第1話:少女②

ピピピピ。ピピピピ。アラームが鳴る。

ピピピピ。ピピピピ。時計が僕を呼んでいる。


手を伸ばし、時計を黙らせる。もう何度目かも分からないスヌーズ。


起きているのか、眠っているのか。あるいは、その間にいる気もする。


この感覚にはもう慣れている。しかし、今日に限っては、その天秤の上でしきりに一つのことを考えていた。


...


それから三度ほどスヌーズを繰り返したのち、僕はようやくそのシーソー遊びに終止符を打った。


あの夢—あの少女の演奏を、この手で再現しようと決意したのだ。


大きなあくびをし、目を擦りながらデスクに向かう。


点きっぱなしのモニターの周りには、空っぽのペットボトル、カップ麺の容器。

椅子を引くと、書きかけの楽譜がパラパラと床に散らばった。


ああ、そうか。昨日はバイト帰りに作曲を進めようとしたけど、結局一切進まずに寝てしまったんだ。


僕は、いけないことだと理解していながら、日の出とともに就寝・日の入りとともに起床の、荒んだ生活を送っていた。


給料が高いからと、コンビニバイトのシフトを早朝に入れている影響もあるかもしれないが...作曲とバイトに支配されたこの生活は、確実に体に負担を与えているだろう。


そのせいか、最近は変な夢もよく見る—そう、あの学校での出来事もそのひとつだ。


とは言っても、これまではどこか知っているような風景を徘徊したり、高い場所から落ちたりするような夢がほとんどだったから、夢の中で少女の演奏を聴くということは、とても鮮烈な経験だった。


僕は、あれがただの夢だとは思っていない。

きっと僕があの場所に呼び出されたのは必然的で、僕の作曲活動に対しての、何かしらのメッセージだったはずだ。


そんなことを考えながら、パソコンを再起動する。こいつはいつも通り、調子がすこぶる悪い。


起動が完了して画面が立ち上がるのを確認し、キーボードの電源を入れる。

パスワードと打ち込むと、キーは苦しそうに反発した。


ミシミシと軋むマウスでカーソルを合わせ、音楽ソフトを立ち上げる。


モニターには、まっさらな譜面が表示される。


予想通りではあったが、あの曲の元のファイルはもう跡形もない。

つまり、あの夢の記憶だけを頼りに、再び一から楽譜を作り上げないといけないということだ。


...さあ、はじめよう。


カタカタカタカタ。キーが鳴る。

カタカタカタカタ。記憶を呼び覚ます。


彼女はさまざまなアレンジを入れていたが、曲自体は原型を留めていた。

だから、僕が演奏を聴いたとき、すぐにあの曲だと理解できた。


元の面影を残しながら曲を見違えさせるなんてのは、常人がホイホイできることじゃない。

特に僕の曲ともなれば、なおさら–––


あれを「ただの夢」と切って捨てたとき、彼女という存在を説明することはできるだろうか?…


無理だ。なぜなら僕が凡人だから。

僕の夢に僕以上の存在が現れるなんて許されない。


ここまで思考したとき、ふと手が止まった。


廊下から足音が聞こえてきたのだ。

その足音は次第に近づいてきて、部屋の前で止まると、扉がノックされた。

「なに?」と返し、足を組む。


静かに扉を開け、入ってきたのは母親だった。


「作業中にごめんね。明日病院のついでに買い物に行くんだけど、足りないものとかない?」


「...うん、水も食事も、前の分でまだいけるよ。...あ、シャー芯だけ買ってきてほしいかな。HBの0.5ミリ」


「シャー芯って100円くらいよね?それなら買えるわ。明日、部屋の前に置いておくね。じゃあ...」


僕は、母親が出て行こうとするのを制止するように言った。


「母さん」


「...ん?」


「今月は、払えるの。父さんの病院代」


「…うん。なんとかね」


「そう。早く、どうにかしないとだね」


僕は「あぁ、それと」と続ける。


「父さんの容体、大丈夫そうなら言っといて。新曲、完成させられるかも、...って」







冷却ファンの呻き声と、キーの軋む音だけが鳴り続けている。

アレンジが入ったところは前後の配置も考慮し、記憶上のコードに次々と音符を乗せていく。


なんだか楽しくなってきたな。こんなに作業に没頭できるなんて、いつぶりだろう。


一度手を止め、できたところまで音声を再生してみると、思わず「おお…」と声が漏れる。

うん、順調だな。

我ながら、あの演奏をなかなか忠実に再現できてる。

このまま進めていこう。





……ああ、疲れた。ここで一旦終わりにしよう。


作業を始めてから6時間。もうバイトまであと30分しかない。そろそろ準備しないと。


母さんも体が悪いだろうに、毎日働いて稼いでくれてる。

僕もできることを頑張ろう。


パソコンの電源を落とし、部屋を出ていった。

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