜がお茶を飲んでいるところに鉢合った。画報グラビアを開いて人気俳優の写真なぞを眺めながら、歓談中だったようだ。


「あ、帰ってきた。揃いも揃って、全身汚れほーだいじゃん。何してたんだよ」

「まあ、困ったわ。帰宅時間を聞いてなかったから、浴場の用意はまだなの。とりあえず浴衣にでも着替えてもらって、すぐにお湯を……。八雲、さん?」


 タカオ邸のメイドである茜は、風呂の準備をしようとあわてて立ちあがったが、青年作家の様子がおかしいことに気づいて言葉を詰まらせた。


 前兆もなく、突然のことだった。少なくとも、虎丸にとってはそうだ。


 さっきまで普通に歩いていた八雲が、いきなり力が抜けたように地面に両膝をついた。

 視線は遠く、どこも見ていない。放心して目を見開き、足から崩れ落ちたのだ。



「八雲ぶちょ──」



 真っ先に駆け寄ってきた紅はかがんで、がくっと首を落とした八雲の顔を覗きこんだ。

 赤髪がさらっと落ちた娘の細い首に、手が伸びる。


「くっ……」


 いきなり首を絞めあげられ、紅は手をほどこうとした。だが、相手が八雲とはいえ男の力だ。


「部長!」

「八雲さん、落ち着いて!」


 すぐに、十里と茜が引き離す。

 しかし、紅は苦しげな嗚咽を漏らしたあと、心配そうな茜を制止してもう一度八雲のそばに寄った。


 頭をかかえるように抱いて、耳元で何度も囁く。



「ぶちょー、八雲部長。大丈夫、大丈夫だから」



 しばらくして様子が落ち着いたのを確認し、十里が紅に言った。


「地下室に連れて行こう。僕が運ぶよ」

「……うん。虎丸、わりぃけどはずしてくんねー? 先に本館入ってて」


 急に起こった目の前の事態に固まっていた虎丸は、ようやく我に返る。

 おそらく、初めての事態ではないのだ。どこか手慣れた皆の態度で察して、引くことにした。


「へーい、わかりやしたっと……」


 なるべく彼らのほうを見ないように、会話が耳に入らないように、気を遣って。

 そそくさと早歩きで、玄関に向かった。



 ***



 心を持たない使用人たちは、虎丸の気持ちなど露知らず。

 片耳を天板につけ、広いテーブルに突っ伏している青年の周りで、食器がかちゃかちゃと乾いた音を鳴らす。絶賛夕食の準備中なのだった。


「体べたべたする〜。一応着替えたけど、はよお風呂入りたいなぁ」


 居候の身で勝手に焚くわけにもいかないので、ぽつんと大人しく待っているのである。

 やがて廊下を乱暴に歩く足音が近づいてきて、紅が食堂に入ってきた。他の三人の姿はない。


「おい、虎丸。オマエ、そろそろ大阪帰れよ」

「いきなりなんやぁ、紅ちゃん」


 またしても前触れなく、突然の通告だ。

 もとより呆けていたため、とくに驚いたりはしない。気の抜けた表情でゆっくりと上半身を起こし、半開きの目で仁王立ちの紅を見上げた。

 左手を腰に当て、もう片方の手で虎丸を勢いよく指差して言った。


「ジュリィに聞いた。今日闘った鬼、かなり強かったんだってな。次はどうなるかわかんねーぞ。死んでも責任とれねーから、とっとと帰れよ」


 戦力外通知かと思えば、言い方がぶっきらぼうなだけで虎丸を心配してのことらしい。


「おれたちが闘ってる相手は物の怪だけじゃないって、朝雲事件のときに察しただろ。感情を集めてる新世界派を、力ずくで止めようとしてる連中がいるんだ。そのせいでもう大正時代だってのに、幕末よろしく真剣振り回さなきゃなんねーわけ」

「でも、オレが帰ったら生身で闘える『闘者とうしゃ』は紅ちゃんだけになるやん」

「おれはいいんだよ。最初っから、八雲ぶちょーに命を捧げる覚悟でこの場所にいるんだから」

「情熱的やな~……」

「揶揄すんな。べつにおれだけじゃないぜ。考え方は違えど新世界派の部員は全員あの人の目的のために、一緒に地獄に堕ちる覚悟を決めて集まってんだよ」


 事情を知らないので、紅の熱弁もうまく頭に入らない。自分が部外者であることを突きつけられた虎丸が言えるのは、己の正直な心の内だけだ。


「……オレかて、簡単に引くにはいかんのや。このままじゃ帰られへん理由があんねん」

「んあ?」

「まだ約束の原稿書いてもろてへんし、帽子代も弁償してもらわなあかんし。ほんで、危険より怪奇現象より嫌なもの、それは……仲間はずれ!! 今の気まずい感じでスゴスゴと立ち去ったら、のけ者みたいで嫌やねん!!」

「寂しがりやかよ!! あぁもう、うぜーから勝手にしろ。死んでも化けて出るなよ」


 虎丸は虎丸で、開き直るために覚悟を決めることにしたのだった。


「勝手にしますぅ~。あと十日残っとる出張期間で、存分に東京を楽しんでみせるからなぁ! それからひそかな計画、いつかオレだけの出版社を興して新世界派の部員を全員引き抜くんや。末永く仲良くしてもらうでぇ……!」

「なんだそりゃ。すげー初耳なうえに興味ねーし」


 紅は呆れた顔で食事の席につき、それ以上はもう何も言ってこなかった。十里と茜も順番に戻ってきて、まるで何事もなかった様子で会話を交わしている。

 八雲だけは最後まで姿を見せなかった。



 その夜──

 深夜のタカオ邸の客室にて。

 虎丸は整えられたベッドの上で横になり、頭の後ろで腕を組んで考え事をしていた。


 先ほどの八雲の発作はなんだったのか。何故彼らには敵がいるのか。感情を集めている理由は? 新世界派には、虎丸の知らない秘密がまだまだ隠れている。

 仲間はずれも寂しいものだが、それより、今日の闘いで気づいたことがあった。部屋でひとりきりになると疑念は大きくなり、思考から離れなくなってしまった。

 


「『慈愛』と『憎悪』。表裏の言葉……」



 鬼との戦闘で疲れきった重たい体を起こし、大阪から持ってきた革製のバッグを漁った。

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