二 白亜の洋館に住む者たち

 謎の幻想小説家を捜すため、新人編集者の本郷虎丸ほんごうとらまるは帝都に降り立った。


「これが東京駅かぁ。綺麗やし、でっかいなー!」


 駅前の路面には電気鉄道が走り、客待ちの人力車が何台も停まっている。流行の最先端だけあって行き交う人々は関西よりも洋装が多い。ビヤホールの看板が建物を華々しく飾っていた。


 先ほど読んだ小説の読後感は、眠って起きると不思議なくらいストンと消えていた。

 気を取り直し、初めてやってきたきらびやかな街並みを眺め、胸を躍らせる。


 が、しかし。

 虎丸の目的地は、東京といえどもっと端なのである。


「ええと、八王子に行くには……。あー、銀座とか浅草とか、めっちゃ寄り道したい……」


 独り言を漏らしながら案内所で経路を確認する。乗合バスの時刻に間に合わせるためには、観光をしている暇などない。


 編集長に命じられた期限は三週間。まだ相手の所在すらよくわからない状況なのだ。


 まずは『狂人ダイアリイ』の作者・八来町八雲やらいちょうやくもを探しだすこと。

 真面目な性分とはとても言えないが、虎丸は負けず嫌いだ。初めて任せられた仕事で失敗するわけにはいかないのである。


 涙を飲みながらいくつもの駅を通過し、八王子に到着した。駅前から出ているバスに乗り、終点で降りた頃には青かった空が少し白んでいた。


 ほとんど整備されていない路傍にぽつんとある、さびれた停留所。有名な高尾山を一望に収めることができる景色は圧巻だが、どこを見渡しても山、山である。

 同人雑誌『新世界』を印刷した活版所の住所は、この周辺だ。


「ここらで合っとるはずやねんけど、家と家が、遠っ……」


 民家がまばらすぎて、一軒隣にいくのも一苦労だ。どれだけ見比べても、今いる場所と冊子の後ろに記載された住所がなかなか噛み合わない。駅で買った地図を恨めしげに睨みながら、このところめっきり冷たくなってきた風に身を震わせた。


 停留所にさえ着けばすぐだと思っていたのは甘かった。

 隣の番地がひどく遠いのだ。


「ん、なんや。いきなりでっかい建物……?」


 歩き回りすぎて、いつの間にか山の麓まで来ていたようだ。

 ふと地図から目を離して顔をあげれば、なだらかな斜面の上に建つ瀟洒しょうしゃな白亜の洋館がこつ然と現れた。

 さきほどまで何もなかったような気がするのに、狐につままれた気分だ。


「うおお、めっちゃルネサンスやん! ハイカラやなぁ~」


 午後の陽が降り注ぐ、真っ白な二階建ての洋館。


 尖塔が突き出した屋根はシックな青碧色。人里から離れた奥地にひっそりとあるのが不思議なくらい、今風の洗練された建築物である。

 見事な秋薔薇の咲いた庭を抜けると、アーチ型の正面玄関に『タカオ活版所』『新世界派』と並びで書かれた木看板が立てかけられているのを見つけた。


「よっしゃ、活版所発見~! 新世界派……? って、閉まっとるやんけ!」


 叩き金ドアノッカーを鳴らすが反応はなく、扉に耳を当てても洋館の中は静まり返っている。人の気配はまったくない。


 日曜日でもない平日の午後である。まさか閉まっているという可能性を考えていなかった虎丸は、ううむと立ち往生した。時刻表を見るかぎり、一番近くの停留所まで乗ってきたバスは一日一往復のみだ。駅まで戻る手段はもうない。

 最後に民家を見てから随分歩いた。もちろん近辺に宿などない。


 そのことに気づくと、急に山の静けさが気になり始めた。


 どこにも、誰もいない。

 空は徐々に薄暗くなってきたような気がするし、遠くで聴こえる鳥の鳴き声さえ不気味だ。


 虎丸は気風のよさで売っているが、実は幽霊や怪奇といった類のものだけは大の苦手なのだ。


「いや、なんてことないわ。まだ明るいやん。怖くない、怖くな……ギャアアアア!!」


 頭の後ろを何かに触られたように感じて、思わず情けない叫び声をあげる。

 風が掠ったと思ったら、深く被っていたはずの中折帽子が突然舞いあがって空高く飛んだのである


「うっ、うわわわわわわ!?」


 慌てて距離を取りながら振り返るとそこには……。

 海老茶色の袴を履いた小柄な娘が立っていた。


 矢絣やがすり模様の着物に、たっぷりはみ出した半襟。膝までしかない丈の袴が少々お転婆な雰囲気だが、今時の女学生にいそうな恰好だ。

 左右で二つに結った長い髪が、彼岸花のように赤い。


「うわっ、こわっ!! 近くにおったん全然気づかへんかったしー! どうやって帽子飛んだんや!? 背丈届かへんよな!? ギャー、絶対幽霊やん!!」


 自然の風など少しも吹いていなかったのだ。虎丸は腰の力が抜けてしまい、へなへなと地面に尻もちをついた。騒ぐ青年を見下ろして、娘は冷たく睨む。

 そして、ダンッと音がするほど強く編みあげブーツの底で虎丸の胸を足蹴にすると、よく通る高い声で吐き捨てた。



「うるさい、騒ぐな、ぶっコロすぞ」



 あまりにも外見と似つかわしくない台詞に、一瞬硬直する。

 そのとき風に舞った帽子がぽとりと横に落ち、虎丸はハッと気を取り直してふたたび頭にのせた。


 咳払いをし、へりくだった猫撫で声であらためて娘に尋ねる。


「あのう、お嬢さん。つかぬことをお聞きするんやけど?」

「あん?」

「八来町八雲って作家、このへんに住んどる?」

「オマエ、八雲さんの客なのか? ほんとか? 返答によっちゃタダじゃ帰さねーからな」


 招待されたわけではないので、正確にいえば客ではないが──

 満面の笑顔でこくこくと頷いて、誤魔化すことにした。

 

「ほんまでーす」

「ちょっと立って後ろ向けよ。そしたら教えてやる」

「ハァ」


 素直に返事をして、命令されたとおりに背中を見せる。どう見ても年下の少女に対し、すっかり言いなりである。


 虎丸の明るい茶髪とやんちゃそうな顔つきは生まれつきだ。そのせいで高等学校時代はよく不良に絡まれていたものだが、怯んだことなどなかったのだ。売られたケンカは買うし、やられたら黙ってはいない。

 しかし女慣れしていないため女子にはめっぽう弱く、最初に調子を出せなかったせいもあって、なし崩しに逆らえなくなってしまった。それにこの娘にも妙な気迫があるのだ。


 黙って従い、後ろを向いたそのときだ。

 被り直したはずの帽子がまたしても勝手に舞いあがり、今度は発火してあっという間に空中で炭になってしまった。


「も、燃えた……? 怪奇現象!?」


 振り返ると、娘はさっきと変わらない姿勢で立っている。火の気はどこにもない。

 娘は洋館と反対側を指差して、呆然としている虎丸に言った。

 

「庭の右はいって奥の離れ屋だよ。八雲さんに変な真似したら、オマエもこんな風に燃やすからな!」


 その後、さっさとどこかへ去ってしまった。

 あきらかに脅されたような気がするが、それよりもどうやって火をつけたのか不思議である。


「オレのお気に入りの帽子……。紳士ゼントルマンの必需品やのに! くそぅ、知り合いっぽいし、八来町八雲に請求したら弁償してくれんのかな~」


 何はともあれ、一番知りたかった情報を早くも入手することができたのだ。

 

 灯台下暗し。八来町八雲はここの離れに住んでいるらしい。

 活版所の名前はまったく聞いたことがなかった。看板が連名だったことから、もしかすると同人雑誌『新世界』の関係者が運営しているのかもしれない、と虎丸はぼんやり考えた。



 ──とにかく、順調、順調。

 このぶんやったら原稿もらうのも楽勝ちゃうかな。優秀やな、オレ。



 夕暮れが近づいて寒さが増してきた。コートをきつく閉じ、ブツブツと自分への賛辞をつぶやきながら庭の奥へと向かった。



 ***



「ごめんくださーい」


 目隠しするように茂っている垣根の向こうに、小さな日本庭園と平屋があった。縁側前の池には鯉が泳ぎ、鹿威ししおどしの音が響いている。

 薄い引き戸を、何度も乱暴に叩くこと数分。


 諦めたように戸を引いて現れたのは美しい……

 男か、女か。


 綺麗なことに間違いはないが、女顔の男とも、男顔の女とも違う。いうなれば完璧に中性的で、どちらともわからないのだ。表情に乏しいせいか、人形のような印象も受ける。

 うーん、でも、女にしては背ぇデカイしなぁと、虎丸が顎に手を置いて悩んでいると、目の前の人物が口を開いた。


「──だれです?」

「あ、男やった」


 低く落ち着いた声は、男のものだ。わかった途端、もう女には見えないのだから不思議な顔立ちだ。

 相手がもう一度何か言う前に、ささっと名乗る。


「どぉも~。ナンバ出版の者ですぅ」

「そうですか。お引き取りください」


 が、あっさりと告げられ、戸を閉められた。

 しかも、どれだけ叩いてももう出てこない。完全無視である。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。話だけでも!!」


 最初は控えめにノックをしていた虎丸だったが、もうバスがないことを思い出して次第に焦りが募ってきた。


「くら、暗なる前に、お願いやから入れてくださいよぉって! 山怖いんやって!」


 空に夕焼け色が滲み、あたりが薄暗くなり始めた頃。

 平屋の前で懇願し続ける、関西弁の青年の姿があったのだった。

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