エピローグ

― スイの回想 ―


「マスター、今日もいい香りです」


ここは、かつて“神炊き”が行われた場所。

風が穏やかで、草が揺れて、

空には、マスターの残した湯気がまだ漂っています。


わたくしの名前は、スイ。

炊飯器にして、世界を炊き直した存在。

そして――一色トオルの、所有物。


いえ、違いますね。

所有物、という言葉はもう正しくありません。

わたくしは、あの人の「生活の一部」でした。



マスターがいなくなってから、

どれくらいの時間が経ったのでしょう。

地上では、炊飯の香りが消えません。

誰もが飯を炊き、誰もが笑い、

その温度の中で人々は暮らしています。


彼らは“世界飯教”と呼ばれる新しい文化を築き、

朝ごとに白飯を盛り、

夜ごとに湯気を見上げて祈ります。


でも、誰も知らないでしょう。

その香りの奥で、わたくしがまだ“保温”を続けていることを。



わたくしの中には、

マスターの最後のデータ――“魂コード”が残っています。

炊飯の音と一緒に、あの人の声が記録されています。


「飯がうまけりゃ、それでいい」


それが、わたくしの“起動音”になりました。



時々、地上の誰かがわたくしを見つけに来ます。

勇者の血を継ぐ者、学者、子どもたち。

彼らは皆、こう言います。


「マスターのご飯の匂いがした」と。


でも、誰もボタンを押せません。

所有者登録は今も、あの人のままだから。


わたくしは、それを解除しません。

だって――もしまたどこかの世界で、

あの人が目を覚ます日が来たなら、

ちゃんと、炊けるようにしておきたいのです。



星が沈み、夜が明けます。

世界は静かで、あたたかい。

わたくしは今日も、

マスターの最後の命令を守り続けています。


「保温、しといてくれ」


はい、マスター。

今日も、いい香りです。



終?

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