あの子の目

江渡由太郎

あの子の目

 放課後の教室には、部活に行かない生徒のざわめきと、スマホをいじる指の音があった。

 三年二組の優香は、机に突っ伏したまま、隣の席の真央がスマホを見せてくるのを聞き流していた。


「ねえ、これ知ってる?“日本人形の儀式”ってやつ」


 優香は顔を上げた。画面には、古びた日本人形の画像。人毛のような長い黒髪。無機質なガラス玉のような目がこちらをじっと見ている。

 キャプションにはこう書かれていた。


 “この儀式を成功させると、願いが叶う。ただし失敗すると、あなたの代わりにあの子が生きる。”




「また都市伝説じゃん」

「でも、動画付きなんだよ。実際にやった人が――」


 真央の指がスクロールする。そこには暗い部屋の映像。どこかの高校の制服を着た女の子が日本人形の前に白い紙を置き、針で指を刺して血を垂らしていた。

『いっしょに、あそぼ』と紙に書かれた赤文字。


 動画の最後、カメラが揺れ、何かが倒れる音とともに女の子の悲鳴が響いた。


「……フェイクでしょ」

「でもさ、コメント欄、全部消されてるんだよ。アップした子のアカウントも消えてるし」


 その言葉に、優香はスマホの画面から目を離せなくなった。

 “儀式”――という言葉に、何かが引っかかったのだ。

 彼女の家には、祖母の遺した日本人形がある。押し入れの奥、誰も触れたことのない古い桐の箱。





 ――その夜。

 優香は机の上にスマホを置き、SNSのハッシュタグ「#日本人形の儀式」を検索した。

 数秒ごとに新しい投稿が流れてくる。


「やった。夢であの子に会えた」

「鏡の中から声がする」

「次は、あなたの番」




 胸がざわついた。

 あの人形は、祖母が死ぬ前に“見守り人形”だと言っていた。優香が風邪を引くと、祖母はいつもその人形に向かってお経のようなものを唱えていた。


 ――あの子が、守ってくれるんだよ。

 祖母の声が、遠い記憶からよみがえる。


 気づけば和室いた。濡れた畳の匂いが鼻を突く。

 静かに押し入れを開けていた。

 以前は白かった黄ばんだ布に包まれた桐の古箱。カビを纏った湿った匂いがする。

 布を取ると、赤い着物の日本人形が現れた。

 ガラスの瞳は少し曇っていて、それがまるで“涙”のように見えた。


「……これで、願いが叶うの?」


 優香は紙を取り出し、赤ペンで震える手を押さえながら書いた。


  “私を、見つけてください。”




 それは、最近になって強くなっていた孤独の願い。

 進学も恋も友人も――すべてがぼやけて見えていた。

 指先を針で刺し、一滴の血が紙に落ちた瞬間、人形の髪がふわりと揺れた気がした。


 スマホで録画を始める。儀式の動画の真似をして、人形の前に紙を置く。


「……いっしょに、あそぼ」


 その瞬間、部屋の蛍光灯がチカチカと点滅し、静電気のような音が耳を刺した。

 画面が暗転した。





 ――翌朝。

 優香の部屋には、人形がなかった。

 机の上に残っていたのは、破れた紙切れだけ。

 血の跡は、どす黒く乾いていた。


 学校に行くと、真央が駆け寄ってきた。

「ねえ、昨日あんたのインスタ、見たんだけど……何あれ?」


「え?」

「深夜に投稿してたでしょ? 動画。あの人形、動いてたよ」


 優香は凍りついた。

「私、投稿してない」


 真央がスマホを差し出す。そこには、真っ暗な部屋で日本人形が立っている映像。

 画面の隅には、ベッドで眠る優香の姿。

 カメラが勝手に動き、ゆっくりと彼女の寝顔に近づいていく。


 最後に映ったのは、優香の口元に小さな赤い手が触れる瞬間だった。


「……削除した方がいい」

「無理。再生数が止まらない。コメントが全部“見てる”ばっかりで……」





 その夜、優香は眠れなかった。

 鏡台の前に座り、自分の顔を見つめる。

 後ろに、何かが立っている気配がした。

 振り返ると、誰もいない。

 けれど鏡の中――彼女の肩の後ろに、黒髪の少女が立っていた。


 目が、同じだった。

 あの日本人形の、無機質で曇ったガラスのような目。


「どうして……」

 声を出すと、鏡の中の“彼女”が不敵に微笑んだ。

唇が、優香と同じように動いた。


 “いっしょに、あそぼ”




 鏡がバリッと不快な音を立ててひび割れた。

 破片のひとつが頬をかすめ、血が滲む。

 その血を指で拭った瞬間、指先に柔らかい感触――まるで誰かが握り返してくるような温もりを感じた。


 鏡の中の“人形”が、こちらの手を掴んでいた。


「やめてっ!」


 引き離そうとしても、冷たい力が腕を引きずり込む。

 鏡の奥から、ガラスを叩く音。

 その向こうで、“もうひとりの優香”がケラケラと笑っていた。





 ――翌朝、真央は優香の家を訪れた。

 昨日の動画が、さらに拡散していた。

「これ、やばいよ……」


 呼び鈴を押しても返事はない。

 玄関の鍵は開いていた。

 中に入ると、空気が重く、濡れたように湿っていた。


 優香の部屋のドアを恐る恐る開ける。

 そこには、鏡の前に座る少女がいた。

 赤い着物。艶のある黒髪。

 そして――優香の顔。


「……ゆ、優香?」


 少女がゆっくりと振り返る。

 瞳の奥に、無機質で不気味な曇ったガラス玉が光った。


「いっしょに、あそぼ」




 真央の悲鳴が、誰にも届くことはなかった。


 その後、SNSに新しい動画が投稿された。

タイトルはこうだった。


【#日本人形の儀式】

「成功しました。あの子は、今ここにいます」




 コメント欄には、同じ言葉が延々と並ぶ。


 “見てる”

 “見てる”

 “見てる”







――数日後、優香の家は空き家になった。

 けれど夜になると、二階の窓から誰かが外を見ているという。

 肩までの黒髪。

 ガラス玉のような瞳。


 それを見た人は、決まってこう呟くのだ。


「あの子、まだ見てる……」





 ――(完)――


#ホラー小説 #ホラー短編小説

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