金魚の欠片

ましら 佳

第1話 赤い金魚

まだ6月も末だと言うのに、気温が高く、すでに30℃超えの日が続いていた。

夜になっても気温は下がらず、最近ではそれが普通になりつつある。


温暖化はますます進み、気温は上がり、海水温も上がって行くらしい。


"世界はまたしても危機に近づきます、我々は今こそ立ち止まらなければならない"。


毎日そんなネガティブな報道ばかり。

さあ、罪悪感を感じろ、ナーバスになれと言わんばかり。


しかし、はるかには特に響かない。


はるかは、早めに仕事を切り上げて直帰し、そのままドライブだとはしゃぐ犬を連れて車で2時間程かけて鎌倉の奥までやって来た。


オーバースーリズムも加速しているようで、街中を抜けるのに思うより時間がかかったが、隣で、窓の外を眺めては楽しそうな犬と話しているうちにそれほど気にもならなかった。


話題はいつも共通の大好きな人の話ばかりだから。


はるかは到着すると車からゴールデンレトリバーを抱いて降りて、そのまま玄関まで運んだ。

室内から抱いて車に乗せて、また抱いて室内に入れば足を洗わずに済むと最近やっと気づいた。


ホリーは水遊びが大好きで、シャワーを見ればご機嫌になり、結局、足だけとは行かずに全身を使って水遊びを始めてこちらも水浸しになってしまう。

これで一手間省けた、とホッとする。


急にホリーが笑顔になったと思ったら、リビングに向かって走り出して行ってしまう。


「・・・え?」


内弁慶な彼女は、知った場所でも一緒に行動しないとまごまごしているのに。


まさかと思い、慌てて自分もリビングに向かうと、部屋は涼しくなっており、小さな灯りの下で、突然に床の上に人が倒れていた。




桃が、いきなり現れて飛び込んできた犬に驚きながら、抱きしめた。


「・・・ホリーちゃん?あなた、どうしたの?・・・あ!これはしょっぱいから体に悪いからね、こっちにしない?」


頭の上に乗せていた塩茹で冷凍枝豆の袋を金色の被毛の犬から遠ざけて、寝転がりながら頭の下に敷いていた焼き芋の袋を開けて与える。


「美味しい?・・・うん、丁度いい頃ね。最初から焼いてあって自然解凍でいいなんて、なんて便利なの。日本てなんでもあるよねー」


言いながら自分も枝豆とさつま芋を交互に食べ始める。


「・・・どうしたのは桃さんですよ・・・?」


はるかが信じられないと言う顔で見ていた。


桃の一家がスウェーデンから到着するのは、来週のはず。

まだ4日も先。

だから今日は早目に準備しておこうと来てみたのに。


「・・・久しぶりね。お変わりなく?」


桃が体を起こして居住いを正した。 


髪がまた少し伸びて居た。

夏と冬の帰国の時に美容室で切れるようになったのだが、今回はまだカットできていない。


不思議な柄のコットンのワンピースを、“これはアフリカ柄なの、トムソンガゼル柄。流行はやっているじゃない?“と嬉しそうに説明するが、はるかには見た事も聞いた事もないばかりで、一体どこで流行しているのかも見当がつかない。


半年ぶりの再会になる。


「私、早めに休みに入れたものだから、実家の片付けをしようと思って・・・。皆は後で到着する予定でね・・・。ああ、私、片付け片付けって、何年も言ってるんだけど、本当に何年も終わらないのよ?」


嘘では無い。

祖父母と母と暮らした実家は太平洋の海辺の町にあり、亡き学者だった祖父と美容師だった祖母の物で溢れている。


今回は頑張るぞ!と思っても、途中で挫折し、早や数年。


レオンを連れて行くと、古い写真集やらよくわからない民芸品を見つけては、お願い捨てないで!と言い出し、全く片付けにならない。


そのうち顔馴染みの近所の人が、これおじいちゃん好きだったから、と、また、だるまや赤べこを置いて行く。


世界が片付けを邪魔しているとしか思えない。


「・・・それで、今年初の熱中症になったんですね?」


はるかは、桃に近づいて、首筋に触れた。

熱はないようだが、なんだか冷たい場所と熱い場所があり、大混乱の大渋滞という感じ。


桃は、以前から暑さが苦手で熱中症でよく倒れていた。


桃が少し黙ってから頷いたのに、もしやとはるかは、見つめた。


「今年初じゃないんですか?」

「・・・2回目になりますね・・・」

「いつ?」

「先月になるかな・・・」

「なんでまた?」

「・・・だから、片付けをね・・・」


今回も、実家の片付けをしているうちに、なんだか具合悪くなって、なんとかここまで辿り着き、やはり熱中症かと水風呂に入って、冷凍庫のアイスを二つ食べ、冷凍枝豆とさつま芋を枕に横になったのが確か夕方4時。

時計を見るともう8時。


はるかが頷いた。


「・・・となると、桃さんって、黙って結構来てますね?来る時は連絡して下さいって言いましたよね?」

「だって。そんな、3泊4日くらいだし、たいした事ないし」

「3泊4日で熱中症でダウンする人が何を言ってるんですか」


そう言われると、何も言えず桃はまた黙って、枝豆をちみちみとんだ。


確かに。3泊4日のうち1日片付けして熱中症で2日寝込んでいた実績がある。

一体何をして来たのか全く意味がない。


「・・・ああ、怒っているわけではないんですよ。・・・いえ、怒ってます」


桃は、え?と驚いてホリーを抱き、次々とさつま芋を与えてから、顔を上げた。


茶色と緑のはしばみ色の瞳が、不安そうに揺れていたのを、はるかは久しぶりの晴れ間の空を覗き込むかのような気分で見ていた。


大袈裟な表現では無く、自分にとってはまさにそう。


「・・・大変に、すみません」


素直に謝られて、はるかは吹き出した。


この人はこの調子でどうやって海外で暮らしているのだろうと不思議になる。


北米で5年程生活し、海外出張も度々経験して思う事は、海外においては特に自己を強化し防御力も戦闘力も社交性もまた上げ、保守的にならなければ生きて行けない事はよく知っている。


だが、桃は水槽を替えて泳ぐかのようにしてまたどこでも同じように狭い世界で生きて行くのだ。


・・・ああ、僕の金魚。


「・・・桃さん、なんで怒っているかわかりますか?」

「・・・こちらをお譲り頂く時に、来る時は必ず事前に連絡をする旨、取り交わしました」


ほぼ文化財一歩手前の物件を購入するに当たり、よくわからない海外在住の日本人と外国人の夫、しかも、大体、夏と冬の長期休暇のみの滞在、と言う訳のわからなさの自分達の保証をしてくれたのがはるかなのだ。

つまりは彼の信用でもってこの家を訪れる事が出来るわけで。


「・・・連絡しなかったから。すみません」

「そう。・・・それはなぜか、わかりますか?桃さんに会いたいからですよ?」


そう言われて、桃は戸惑いながらも微笑んだ。



ソファでホリーを抱いている桃の脚にはるかが触れた。


今度は驚くほどひやりとしている。

・・・謎の変温生物。


はるかは冷蔵庫から冷えた水のペットボトルを持ってきて桃に手渡した。

桃は嬉しそうに飲んで、微笑んだ。


「・・・美味しい!懐かしい味。故郷に帰ってきたって感じがします」

「長野の水ですけどね」

「まあ・・・縁もゆかりもないけれど・・・・日本の水だから・・・」


雨水ですら懐かしいと思う味なのよ、と桃は説明した。


おかしな事を言っているなあと思うが、はるかはそれでいいと甘く心に落とし込んだ。


「・・・桃さん、あんちゃんが生まれる時の話を聞いてもいいですか?」

はるかさん、その話好きですね。えーと、夏至祭で外でメイポールの周りぐるぐる回ってたら、いきなりギュッとなって。そのまま病院行ったら、夏至だもので、やっぱりお医者さんが居なくて、ちょっと待ってって言われて病院ホテルでケーキ食べてて、点滴してるうちあちこち痛くなってよくわからなくなって、気がついたら2日経ってて産まれてたというくだりです」


つまり、気を失ったらしい。

なんだか、脚のどこかで出来て居た血栓が心臓に飛んで詰まったとかなんとかで死にかけたらしい。


目が覚めたら、赤ちゃんが居て、レオンがあと2日目を覚まさなかったら自分も死のうと思ったと泣いていた。


「・・・それは何度も聞きましたし、また聞きますし、何度聞いても怖いです。・・・よく助かってくれた」


初めて聞いた時は、血の気が引いたものだ。


ああ、やはり出産とは、命懸け。

そんなことになっていたのなら、頼むからやめて欲しかったと縋りつきたい気持ちだった。


「・・・そうではなくて、生まれた時の話です」

「え?だから・・・」


思い当たって、桃が目を丸くした。


あの小さな金魚を、他の男とどうやって作ったのか詳しく話せと言うことか。


「・・・悪趣味です」

「我ながらそう思います」

「・・・ホリーちゃんにはとても聞かせられないわ」


真面目な顔をして言われて、はるかは吹き出した。

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