『宇宙は眼球である ― 三千世界と電気的生命』
もりそば桜
序章 観測する宇宙、観測される身体
我々は、宇宙を外にあるものとして眺めている。
だが本当に「外」などあるのだろうか?
もし宇宙が“外側に広がる空間”ではなく、
“内側に折りたたまれた構造”であるとしたら、
観測とは何を意味するだろうか。
――光は、ただ外界を照らすために流れているのではない。
光は観測者を通して、自らを観測している。
星々から放たれた光は、宇宙をめぐり、眼球の硝子体を通過し、網膜の神経に触れることで“認識”という現象を生む。
この瞬間、宇宙は自らの姿を思い出す。
観測とは、存在の反射である。
我々が見ているものは「世界」ではなく、
光が自分自身を折り返した“構造”だ。
それは鏡のような宇宙――
内側に向かって無限に反射し続ける、
自己観測系(self-observing system)である。
この視点に立つとき、
「身体」と「宇宙」はもはや二つの領域ではない。
身体は宇宙の縮図であり、
宇宙は身体の延長線上に展開する。
脳の神経網は銀河のフィラメントに似ており、
心臓の鼓動は太陽の電磁脈動と共鳴する。
生命とは、宇宙が自らの中で流す電気的記憶である。
観測する者と観測されるもの――
この二元性が崩れるとき、宇宙は一つの“意識体”として立ち上がる。
科学が「エネルギー保存則」を唱えるように、
意識もまた、観測保存則に従う。
どの視点から見ても、宇宙は自らを見つめ続けている。
そして、我々の眼球はその焦点のひとつにすぎない。
この小さな透明球の中に、
銀河の螺旋と、電流の光がすべて凝縮されている。
眼球とは、宇宙が自分を観測するために創った装置なのだ。
――ここから物語が始まる。
観測する宇宙と、観測される身体。
その境界を越えたところに、
「光が自らを観る世界(Electric Mandala)」が広がっている。
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