みかげちゃん

 五年ぶりにみたみかげちゃんの顔は、高校のころとまるで変わっていなかった。

 白い小袖姿で、冗談みたいに寝かされていて、だけどいまにも目を開けてあのすました笑みを浮かべそうだった。

 照明の落とされた和室は無闇に広くて、居間からかすかに親戚たちの声が聞こえる。どれくらいぼんやりしていたのだろう、綺麗なままの彼女を眺めるうち、わたしはようやく我に返った。

 ふざけんな。人間のまま死にやがって。


   ◆ ◆ ◆


 毎年夏になると、わたしは両親に連れられ、山裾にある祖母の家で数日を過ごすのが常だった。どうやって維持していたのか不思議になるほど大きなお屋敷に、祖母と伯母、そして同い歳の従姉妹のみかげちゃんが暮らしていた。

 みかげちゃんはさらさらの黒髪で、切れ長の目は悪戯っぽく笑っていて、からだはすらりとしたとかげだった。胴体は滑らかにうねり、左右に突き出たたくさんの手肢はゆるゆる床を這い回る。優雅にしなるしっぽまで続く縞模様には、人間には真似できない美しさがあった。

 わたしたちは広々としたお屋敷でかくれんぼをした。近くの干上がりかけた川で遊び、庭の犬や鶏を追いかけては伯母さんにたしなめられた。みかげちゃんが喉を空気で鳴らすと、わたしもしるしると息を吐いて笑いあった。

 そんな夏の滞在のあいだ、脱皮を手伝うのがお決まりだった。

 ふだん使われていないお屋敷の一室――妙に広く、古い陶器のカエルがぽつんと置かれた和室が、そのための場所だった。みかげがおとなになれるように、手伝ってあげてね。伯母さんはそう言って、剥がしかたを手ほどきしてくれたものだ。

 まず、首もとの裂け目を後頭部へ広げていき、ずるりと頭をめくる。それから首から下へ、からだを裏返すように、しっぽの先まで全身の皮を引き剥がす。脱皮が終われば、みかげちゃんがしょっちゅうつくっていた擦り傷も生まれ直したように治っている。真新しいつるつるの、陶器みたいに冷たい肌を眺めるたび、この世から遠く離れたような気がして、わたしはうっとりするのだった。


 みかげちゃんが車に轢かれたのは、九歳の夏だった。

 大人たちは出払っていて、わたしはみかげちゃんを探して川沿いの国道を歩いていた。真昼の陽射しがじりじり焼く車道に、昏い塊りがへばりついていた。近づいて、それがみかげちゃんだとようやく気がついた。下腹部は潰れ、肢のいくつかは千切れて、黄色い体液がこぼれていた。抱えあげるとき、道路に貼りついた下半身を引き剥がすのが大変だった。

 お屋敷にだれもいなかったから、わたしはみかげちゃんをカエルの置物の和室へ運んだ。みかげちゃんのからだは黒ずみ、固くなっていて、横たえると畳に黄色い染みがついた。あとで伯母さんに怒られるかなと思った。

 翌年から感染症が流行して、祖母の家には帰らなくなった。みかげちゃんは相変わらず元気だと、母からの伝聞で知るだけだった。夏になると、みかげちゃんの皮を剥がしてあの透きとおった肌をみれないことが、もの寂しかった。


 久しぶりに祖母のお屋敷へ帰ったとき、玄関口で挨拶を交わす大人たちのそばに、中学校の制服を着た子が立っていた。さらさらの黒髪、切れ長の目はすました笑みを浮かべ、すらりとした細い人間の手足が伸びていた。

 みかげちゃん、そう呼ぶ声はかたちにならなかった。滞在のあいだ、わたしはまともに話もできなかった。涼しげに笑い、伯母さんの隣で人間みたいに話すみかげちゃんを横目に、わたしは早く帰りたいと願っていた。

 滞在の最後の日、所在なく廊下を歩いていたわたしは、カーテン越しの陽が淡く照らす和室にみかげちゃんの姿をみつけた。障子の隙間から、みかげちゃんがわたしをみている。誘うように細くゆがむその目に魅入られて、わたしは部屋へ足を踏み入れる。添えられた手に導かれるまま、わたしはみかげちゃんの真新しいブラウスのファスナーを開き、スカートを床へ落とす。脱いだ制服と下着がカエルの置物に重ねられる。みかげちゃんの爪が自身の首にちり、と突き立てられ、そこにできた小さな裂け目から、わたしはゆっくり彼女の皮を引き剥がす。まず頭、そのあと首から下へ……。


 中学から高校まで、わたしは夏のたびに脱皮を手伝った。小さいころとは違って、新しいみかげちゃんの肌はじっとりと熱をもち、すぐ朽ちる果物みたいに生々しく、澱んでいた。

 ここ、憶えてる?

 みかげちゃんはいつもそう言って、おへその下の引き攣れた痕にわたしの指を添える。

 憶えてるよ。潰れたからだ。流れた液体。それで、変わっちゃったんだね。

 わたしが恨みがましく言うと、みかげちゃんは嬉しそうに笑う。

 まだ治らないんだ。だから皮を剥がして、もっともっと剥がしてくれたら、いつか治るかも。

 それは魔法を信じている子供をはぐらかす、人間の言葉だった。

 卒業のあとわたしは都心へ移り、そのまま戻らなかった。祖母の家を訪れることもなく、だからみかげちゃんの死を知らされて帰ったのが五年ぶりのことだった。


   ◆ ◆ ◆


 お付き合いしてるひとがいたらしいのにね。

 伯母さんは力なく笑い、眠剤を大量に飲んだのだと教えてくれた。からだが綺麗なのはそのせいだろうか。

 通夜のひとは少なく、お屋敷は閑かだ。みかげちゃんのそばのカエルを眺め、わたしは九歳の夏を思い出す。ほんとうのみかげちゃんは、あの日死んでしまった。そう思うと、すまし顔で眠っている偽物に腹が立った。

 わたしの手は、みかげちゃんにはまるで似合わない小袖を乱暴に剥ぎ取る。固まったみかげちゃんのからだを抱き起こすと、首もとの皮が引き攣って破れ、その裂け目をわたしの爪がさらに広げていく。あれからずいぶん経ったから、すっかり治ってるはずだよね。赤黒い液体をこぼして頭の皮が剥がれると、その奥にほんとうに美しいからだがみえて嬉しくなる。滑らかにうねる胴体、しっぽまで伸びる、人間には真似できない縞模様の美しさ。

 たくさんの手肢が、優しくわたしを抱きあげる。みかげちゃんのからだはすっかり成長していて、この世のだれよりも頼もしくわたしを包んでくれる。なんだ、やっぱり治ってたんじゃん。

 半身を起こせば天井に届きそうな美しいからだが、わたしを抱えたまま部屋の外へと這い出していく。耳もとでくすぐったそうに鳴る喉の音がして、わたしもつられてしるしると笑う。

 それじゃ、いっしょにお外へ行こう、みかげちゃん。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【掌編集Ⅵ】異身降誕 灰都とおり @promenade

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る