第13話 偽りの安息の地
ゼロが打ち込んだマナのコードにより、リアクターのエネルギーはFar Landへの非活性ゲートへと注ぎ込まれた。
激しい青い光が収束し、彼らは歓喜と共に、白く輝く矩形の光の扉へと飛び込んだ。その光は、彼らの存在データを、新たな領域へと再構築した。
光の激しい残像が消えると、彼らの視界に広がったのは、息をのむような美しい光景だった。
そこは、ゼニスの無機質なグレーの世界とは真逆の、鮮やかな色彩に満ちた楽園だった。頭上には、エコーシティの偽りの空よりも遥かに澄んだ青空が広がり、太陽の光は柔らかく、温かい。その空気は、彼らが今まで経験したどのシミュレーションの空気よりも、生命力に満ちていた。
彼らが立っているのは、白く細かい砂浜で、目の前には、コバルトブルーの穏やかな海がどこまでも広がっている。島の中心部からは、自然の湧き水と思われる小さな川が流れ、全てが生命の躍動に満ちているように見えた。
「これが…Far Land」ノードは両手を広げ、全身でこの生の空気を吸い込んだ。「本当に、あったのね…自由の場所が!」彼女の瞳には、希望の涙が浮かんでいた。
ゼロは、端末で周囲の環境データを解析しようとしたが、端末は穏やかに「システム・クリアランス」を示しただけで、マナのコードは一切流れ込んでこなかった。シミュレーション世界のどこにも存在しなかった、純粋な自然がそこにあった。彼の低級ロールは、ここでは何一つ干渉するデータを見つけられない。
スティングは、歓声を上げながら海に飛び込み、全身で波を受けた。「ハハハ!見ろ、レイラ!これが自由だ! これが俺たちが求めていた世界だ!」彼の荒々しい興奮が、この楽園の静けさに唯一の不協和音を生み出していた。
レイラも、固い表情を崩し、その場の砂浜に座り込んだ。「これで、抵抗運動は報われた。Admnの支配は、ここで終わったのよ」彼女の言葉には、長年の闘いからの解放感が滲んでいた。
彼らは、その日の残りの時間を、心の底から満たされた状態で過ごした。住民たちは彼らを温かく歓迎し、獲れたての魚や熟した果物を惜しみなく振る舞った。彼らの生活には、競争も、労働もなく、ただ享受することだけがあった。
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夜になり、ゼロとノードは、レジスタンスの仲間たちと共に、浜辺に座って満天の星空を見上げた。
「エコーシティの星は嘘だったけど、ここは違う」ノードは感極まった様子だった。「この星空を見られただけで、全てが報われた気がするわ」
しかし、ゼロは星空を見ながらも、彼の心の奥底には、前夜から感じていた小さな違和感が再び膨らんでいた。
この世界はあまりにも穏やかすぎる。
夜の焚き火のそばで、彼らを歓迎してくれた住民たちの歌声は、どこまでも優しかったが、その歌には、喜びも、悲しみも、未来への切望も、一切感じられなかった。
彼らは、まるでプログラムされたように、永遠に変わることのない『今』を静かに受け入れているように見えた。
「なぜ、これほどまでに豊かな世界で、誰も家を建て直したり、新しい歌を作ろうとしたりしないのか?」
翌朝、その違和感は確信へと変わった。ゼロは、住民たちの生活を観察した。彼らの行動は極めて単調で、朝、目覚め、海に入り、果物を食べ、楽器を奏でる、というサイクルを完璧に繰り返している。
「ノード、見てくれ」ゼロは、島の中心部にある巨大なフルーツの木を指差した。「この木は、どの枝にも、完璧に同じ色、同じ形の果物が、同じ間隔で実っている」
ノードも気づいた。「言われてみれば…空も、雲の形も、一日中ほとんど変わらないわ。ゼニスの空より、よほど静的だわ」
スティングとレイラも、ゼロの隣にやってきた。
「俺も気づいたぜ、コード野郎」スティングが吐き捨てるように言った。「この島の地面には、雑草が一本も生えてねえ。全てが『理想的な状態』に保たれている。こんな環境、自然じゃありえねえ。まるで、手入れの行き届いた展示場だ」
レイラの顔からも、安堵の色が消え、厳しい表情に戻っていた。「私たちの抵抗運動は、この世界に辿り着いた時点で『終了』と見なされたのよ。ここは、Admnが反抗的なデータを隔離し、究極の無気力を与えるための、完璧な隔離施設だわ」
彼らが絶望的な確信に沈んだそのとき、ゼロの沈黙していた携帯端末が、突如として起動した。
ピ、ピ、ピ…
という短い電子音が鳴り響き、画面には見慣れたフォントで、たった一行のメッセージが表示された。
$S: M.L5.Bypass(A.Rhetoric);
それは上位のプロトコルを通過した通信だった。マナレベル5によるバイパス、つまりAdmnレベルの権限を持つ者からの通信だった。
その後に、少し皮肉めいた声がテキストとして表示された。
「気づいていると思うが、そこはFar Landではない。キミの探している『自由』とは、そこにある安息のダンスではないからだ」
ゼロは、その通信文を凝視した。ソースコードの末尾のタグ。A.Rhetoric(演説、修辞学)は、彼の演劇的な癖を示すものだった。
「この通信は…彼からだ」ゼロは確信した。「シルクハットの男は、僕らがここまで来ることを見越していた。そして、この安息の島が、僕らを閉じ込める次の檻であることを知っていたんだ」
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