四つ首様編

第一話

 四つ首様を知っているだろうか。

 それは山に棲んでいる。それは願いを叶える生き物である。姿は大きく、人の数倍もあり、毛むくじゃらの脚を持ち、そして、首がない。四つ首様は願いを叶える代わりに、首を要求するのだ。何の首でも、誰の首でも、首を捧げなければ──その後を、知る者はいない。


 佐伯まことは鬱々としていた。

 花の十代、遊び盛りの高校生であるが、友人と街に繰り出すこともなく付き合ったばかりの恋人とデートに行くこともなく滅多に行かない図書館に向かい、オカルト関連の本や怪談話を読み漁っている。めぼしい情報が見つからず、郷土史にまで手を伸ばし始めたあたりで、大きなため息をついた。どこにも、解決方法がない。


 慎の頭を悩ませている原因は、四つ首様だ。いつから、どこまで広まっているかわからない噂話。聞いたことはあれどよもや鵜呑みにするほど子供でもなく、怖がるほど臆病でもない。だが、己の身に降りかかれば話は別だ。それが現実に存在するものだと知ってしまった。


 四つ首様は、慎の願いを叶えた。そうして、毎晩耳元で囁くのだ。首を捧げよ、と。初めは幻聴を疑った。しかし朧げだった声は日に日に明瞭になり、三日目の晩、つまりは昨日に音をあげた。この三日はよく眠れなかった。夢にまで四つ首様が出て、慎に警告する。噂通りの姿をして、迫る。首を捧げよ、首を捧げよ。さもなくば、と、その続きは誰も知らない。四つ首様の噂は、行末だけが不明だった。皆好き好きに語り、まとまりがない。生贄にされる、神隠しに遭う、とバリエーション豊富だ。どれにせよ、良いものではない。


 手詰まりだった。そもそも、最悪の事態を回避するためとしても、首を捧げる方法がわからない。山というのはどの山なのか。何をもってして捧げたと認められるのか。


 机に突っ伏した慎の上に、不意に影が落ちた。顔を上げると、背の高い青年がこちらを見ている。色素の薄い、榛色の瞳が印象的だった。長い睫毛は垂れた眦までを縁取っている。凹凸のしっかりした眼窩をしており、その上に整った眉があった。完璧に美形と言える目鼻立ちをしており、思わずまじまじと見入ってしまった。


 惚けた慎に怪訝そうな顔をし、青年は周りに散乱させた本たちを指さして、困ったように言った。


「あの、その本を借りてもいいですか」


 どうやら本を独占してしまったようだ。そう察して、慌てて本を掻き集める。どうせ、読んだところで何もわからない。譲らない理由はなかった。どの本を譲ってほしいのか、と聞こうとすると、青年は柳眉を更に下げて、少し迷ってから慎の対面に座った。


 不思議と、元より静かだった図書館内には無人のようにしんと静まり返っている。その違和感が育ちきる前に、青年は本の表紙に掌を乗せた。


「全部、見せてください。あなたが見たものを」


 そして、続けた。


「四つ首様のことでお困りでしょう?」


 怪しい者ではない、と前置きをして、咳払いを一つ。青年はこちらを見透かすような瞳で、慎を見た。そのとき気がついた。青年の他に、誰かがいる。その存在を見ようとして、できなかった。靄がかかって、視認できないのだ。ただ、そこに何かがいることだけはわかる。ぞくり、と背筋が震えた。慎は既に四つ首様を知っている。確実にあるものだと、理解している。だからこそ、そこにいる何かが人間ではないと即座に認識できた。


 伸びた影を思わせるシルエット。かろうじて人の形をして、細く、煙じみて揺れている。口、であろう部分がゆったりと開き、声を発した。


「我々にお任せを。この奇譚師が、全てを解決してみせましょう」


 シルエットがかくりと折れる。優雅に一礼をして、人ならざる者は愉快そうに笑った。冷や汗が頬を伝う。この青年すらも人間ではないのでは、と疑い始める。逃げ出すことはできた。だが、そうしなかった。どの道、慎が助かる術が見つからなかったからかもしれない。三日眠れず、精神が参っていたのかもしれない。


 差し伸べられた手に、抗いがたい魅力を感じた。神々しく光り輝いて見えた。青年は穏やかに微笑んでいる。害意なく、悪意なく。


 慎は、さながら導かれるようにその手を取った。


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