五 大団円はおとずれない

 ── 欲深き人の心と降る雪は、積もるにつれて道を失う



 頬が、額が、全身が冷たい。

 ぼんやりとした頭で薄く目を開けると、どこまでも空高く銀世界である。


 うつ伏せで倒れていた虎丸は慌てて上半身を起こし、周囲を見渡した。

 崩壊した屋敷の中で闘っていたはずなのに、いつの間にか外にいる。


「あっぶな! 辞世の句が勝手に心に浮かんできとったわ。まだ死なんて!」


 まだ十一月の下旬、初雪さえ早い。だが、大粒の雪が途切れることなく降り積もっていた。銀の霜に覆われて隠れているのは、褪せた灰色をしているが竹だ。視界の続く限り、並び立って生えている。


 虎丸は今、永久に出口のない竹林の中にいた。

 隣には景色に同化しそうな白髪と白装束の鬼、『白鬼子しろきし』がぼんやりと立っている。


「ていうか今の、高橋泥舟の句やな。無意識で文才が開花したかと思ったわ。白鬼くんは江戸生まれなんやろ。幕臣とか有名な武士に会うたことある?」


 立ち上がって番傘を開き、白鬼子の頭上に差し出した。思わぬところで役に立った十里じゅうりの遊び心である。


「おお!? 手ぇ血濡れの真っ赤やで!? 怪我してるん!?」


 景色も鬼も真っ白な中で、鮮血の赤が毒々しく映る。虎丸に言われて白鬼は自分の濡れた両手のひらを広げ、黙って見下ろしていた。

 目元の繃帯ほうたいがはずれており、そのため最初の印象よりずっと幼く見えた。コウの弟、中学四年のあかねよりもさらに二、三歳下くらい。少年どころかまだ子供と言って差し支えない年頃だ。

 白く伸びるまつ毛に縁取られた瞳が、薄赤い。


「なんやっけ、蛇とか兎におるめずらしいやつ……白子しろこか。なーるほど、白子と鬼子で合わせて白鬼子って呼ばれとったんやな」


 白鬼は答えない。竹林の奥から、冷たい風の音にまぎれて女の声が聴こえてくる。

 そのあとに続く、子どもの声。



 はどうしたって?

 知らないわ、白いから、雪のなかにいるでしょう

 すぐに殺せばよかったのに、白子は神の使いだとかで騒ぐ連中がいたせいで

 では、どうして角と牙が生えているのかしら

 呪われた鬼の子ども

 これほどの商家に嫁入りできたのに、が産まれるなんて


 かあさま、ぼくは大丈夫

 ちゃんと独りでここにいられる

 邪魔はしないから、かあさまの

 ぼくがかあさまの子どもだって世間様にしられたら、

 かあさまがいじめられるから

 だから、白子でも鬼子でもいいから、名前をよんでほしい



 ふたつの声は、すぐに吹雪にまぎれて掻き消えていった。


「……アンナといい、悲しい物の怪ばっかりやな。ハッピィな気分が高まりすぎて感情が現世に残るなんてあんまりなさそうやし、しゃあないのかもしれへんけど。もしオレが物の怪になるとしたら、歌って踊ってる最中とかに死んでその気分のまま化けて出てみよかな。なぁ、ええと思わへ──」

 

 白鬼は赤く染まった手に、さっきまではなかったなた包丁を握っている。

 


 死にたい、死にたくない、生きたい、生きたくない、死にたい、死ねない、生きられない、殺したい、殺したくない



 そう叫びながら、何度も、何度も鉈で地面を叩いた。

 血が散った雪の下には、黒く濡れた長い髪の毛が埋まっている。


 今虎丸に見えているもの、それが今起こっている光景ではないことは、高尾山での経験でわかっていた。


 白鬼子の記憶が反映した世界。

 幼い日に雪の降る竹林で過ごした記憶。母親の背丈を越した頃、その手にかけた記憶。


 ──人間として認められるため、良い子でいようとした。

 十年以上の悲痛と忍耐が、すべて無に帰した瞬間の記憶。押し殺していた自らの凶暴性に気づいて絶望した、そのときの。



 やっぱり、ぼくは、かあさまの子ではなく、鬼の子だった

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい産まれてきて、ごめんなさい



 角と牙と赤い瞳を持って生まれてきた少年の叫びが、聞こえる。



 ──あぁ、一番深い悲しみ。これが『絶望』か。



 虎丸がふたたび白鬼子のほうへ手を伸ばそうとしたとき、背後にぞっとするような気配が現れた。

 雪の積もった地面に、鬼の形をした巨大な黒い影が滲んだ。



 ***



「屋敷にはいないようですね。あの鬼は生前敷地から出たことがないはずなので、移動するとしたら庭でしょうか」

「……八雲部長。先に謝っとく、ごめんね」


 民家内の八雲と十里は、目の前で消えた虎丸を探していた。先ほどから口数の少なかった十里じゅうりが、気を落とした口調で呟く。


「何の謝罪です?」

「ん~……鬼とはいえ、まさかあそこまで大きくて強力だと思ってなかったんだよ。都会の真ん中だしさ、とくに被害も出てなくて、噂もお化け屋敷程度だったから。僕が軽率に連れてきたせいで、虎丸くんを危険に晒してしまってる」

「うちの部員が面倒事を起こすのは慣れていますので、部長業務の延長ですよ。最大の面倒事の元凶は自分という自覚もありますしね。それはともかく、相手が強いだけなら虎丸君が謎の気合いでどうにかしそうな気もします。ですが、今回ばかりは敵の性質と相性が悪い」


 八雲はさして気にしていないようでふっと微笑んだが、後ろの言葉だけ少し語調を堅くした。

 十里も同調して首を縦にふる。


「うん。あの手の感情から発生した物の怪は、人にかまわれると呼応しやすい。めちゃくちゃ話しかけたりしてなきゃいいけど」

「──これは相当自信があるのですが、めちゃくちゃ話しかけているほうに三十銭と四厘を賭けてもいいです」

「僕もそんな気がするね。賭けは不成立、合わせた六十銭八厘でお土産でも買って帰ろう。虎丸くんは、ただの愉快な子だと思ってた。良い子なんだね」

「人の良さと精神力だけが売りですよ、彼は」

「だからこそ逆効果なんだ。優しさが通用しない相手ってのが、世の中にはいるんだよね。人間だろうと、物の怪だろうと。手遅れになってしまえばもう想いは届かない。憐れむほどに、絶望の闇に堕ちていく。『白鬼子』の物語の結末に……決して、大団円デェイヌゥマンはおとずれない」


 ずっと鬼の物語を虚空に書き綴っていた八雲がようやく手を止め、原稿用紙に文字を封じ込める。十里の言葉に対しては、何も言わなかった。


「とりあえず、終わりました。家の中にいないなら、外でしょうか」

「あっ、裏庭の竹林のほう、ちょっと歪んでない?」


 壊れた壁の隙間から、十里が外を指差した。群生した竹林の空間が、蜃気楼のように歪に曲がっている。


「感情が大きく揺らいでいますね。行きましょう」


 頷き合って、ふたりの作家は瓦礫だらけとなった民家を出て庭へと向かった。

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