バイク乗りは冬の朝に山頂を目指す

きたの しょう

バイク乗りは冬の朝に山頂を目指す

 枝だけになった広葉樹の林を抜けると駐車場だった。ものの見事に誰もいなかった。

「……だぁーれもいねぇ……」

 そうつぶやいたが、考えてみればまだ朝早い時間帯。お日様が顔を出し始めてそんなに経ってないこともあり、さもありなん、という感じだった。



 12月も近いとある日曜日の朝、日本海側で吹き荒れる季節風の成れの果てが駆け抜けてくるこの地域は、お日様が顔を出しているために寒さは幾分和らげてくれていた。とはいえ、周囲を海に囲まれた半島にひょっこりとコブのように聳える標高250m程の山の頂上は遮るものが存在しない。バイクジャケットを着こんでいても伊吹おろしの寒風がそこから少なくない体温を奪って遠州灘へと吹き抜けていった。


「凍ってなかっただけまだましか……」


 正直、日陰部分は凍ってるかも……と思ってこの山を駆け上がるときには慎重に走らせていたのだが、幸いその部分は見受けられず、タイヤはきちんと冷えたアスファルトに噛みついてグリップを発揮してくれた。


「にしてもお日様だけじゃちっとも温かくならんな」


 両手を口元へ寄せて吐く息で温めるも、その端から伊吹おろしがいとも簡単に体温を奪って雲一つないどピーカンの空へと舞い上がっていった。おかげで指先が冷たいままだ。


 こればっかりはどうしようもない。指先どころかヘルメットを脱いだ顔にも強い北西の風が容赦なく襲い、行きがけの駄賃とばかりに体温を連れ去ってゆく。首には通称"よだれかけ"と言われるネックウォーマーはしているが、どこまで効果があるのかないのか……。


 朝方、しかも冬に入った寒空の下の頂上なので人がいない。どうしようか。このまま誰もいない山の上にいてもなぁ……だったら軽く2、3周ほどして帰るかな、そう思った時だった。


 下の方から何やらバイクが上がってくる気配。音からすると……4st.のそこそこ太い音をしてるから400ccくらいかな?排気系変えてるみたいだから多分近くの漁村に住んでいるFZ400R乗りの人が上がってきたんだろう。


 好きな人ができると、例えば足音だけでその人か否かが判るらしい。


 俺はそこまでは判らないが、少なくともこの山の頂上に駆け上がってくるバイクの音を聞いて誰が来たか、それなりには判別できる。多分、似たような感覚なんだろう。


 その音は下から自分の周囲をぐるっと回るように近づき、やがて頂上駐車場入り口の左コーナーから姿を現した。ヘルメットやジャケット、それに車種は間違いなく漁村の人だ。向こうもこっちを見つけたらしく、迷いなく俺のいる所へとバイクを向かわせ、すぐそばに停車した。


「オツカレ~寒かったでしょ?」


「寒いっすねぇ。凍ってないかとひやひやしましたヨ」


 400ccのバイクがやや大きめに見えるくらいの彼はヘルメットのバイザーを開けながら俺のあいさつに答えてくれた。


「俺が通った時には凍ったところはなかったに」


「まあ、凍ってたら帰るとこでしたわ」


 FZ400Rに乗る人の名前は知らない。この山の近くの漁村から来たということ以外知らないが、バイクでわかるので必要がない。日曜の朝に誰から言われることもなくこの山に集まり、走って体とバイクを温め、時に集まってのんびりとバイク談義したり……そして満足すればふらりと帰ってゆく──そんな結びつきだ。


 バイク乗りは基本、一人だ。だけど、一人だからこそ、集まった時には楽しいのかもしれない。


「こんだけ寒いといつものメンバーあんまり来んら?」


 彼はヘルメットを脱ぎつつ、ひっきりなしに吹いてくる西寄りの風に顔を向けてつぶやくように言葉にした。


「だら?……きっとまだ布団の中だに」


「ちげぇねぇ」


 グローブも外しつつ彼はそういうとひょいと片手を上げて、駐車場左手奥にある山小屋風の展望台兼売店へと駆け出してゆく。売店はまだ空いてないので自販機でコーヒーでも買ってくるんだろう。


 案の定、彼は展望台入り口にある自販機で何かを買った後、こっちに駆け寄ってくる間中、買ったばかりの缶コーヒーで手を温めながら、白い息を凛とした冬の空気に紛れさせていた。


「とにかく寒いっすねぇ……コーヒー飲まんとやっとれん」


 彼は冷たい手で間のリップルを開けると、その熱さを少しでも冷まさぬようにぐいぐいと飲み始める。一息ついて、ぷはぁ、と温度が上がったせいかさっきより白さを増した吐く息が彼の顔面を覆った。


「もうちょい後ならまだ温かいんだが」


「その時間帯にはもうちょい多くなるんでないかい?」


「うちらが早すぎたんよ」


 はははっ、と、がらんとした駐車場に俺と彼との笑い声が吸い込まれていった。


「そういや聞いた?この前ここに鈴鹿8時間にも出てるバイク屋のダンナが来たんだわ」


 彼がちらっと流した視線の先には、この地域の中心都市の街並みが広がっていた。話の中心のバイク屋はその街の何処かにある、と聞いている。


「こりゃまた……サーキットしか走らないと思ってた」


 バイク屋を経営してるとはいえ、こういう山道に来るなんてのは俺にとって違和感があった。鈴鹿8時間はおろか全日本ロードレースにも出場しているベテラン選手で、一時期トップチームのメンバーにもいたほどの実力の持ち主。普通は遠くてもサーキットで走るもんだと思ってたから。


「下のギャラリーヘアピンでだべってたらそのダンナ、走ってく連中しばらく見てて突然『君たちはまだ甘いなぁ、どれ、俺が見本見せてやる』って走り出したんよ」


「ええっ、いいなぁ国際A級持ちの人の走り見れるなんて羨ましい」


「ところが……ヘアピンから駆け上がってすぐの何でもない所でいきなりコケてさぁ……ギャラリー大爆笑!!」


「うっそ……何でコケた!?」


「わかんね。ホント何でもない所でいきなりバタンとコケてさぁ……ビデオに録っときゃよかったわ」


 彼は思い出し笑いで呼吸困難になるまで笑い、俺もその光景をイメージして笑いを止めることができなかった。あまりにもギャップが酷過ぎて……!


 ひとしきり笑った後、呼吸を整えるのにまた時間がかかったが俺と彼は何とか通常モードに戻ることに成功した。


「……で、そのダンナどうした?」


「『今日は調子悪かったから今度はちゃんと走りを見せてやる』とか言って引き揚げてった」


「何かカッコ悪いなぁ……あの選手でもここでコケることあるんだ」


「ホント、カッコ悪かったなぁ……」再び笑いの波が押し寄せてきて破顔している俺の横で、彼は笑いながらも半分は真面目な顔をして呟くように話した「──でも、全日本走ってるライダーでもそういうことあるんだなぁ、って思った」


「まあ、言われてみれば公道なんて何があるか判らんしなぁ……」


 彼の表情が伝染したか、俺も笑いの波は過ぎ去り、幾分かの申し訳なさがじわじわと支配領域を増やしていた。


 俺も彼も、しばらく言葉を失ったかのように無言の状態が続いた。どこかでスズメか小鳥のさえずりが聞こえ、のどかに時間が通り過ぎてゆく。


 彼は意を決したかのようにすでに冷めているコーヒーを飲み込むと、それをポケットに入れた。


「それじゃ帰りますわ」


「オツカレ。気を付けて」


「そっちこそ。またここで」


「またここで」


 彼はヘルメットとグローブをつけると、バイクのセルを回してしばし休んでいたエンジンを目覚めさせる。2、3度空ぶかしを行う。


 彼が軽く右手であいさつした。俺も無言で同じようにすると、彼はバイクにアクセルという名の鞭を入れて駐車場からワインディングへと駆け下りていった。

 来る時とは逆の方向で、駐車場の下からエンジン音が静かな山頂に響き渡り、やがてフェードアウト。静寂が、駐車場を再び支配下に置いた。


「さて、帰るかな。っとその前に」


 俺は展望台へと歩き出す。小学校のグラウンドの半分くらい歩き、数段の階段を上って自販機にたどり着き、コインを入れる。


「雪見だいふく、っと……」


 ガチャリと取り出し口に雪見だいふくの容器が落ちてきた。


 冬だというのになぜかこの時期、雪見だいふくを食べたくなる。しかも伊吹おろしが強く駆け抜けるこの山のいただきで。


「冷たっ!」


 口の中の温度が急降下する。でも、それがいい。


 まだ朝ごはん食べてないせいか、2個入りの雪見だいふくはあっという間に俺のおなかに消えていった。体温は下がったがこれでしばらくは空腹とは無縁になるだろう。


「それじゃ帰るか……朝ごはん、どこで食べよう」


 バイクの所まで戻って装備品を身に着ける。それらに移っていた体温はとうの昔に風に拉致され、気温と等しくなっていた。冷たさが今度は体にしみ込む。


 スイッチ一つで動き出すセルスタートのFZ400Rと違って俺のバイク、KR250はキックスタートだ。キックペダルを引き出し、バイクにまたがって右足をペダルに乗せる。やや軽めに蹴り下ろすとエンジンがぐずらずに目を覚ました。カマカマカマ……と独特の排気音を立ててマフラーから2ストロークエンジンらしいやや紫がかった排気煙を2本のマフラーから吐き出し始める。


「さて、下りも楽しむとしようか」


 クラッチミート。欧米では不吉な色とされているカンパニーカラーを纏ったバイクは軽快に動き出し、駐車場を後にした。

 ……今日は、話し相手がいただけでも、来た甲斐があったなぁ。



 バイク乗りは基本、一人だ。だからこそ、集まった時には楽しいのかもしれない。

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