六 梅の芳香に守られて

 ゴロツキを引き連れた銀髪の男が目の前を通りすぎるのを待ってから、虎丸は小声で茜に尋ねた。


コウちゃんは事情があるからともかくとして、八雲せんせまで借金取りに追われてるん? 虫も殺さなそうな顔やのにさすが小説家……。借金に遊廓通いに、私生活乱れとるな~」

「あの男たちが八雲さんの話をしたことなんて今までなかったし、そんなはずないけど……。引きこもりなだけで、お金に困るような生活する人じゃないよ」


 と、茜は思い当たるふしがないらしく首をかしげている。


「そ、それは、はたしてええのか悪いのか……。あと黒い入れ墨って、最近どこかで聞いたな。なんやっけ」


 記憶の糸をたぐり、はっと気づいた。

 昨日兵刃を交えた薙刀道場の師範代・七高しちたかが漏らしていたのだ。


の入れ墨が刻まれた男が現れ、ぼくの朝雲を現実にしてくれたんだ』


 その直後、後方から射られた矢が喉に突き刺さり、彼は文字の集合体となって消えた。


「架空の花魁をほんまもんにしてくれたのが、黒い入れ墨の奴って言うてたわ。でもさっきの無気力男は菊じゃなくて蛇やったなぁ。何か関係あんのやろか」

「ねえ、虎丸さん。あいつら、今度は刃物持ってる」

「え!?」


 木の陰に隠していた身を乗りだし、すでに小さくなった男たちの後ろ姿を目で追う。

 先頭の派手な男以外全員、白鞘に収まったドスを帯に挟んでいた。


「紅ちゃんと八雲先生を釣ったって話してたよな。借金の取り立てとは別の目的なんか?」

「ぼく、それで連れてこられたのかな……。紅ちゃんは毎月ちゃんと返してるから、今までこんなことなかったのに」

「ほんなら、ふたりが危ないんとちゃう? 助けに行かな!!」


 虎丸は男たちの後を追うため駆けだそうとしたが、茜はその場に立ったままだった。


 何年も大事に着てきたのがわかる黒い学帽と学生服が、風に吹かれて細かく震えていた。花はついていないのに、さっき茜の話で聞いていたためか、揺れる紅梅の枝から芳醇な香りが漂っているような気がした。


「ねえ、紅ちゃんは本当は女の子なんだよ」


 視線は地面に落としている。

 まっすぐ一点を見つめており、怯えている風には見えない。

 おそらく、後ろめたさのせいで動けないのだ。


「ぼくは、あんなに小さくてか細い姉の後ろにずっと隠れてた卑怯者で、ごめん、だから」


 絞りだすように赤髪の少年は囁いた。


「虎丸さん、今は、代わりに──紅ちゃんのこと守って」

「まかしとけ!!」



 ***



 細い路地を走って銀髪男とゴロツキを追いながら、さて丸腰でどうしようかと虎丸は考えていた。

 勢いだけで駆けだしたわけではないが、悩んだからといって武器が出てくるわけでもない。


「たしか中学んときいきなり不良に囲まれて、相手の木刀を奪い取ってどうにかしたような……。結局負けてボコボコにされた気ィするけど、まあええわ、そんな感じの作戦でいこ!!」


 移動していなければ八雲と紅はまだ大通りの門近くで待っているはずだ。

 できれば奴らが通りに出る前に食い止める。無理そうならふたりのところまで逃げて紅に手伝ってもらう。

 茜に向かってまかせろと言った手前、かっこよくはないがしかたない。



「ゴロツキどもぉ! やっぱり悪い奴らっぽいから成敗したる!」



 二度目となる台詞を、今度は確信を持って叫ぶ。

 背後から飛んできた声を聞いて男たちは一斉に足を止め、振り返ってすごんできた。


「さっきのガキじゃねえか。俺らの邪魔しやがったら、借金の相続人になってる紅の立場がまずくなるって親切に教えてやっただろうが! もっと激しい取り立てしてやってもいいんだぞコラ!」

「邪魔せんでも、どうせ自分ら今から何かする気やろ!? ここで止めさしてもらうで!!」


 四人は躊躇いもなくドスを抜き、虎丸に襲いかかってきた。



 ──なんや、こいつら。異様に強いな……!!



 男たちの首元や腕にそれぞれ、インクの染みのような模様が浮かんでいるのが見える。小さな黒い八つ菊の花紋。七高の指先に浮かんでいたのとまったく同じだ。

 あの師範代は元々武道家だったので腕が立つのも疑問に思わなかったが──


 この四人はゴロツキだけあって荒事には慣れているとしても、武道の心得がある動きではない。それなのに、常人をはるかに凌ぐ身体能力を持っている。


 正直なところ、隙をついて武器を一本拝借するくらい簡単だと思っていたのだ。

 刃物の扱いは素人同然なので四対一でも避けることはできる。しかし、腕力や身のこなしが少々人間離れしているのは計算外だ。奪うまでできるかどうか。



「虎丸さん、これ!」



 背後から声がして、細長い棒が飛んできた。



「昔から物置に置きっぱなしになってたの、思い出したの。十年以上経ってるけど使えるかな……」

「茜ちゃん、助かった!!」



 埃を被っているが、受け取ったのはれっきとした木刀だ。


「よっしゃ、これで四人くらい何とかなるやろ!」


 得意武器を手に入れ、水を得た魚のように虎丸は敵に向かっていった──


 が、やはりおかしい。

 真剣でなくとも、木刀で頭を殴られれば普通の人間は倒れる。

 それなのに、この男たちは何度打ち込んでも倒れるどころか、まったく効いているように見えない。


「や、打たれ強すぎ! 避けれるけど、どんだけやっても倒せへんやん!」

「きみたちさ、ちょっとどいててくれる……? なかなか決着つかなそうだし、きりがない……」


 ゴロツキたちの間を割るようにして、先頭にいた銀髪の男が進みでてきた。

 命令を聞いて屈強な手下たちがさっと道を空ける。

 

 女子のように長い髪を後ろで束ねており、派手な外見とそぐわない陰鬱な雰囲気の男だった。白い軍服風の衣装を着ているが、正規の軍人ではなさそうだ。


「はぁ……」

「いきなりため息!?」


 心からかったるそうに、銀髪の男は息を吐いた。


「俺さぁ、低血圧なんだよね……。なのに夜勤明けからの早朝出勤だし、時間外手当とか出ないし、面倒事はほんと勘弁……。うわあ、しかもこういう明るくて友達多そうな感じの子、一番苦手なタイプ。むりむりまじむり、近寄らないで」

「えぇ……知らんがな……。なんやねん、この男……」


 ジトッとした視線と無気力な口調。虎丸に話しかけているというより、まるで独白のようだ。独特のテンションのせいで、さっきまで入っていた気合いが抜けていきそうである。


「悪いけど面倒だし日光も人も眩しいのほんと苦手だから、さっさと眠ってもらおうっと……」

 

 胸のポケットからペンを取り出し、虚空に走らせた。黒い蛇の入れ墨が手首の動きに合わせてゆらぐ。



 ──文字の力!? この無気力男、八雲さんらと同じ操觚者そうこしゃってやつか!?

 


 どんな文字が出てくるのかと警戒を強めたとき、鋭く重い音が空中を走った。


「……んな、今度は銃声!? いったいどこから……!?」


 警官か遊廓の自警団が騒ぎを聞きつけてきたのかと周囲を見渡すが、人影はない。

 銃弾は虎丸と銀髪男のちょうど真ん中を通過して板塀に埋まっていた。亀裂が入り、木の焦げる臭いがかすかに漂っている。


「ああ、もう……、やっぱり厄介だなぁ……。捕獲の最優先はあっちか。ほら、行くよ……」


 無気力な銀髪男はぼやきながら、ゴロツキたちを連れてあっさりと道を戻っていった。虎丸のことなど最初からほとんど気に留めてないといった様子である。

 茜とともに路地にポツンと取り残され、半端になってしまった闘いに若干拍子抜けする。


「……あれ、終わったんかな? あいつらが何者かも、銃弾がどっから飛んできたかもわからへんし、なんかいろいろすっきりせえへんなぁ」


 だが、八雲と紅の安全のほうが大事だ。男たちが引き返した以上、無理に追う必要はない。


「って、茜ちゃん、大丈夫!?」


 木刀を持ってきてくれた茜は、足がすくんだのかその場にへたり込んだ。

 駆け寄ろうとした虎丸は地面に放りだされた赤い髪の束に気づく。闘っている最中にゴロツキの懐から落ちたのだろう。拾って、茜に差し出した。


「ほい、大事にしてた髪の毛」

「……いらない。いつまでも紅ちゃんやみんなに守られてないで、早く、男に戻らなきゃいけないのに。強くならなきゃ」

「んんん、難しいなぁ~」


 胸の前で腕を組んで唸りはじめた虎丸を見上げ、茜が尋ねる。


「いまさら戻るなんて、無理だと思う? 今だって紅ちゃんが危ない目に遭いそうなとき、動けないような弟なのに」

「ちゃう、ちゃうねん。昨日は脱衣の衝撃で盛りあがってもうたけど、頭をまっさらにしてよう考えてみたら、戻るもなんもないねん。だって女やと勘違いしてたときも、男やってわかったあとも、茜ちゃんはひとつも変わらへんかったやん。オレが勝手に騒いでただけで」

「……変わらなかった? 本当に?」


 茜は瞳に光を取り戻して聞くが、同時に少し不安そうだった。


「ほんまに。紅ちゃんがずっと乱暴で勇ましいのと同じで、茜ちゃんはずっと穏やかで優しかった。女袴も学生服も両方似合てるわ。八雲先生だって性別なんかどっちでもええって言うとったし、興味すらなさそうやん。ちゃんと木刀も持ってきてくれたやろ? 男の恰好にこだわらんでも、なりたい自分にはなれるって!」

「じゃあ、何が難しいの?」

「オレがどう思っててもなぁ。さっきみたいな心無い言葉を浴びせられるのは、茜ちゃん本人やん。それやのに自分は自分やから堂々としとったらええねん、なんて軽々しく言うの、無責任で自己満足な気ィして難しいわぁ~」


 目を閉じて真剣に悩んでいる虎丸を、茜は視線をあげたままじっと見つめる。


「……思慮深いんだね、意外と」

「オレはいつだって思慮深いです~。とにかく、無理して男に戻らなって思わんでも、自然体でええんとちゃう? 殴るお父ちゃんはもうおらへんねん。どんな服着ても、誰も茜を責めたりせえへん。紅ちゃんだって今は好きで女の子の恰好してるんやから、昔のことより前を向こうとしてるはずやん?」

「そうなのかな……」

「せやって!」


 虎丸が人懐っこく歯を見せると、茜も安心したように微笑んだ。


「自然体で……。学生服も嫌いじゃないけど……。女物の着物もリボンもメイド服も好きだから、似合ううちは着てもいいのかな」

「そーそー、気負わんでもええねん。もうふたりとも、自由なんやから。そろそろ行こか? 紅ちゃんも八雲さんも待ってるで」


 差し出された手を取って茜は立ちあがり、昨晩と変わらない可憐さでまた笑う。



 ──オレなんかの言葉で、長年縛られてた鎖は解けへんやろうけど。いつか本当に前を向くきっかけになったらええよなぁ。



 少なくとも、さっきよりもはずっと晴れやかな表情をしている。


「そういえば、紅ちゃんよりぼくのほうが可愛いって昔からよく言われて──」

「踏まれるで!?」


 すっかり調子を取り戻し、黒コートの青年と学生服の少年は楽しそうに会話を弾ませながら仲間たちの待つ大通りへ戻っていった。



 ──銃弾の飛んできた方角。


 路地のつきあたりは今朝八雲が入っていった高級妓楼だ。窓辺で『白梅』の煙を吐き出しながら、彼らの姿を見下ろす人物の姿があった。

 煙管キセルの灰を外に落とす手が覗く。漆黒の着物から伸びるもう片方の手には、旧式の回転式拳銃リボルバーが握られていた。

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