第三幕 紅梅の庭

一 袴姿の姉妹は仲睦まじく

「はああ、とてたま~」

「とてたまだわ~」


 若い娘たちの華やかな声が漏れているのは洋館・タカオ邸の一階。

 扉や窓に上品な色合わせのステンドグラスがはまった、西洋の教会のように美しい食堂である。


 姉妹で長テーブルに座り、ふたりして夕焼け色の長い髪を揺らしている。

 おしゃべりに興じながら、彼女らのお気に入りだという『八王子名物黄身餡饅頭きみあんまんじゅう』を幸せそうに頬ばっていた。


 髪を左右で二つ結びにしており、口が悪いのは姉のコウ

 後ろでゆるく結った下げ髪風で、おしとやかなのが妹のあかね


「肌寒い秋の夜長に、暖かい暖炉と甘い饅頭。卵と 牛酪バタの風味……。たまんねー」

「喜んでくれたのなら、買ってきてよかったわ。こんなに素敵な休日の夜は『源氏物語』を読み返したくなるわね」

「オマエ、毎日読んでんじゃん」

「わたしね、光源氏と小君の関係で新しい解釈の可能性を見い出したの。さっそく明日学校で友人と議論しなきゃ……。とてたまだわ……」


 顔立ちは双子のようにそっくりだが、歳は四つ離れているらしい。


 色違いの矢絣やがすり小袖を着て、足元はおそろいの編み上げブーツ。袴の丈は違うが、統一された装いは並ぶととても可愛らしい。紅はかなり小柄なので、背丈は妹である茜のほうが高かった。


 そして、壁際のソファには娘たちの会話を見守っている青年がふたり。

 無表情で変わり者の作家・八来町八雲やらいちょうやくもと、彼の原稿をもらうために大阪からはるばるやってきた新人編集者の本郷虎丸ほんごうとらまるである。


「あの、彼女らが言っているアレはどういう意味なのでしょう」

「とてたまですか? 女学生言葉ですよ。『とてもたまらない』の略やったかな」


 こそっと尋ねてきた八雲に、虎丸が耳打ちをする。青年作家はまだよくわからないといった表情で首をかしげていた。


「茜ちゃんは学生なんや。十六なら高等女学校の第四学年かな?」

「……ええ。この洋館でメイドとして奉公しながら、学校に通わせてもらってるのよ。わたしは新世界派の部員じゃないけれど、文学は大好きなの。よろしくね、新米編集者さん」

「メイドさんかぁ……。ええな……、おしとやかな茜ちゃんにぴったりや……」


 虎丸はすっかり鼻の下を伸ばしている。

 茜を一目見てからというもの、ずっとこの調子だ。


「虎丸君、あなたはさっき紅のように活発な娘が好みだと言っていませんでしたか」

「何を言うとるんですか、八雲さん。大和撫子は大正義です。こういう子が嫌いな男なんて日本男児とちゃいますよ! でも、勝ち気な娘もそれはそれで好きです!」


 拳を握りしめて熱く語る。とはいっても、紅の性別がどちらなのかまだ知らないのだ。暫定的に『姉妹』『彼女』と呼んでいるだけである。

 八雲は虎丸の持論にまったく興味がなさそうで、さっき拾った原稿用紙をごそごそと帯から抜いて読み始めた。


 洋館には電気が通っていないので電球はないが、暖炉とあちこちにある蝋燭ろうそくのおかげで室内はそれなりに明るい。外観から期待したとおり、タカオ邸は内装も豪華で立派だった。置いてある家具や調度品は高級な物ばかりである。


 今朝まで見当たらなかった使用人が戻ってきており、確認できるだけで十数名が行ったり来たりとせわしなく働いていた。


「昨日はガラーンとしとったから幽霊屋敷みたいやったけど、使用人がぎょうさんおったんやなぁ。こんだけ広いと当然か。掃除が大変そうや」

「わたしは人間だからまとまった休暇をもらってたの。二十巻の刊行が終わって活版所も休業したし、部員のみんなも出かけちゃったしね。明日からメイドのおつとめ再開よ」

「人間だから!?」


 茜が笑顔でとんでもない発言をする。びくびくと周囲にいる使用人たちを見渡してみると、虎丸はある事実に気がついた。


「かかかか、影がない! この人ら、影があらへんで!! そういえば動いとるのに物音もほとんどせえへん!!」

「もう二度も見ているのに、まだ慣れないのですか」


 原稿に落とした視線をあげもせず、八雲が平然と言った。


「ば、化けタヌキ!?」

「タヌキ説、好きですね。この館で働いている使用人は『形容化』された文字で、部員のひとりが操っているのです。創作の陰陽師が和紙を人間などに変えて使役するでしょう。あれと似たものだと想像してください」

「あ~、人形浄瑠璃とかでありますよね、陰陽師の物語。とにかく、ここで働いとるのはあの変態師範代と同じ文字でできた人間ってことなんですね」

「はい、普通の人間は茜だけです。──というわけで、例の師範代が残した原稿用紙に今しがた目を通し終わりました」


 八雲は原稿用紙の束を二つ、テーブルの上に置いた。どちらも比較的新しい紙だが、片方はかなり読み込んでいたらしく独特の皺がついている。


「こちらのくたびれたほうが、花魁・朝雲の小説。書いたのは七高しちたかでしょう。特別変わったところのない、よくある愛読者のオマアジュ作品ですね。下敷きにしているのはもちろん、千代田紅の『あかねさす』です」


 向かいに座っている紅に、八雲が原稿を手渡す。紅は片眉をあげ、嫌そうな顔で読みだした。


「要するに紅ちゃんの小説のファンやったんや。行動も欲望も人間そのまんまですけど、七高って結局何者なんです?」

「オマアジュを否定はしませんが、文学作品としては今ひとつです。うわべだけで紅の文体を模倣しています。熱心ですが小説を書いたことのない、ごく一般的な読者だったのでしょうね」

「オレの質問も聞いてーー」


 紅は先ほどからずっと不機嫌そうに頬杖をついている。原稿用紙を指でとんとんと叩いたあと、ようやく口を開いた。


「……今回の朝雲事件、おれらと同じ力を使ってる時点で七高の単独犯じゃねーのは当然として。背後にかなりやばいタイプの操觚者そうこしゃがいるよな」

「はい。私たち新世界派の部員五名の中ですら、誰にもできない種類の『形容化』──それをできる者が、少なくとも一名」

「黒菊の入れ墨、とかなんとか言ってたっけ。矢で七高を始末したのがソイツなのかな。八雲部長、どうする?」

「今すぐにどうこうはできません。残りの部員、タカオ活版所所長、あとはあるじへ、速やかに報告します」

「すぐ動こうにも、館に誰もいねーしなぁ」


 ふたりの会話をさえぎるようにバーンと威勢のいい音が鳴って、虎丸が椅子から立ちあがった。


「ちょおっと! 仲間はずれにせんで、オレの話も聞いてくださいよー! ぜんっぜんわからへんけど、わからへんなりに気になるんです!」


 八雲と紅はぽかんとした顔で、大声を出した青年を眺めている。主張してみたものの、またしても流されるとばかり思っていたのだが、意外なことに紅が虎丸を気遣うような態度を見せた。


「ぶちょー。外部に漏らしたくない話なのはわかるけどさ、コイツも命賭けで闘ったわけだし、その。ちょっとくらいいんじゃね?」

「戦闘要員としてのみ都合よく利用できれば最良でしたが、すでに様々なものを目撃してしまっていますからね。しかたがありません」

「今、めっちゃヒドイこと言った!!」


 丁寧な口調に隠れているが──

 紅よりも八雲のほうがはるかに非道なのではないかと、ようやく気づく虎丸である。


「ほらよ、これ」


 紅が見せてくれたのは、もうひとつの原稿。つまり七高が消えた場所に残っていたものだ。


「どれどれ? 七高征爾せいじ、一八九〇年東京府北多摩郡に七高家の長男として生まれ……って、お見合いの釣書かいな!」


 原稿用紙に書かれていたのは、七高という男の詳細な身の上だった。


「あ、わかった。こうやって登場人物のプロウファイルを書いて、そんで『形容化』ってやつをしたら、どどーんと架空の男前が出てくるんでしょ!? 当たってます~?」

「それならば、よかったのですがね。私たちが使用人を形容化して使役しているのと変わりませんから」


 八雲は口元に指をそえて、感情のない顔で原稿を視線を落としている。


「彼は日常生活を営み、薙刀の師範代という役割までこなしていた。ゼロから架空を形容化した文字では、あれほど複雑な人格を持ちえません。ここの使用人たちとて、予め命令された仕事以上のことはこなせない。人を創り出すのはそれだけ難しいのです。つまり、この場合──逆です。七高征爾は間違いなくこの東京で生まれた人間だった」

「てぇことは……?」

「人間を、文字にした。何者かが七高を『逆形容化』して架空の人物に変えたのです。目的は不明ですが、敵が持っているのはそういう力なのでしょう」



 ***



 洋館の二階、瀟洒しょうしゃなバルコニーで虎丸はぼうっと空の星を眺めていた。

 タカオ邸で出された夕食は大変美味であった。料理人にお礼を伝えてみたが、彼らは八雲の説明どおり、命令で動くだけの人形のようなものらしい。

 見た目は普通の人間だというのに、心を持っていないのだと少し話せばわかる。返答は定型文しか返ってこなかった。


「怪奇現象は嫌いやけど……相手がほんまもんの物の怪やったほうが、よっぽどよかったなぁ。ぶん殴るくらいならまぁええとしても、自分と同じ人間を消すなんてオレにはできへんわ……。直接手は下してへんけど原因は作ったし、あの変態師範代は死んだことになんのかな……」


 手すりに顎をのせ、完全に意気消沈である。


「虎丸さん、夜風は冷えるでしょう。はい、ショオル。あら、こんなに手が冷たくなってる」


 気落ちしている背中に声をかけてきたのは可憐な少女、茜だった。

 暖かい布が肩にかけられ、白く滑らかな手が伸びてくる。触れた肌の柔らかさに、虎丸は落ち込んでいたことも忘れかけてデレデレと表情を崩した。


「あ、茜ちゃん……。エンゼルに見える……」


 寒い季節の星は明るく輝いている。澄んだ空気も、白んだ吐息も綺麗だ。女子と並んで夜空を見あげ、他愛のない会話を交わす。

 本郷虎丸、十九歳。少し遅めで初めての青春である。


「茜ちゃん、休暇中はどこか遊びに行ってたん?」

「村に帰って、お墓参りだけ。ちょうど父の命日だったから」

「父ちゃん、亡くなってるんや。母ちゃんは?」

「母はもっと昔に死んじゃった」

「あ、ごめん……」

「気にしないで。わたしには紅ちゃんがいるもの」


 少し悲しげに微笑む表情はまさに花のよう。もし自分に甲斐性があったなら姉妹まとめて養いたい。と、虎丸は邪な野望を抱く。


「紅ちゃんは昨日もタカオ邸におったよな。一緒に墓参り行かへんかったん?」

「父のこと大嫌いだったから。紅ちゃんは死んだあとでも許してないわ。わたしもそうだけど、掃除はしておかなきゃお寺に迷惑かかるし」

「そうなんや……。でも、妹やのに茜ちゃんはしっかりしとるなぁ」

「いつもわたしをかばって、紅ちゃんばっかり父さんに殴られてたの。ずっと守ってもらってたから、掃除くらい、いいのよ」

「……」


 虎丸は、こういう話にめっぽう弱いのだ。

 美しい姉妹愛に目をうるませていると、明るい廊下から八雲が顔を覗かせた。


「おや、ふたりともここでしたか。大浴場の準備ができたそうで、あなたがたも行きますか」

「八雲せんせ、朝風呂派やなかったっけ」

「湯があるなら朝でも夜でも入ります」

「ただの風呂好きかい!」


 茜も嬉しそうにはしゃいだ声を出す。


「やったぁ、久しぶりの大きいお風呂だわ。八雲さん、いっしょに入りましょ」

「はい」

「ハァ!?」


 八雲の了承と、虎丸の驚愕はほぼ同時であった。


「いっしょに、入るて!?」

「虎丸さんも入りましょ」

「ええ!?」

「鼻血、出るの早いのね」


 虎丸さんも、と言われた瞬間に出てきたものはどうにもならない。


「涙を流したり血を流したりと、忙しそうですね。面倒なので単刀直入で説明しますが──茜は、男子ですよ」


「……はい?」


 八雲は淡々と、抑揚のない声で言い放つ。

 だが、しかし──


 いくらなんでも、単刀直入が過ぎる。

 あとほんの少しくらい湾曲的な表現をしてくれても罰は当たらないのではないかと、頭を真っ白にしながら虎丸は思う。


 直球すぎて、理解が追いつかないのだ。


「えっーと……紅ちゃんと同じ、性別不詳娘な感じ?」

「呼称については、本人が妹と呼ばれることを望んでいるので尊重しています。ですが、はっきりと男子です。紅は大浴場に入らないので不詳というだけで、彼はいつも一緒に入っていますし──」


 真顔の八雲と微笑む茜を交互に見て、虎丸は失恋したかのような気持ちを抱えたまま、その場に崩れ落ちていったのだった。

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