林田平助

 人間に流れる時間というものは、時計が針の音を刻むように一定のものではない。

 例えば、大谷翔平。

 彼と自分とで一分一秒の価値が全く同じであると断じられる人間というのは、そうそういないだろう。

 同じ一時間、一日、一年の範囲であっても、それぞれの人間が出来うることというのには、大きな差が存在するのだ。


 そこへいくと、この俺こと林田平助の29年というのは、まあまあに密度の高い代物であったと思う。

 中学卒業と同時に、料理屋で修行開始。

 十年間腕を磨くと同時に軍資金も貯め込み、ついに開業したのがあの『立ち食いらあめん林田』であった。

 自分でも、いい店だと思っている。提供するラーメンの美味さは当然として、商売として上手い。


 まず、立地。

 さっき食ってきた本店を始めとして、四つ存在する姉妹店もあのような……ビルとビルの狭間に存在するというか、出来ちゃったという感じの物件を使っている。

 それゆえの、立ち食い。

 これは、客に一定の不便さを強いてしまうわけだが、見返りとして、テナント代が格安なものとなった。


 その浮いた家賃ハコ代で実現したのが、たっぷりのスープに代表されるボリュームというわけだ。

 そうそう、もうひとつ店を開く時の条件として、繁華街やビジネス街など、とにかく、働く男の多い場所というのも設けている。

 提供するのは、ラーメンではなく食事。これが、『立ち食いらあめん林田』のモットーだ。


 うん……振り返ってみても、我ながら本当にいい店だ。ビジネスマンや労働者から、長く贔屓にして頂けているというのにも、うなずけた。

 まさに、順風満帆。味のアップデートなどを怠らなければ、手堅く堅調に成長していけるラーメンチェーンと言えるだろう。


 同窓会でも、「お前勝ち組だな」とか「困ったら働かせてくれよ」なんてよく言われる。ついでに、女性陣からは、将来を見据えた物件として目をつけられている。

 実際、使っている口座の預金額は貯金を超えて資産の域に達しているわけで、中卒29歳としては、まず大満足すべき成功であった。

 これが、何かの立志伝だったなら、「これからも初心を忘れずにこの店を盛り上げていくことだろう」とかなんとか書き結んで、完とするところだろう。


 どっこい、人生というものに完結は存在しない。

 少なくとも、自分の完結を観測する機会は、生きている限り存在しない。

 そうなると、当然のようにひとつの問題へ直面した。

 すなわち……。


 飽きた。


 ……というものである。


 燃え尽きた、と言ってもいい。

 確かに、我が『立ち食いらあめん林田』にはまだまだ成長する余地があった。そこを考えるなら、やることは山積しているといえるだろう。

 だが、それらはここまで乗り越えてきたタスクの縮小再生産でしかないのも、また事実。

 乗り越えるべき試練として、どうにもこうにも新鮮味が欠けているのである。


 客に出すラーメンを調理していたある瞬間、ふと気付いた。


 全然楽しくない。


 ……と。

 まるで、自分が『立ち食いらあめん林田』というマシーンを構成するイチ部品になってしまったかのような感覚。

 何も考えず、半ばルーティン化してチェーンの利益拡大にまい進する日々。

 俺が生み出したはずのラーメン屋は、いつの間にか創造主自身すら取り込み、主従を逆転させていたのである。


 俺は、考えた。

 考えに考えた末、この流れから離脱を図ることにした。

 すなわち、『立ち食いらあめん林田』の売却。


 幸いにも、買い手はすぐに見つかる。

 この日本で暮らしていれば、誰もがその名を知っている超有名牛丼チェーン。

 かつての狂牛病騒ぎで、素早く豚丼を提供した時のように……。

 米の価格高騰などを受け、選択肢として麺類メニューのノウハウを求めていたあちらにとって、客層が本流の牛丼屋と被っていて、かつ、新進気鋭の『立ち食いらあめん林田』は随分と魅力的に映ったようだった。

 俺に対して積まれた金額は……口に出すのがはばかられる。


 かくして、めでたく交渉成立。

 俺は、育て上げたラーメンチェーンをより成長させてくれるだろう相手に託し、かつ、自分自身は望み通り身軽な身の上となれたわけだ。

 プラス、十分な金。

 一生を食いつなぐには少々心もとないが、しかし、十年や二十年なら働かずに暮らせるだけの金を手に入れたのだから、これは良い取り引きであったと言うしかない。


 こうして俺は、昨今のトレンドであるFIRE生活へと突入したわけだが、ここでもひとつ、困った事態に遭遇した。

 そう……。


 飽きた。


 ……のである。

 この間、実に一か月程度。自分でもびっくりするくらいの早さだ。

 そりゃあ、最初の頃は楽しかったさ。積んでいたゲーム遊んでみたり、プラモ組んでみたりな。

 ただ、すぐに思った。俺、何をしているんだろう? って。


 いっそ、バカみたいにパッと金を使えればよかったのかもしれない。クルーズプラネットとしゃれこんでみたりとかな。

 だが、俺の手元にある金は、人生そのものと言える『立ち食いらあめん林田』と引き換えに得たもの。それを思えば、何も考えず散財するなどできようはずもないのである。


 まいった。本当にまいった。

 『孤独のグルメ』において、松重豊が店を探し歩くパート……あれを、人生という舞台に置き換えたかのような気分だ。

 あれをするのも違う。これをするのも違う。

 何をやってもズレていて、しっくりとこない。

 自分が心の底で何を求めているのか、何をやりたいのかが、さっぱり分からないのである。

 原点に立ち返り、売却した自分の店でラーメンを味わってみれば何か分かるかと思ったが……結果は、腹が膨れただけであった。


 あるいは、倒すべき強敵を全て倒した少年漫画の主人公というのは、こういう気分になれるのかもしれない。

 砂漠のど真ん中に放逐され、後はご自由にと言い渡されたような感覚。


 どうしようかな?

 何かをしたいと思っていることは分かる。

 多分、商売寄りのこと。我ながらワーカーホリックなことだ。


 ただ、ここで思いつきの新商売を始めたところで、そうそう上手くはいかないだろう。

 『立ち食いらあめん林田』の成功は、入念な業界リサーチと物件調査……何よりも幸運が味方してのもの。

 かつて大成功を収めた飲食店経営者が、新しく新業態の店を出したら見事に潰れた……などというのは、この飲食業界ではごくありふれた話であった。


 もう、今の俺は、やぶれかぶれで博打を行う若造ではない。

 だから、もし何かやるならば、失敗する可能性を視野に入れ、十分な安全マージンを確保するべきである。


「……クレープか」


 そんなことを考えていて、ふとしたひらめきと共に足を止めた。

 視界に入っているのは、クレープ屋のキッチンカー。

 近頃、都内では珍しくもないキッチンカーによる商売だ。

 なぜ、この業態が流行っているのかといえば……。


「……あり、だな」


 女性の昼飯なら、こういうのも選択肢へ入るということだろうか?

 二人組のOLさんにクレープが売れる様子を観察しながら、考え込む。

 問題は、場所だが……そうだ。

 以前、ラーメンフェスに出店した時、イベント会社の営業さんから名刺を貰っていた。

 彼に相談してみるのも、面白いかもしれない。



--



 お読み頂きありがとうございます。

 「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、フォローや星評価をお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る