第9話 小さな火種を探せ

足早に歩くカイン。その背中を、ノエルは必死に追いかけていた。


「待ってください、先輩! 私、まだ何も理解できていません。三日なんて……」


カインは振り返らず、一定の速度で前を歩く。

彼の背中は、いつもより遠く見えた。


「お前に説明している暇はない。もうすでに、この事件の犯人自体はわかっていたんだ。――おそらくデントリエスもな」


「犯人って……まだ、端末を提供した人間の特定すらできていないのに」


その瞬間、カインはぴたりと立ち止まった。

勢い余ってノエルは彼の背中にぶつかり、額を押さえて小さくうめく。


「今回の事件、端末を提供した人間と実行犯は別の可能性が高い。そして調査の時間がなくなった以上、監査官として――不正を働いた人間を見つけ出し、公にするしかない」


「それは……わかりますけど。でも、不可解な端末の謎が残されたままで、まともな推論すら立っていないのに……」


言い終える前に、カインの指先がノエルの額を弾いた。


「痛っ!」


「お前は確かに優秀な魔導士だが、監査官としては雑魚だな」


「はぁ!? な、なに言って……!」


「二日でお前の価値はよく理解した。――お前は一旦、支部で待機だ」


「ちょ、ちょっと!」


カインは端末に何かを入力しながら歩き出す。

どう見てもノエルの声を無視していた。


「急にですか!? 私を見極めるとか言ってたじゃないですか!」


「言っただろう。お前の価値は理解した。ここからは面倒になる。支部で待機。それは上司命令だ」


「いくらなんでも横暴がすぎます! 少しくらい教えてくれてもいいじゃないですか!」


ノエルはカインの腕を掴むようにして並走する。

カインは煩わしげに眉を寄せた。


「お前、面倒くさいな。自分で考えろ、そんなもん」


「先輩がその気なら……こっちにだって考えがあります!」


ノエルは端末を構え、詠唱を紡ぐ。


「私、ノエル=アスカリナが要請する――周囲の空気中の水分よ、その動きを遅くし、先輩の動きを鈍らせて!」


途端に、周囲の空気が粘つくように重たくなった。

ノエルの詠唱に応じて、空気分子が“鈍重な沼”のように変質する。


「――監査官カインの名において却下する」


カインが淡々と告げた瞬間、空気は嘘のように軽くなり、魔法効果は霧散した。


「お前な、職務妨害で懲戒にするぞ」


「補佐官は、指導担当の監査官に対して指導目的であれば、指定魔法の実行は許可されてます! 教育的配慮ですよ!」


「引っ叩くぞ」


パンッ、と乾いた音が響いた。


「痛いっ!!」


頬を押さえるノエルに、カインは眉一つ動かさない。


「女子供に手を上げるなんて……どこで教育受けたんですか先輩!」


「生意気な子供が危ないことをしていたら、手を出してでも止める主義でね」


そんなやり取りの最中、カインの魔道端末が軽い通知音を立てた。


「……お前の迎えが来た。今日はもう帰れ。あとで日報は確認してやる」


「待ってください! まだ何も――」


「――解け」


カインの短い簡易詠唱が飛ぶと、ノエルの靴紐がするりと解けた。


「あっ……み、みみっちい! こんな魔法の使い方ナンセンスですよ! 待ってくださいってば!!」


カインは振り返らず、そのまま歩き去っていった。


———魔道車内


「そんなに怒った顔しないでさぁ。ほら、カインもまだ二日目のノエルちゃんを気遣ったんだよ」


運転席のハルヴァが、ぽん、と軽くノエルの肩を叩いた。

ノエルは膨れっ面のまま、端末をじっと見つめている。


「だとしても……せっかく一緒に捜査していたのに。急に別行動なんて。それに“価値を理解した”なんて……」


ハルヴァは顎を撫でながら、どこか嬉しそうに笑った。


「カインが価値を理解したってねぇ……なかなかの高評価じゃないの」


「そうなんですかね……」


「それに連絡もらった時点で、なんとなくカインの意図はわかったよ。ノエルちゃんには……まだ早いかなぁ」


「支部長は先輩が何をしようとしているのかわかるんですか!」


「なんとなくだけどね。――あ、でも教えないよ。それは指導担当の領分」


再びノエルは端末に視線を落とす。

その小さな背中が、わずかに震えているようにハルヴァには見えた。


「ちなみに今それ何やってるの?」


「先輩が使った簡易詠唱、中身がよくわからなかったので……再現中なんです。空間影響タイプの魔法を簡易詠唱って、どうやったら……靴紐だけ対象を絞るなんて工程が複雑で……想定パターンも多すぎて……」


ぶつぶつと呟くノエルに、ハルヴァは苦笑した。


「……アクが強い上司に気に入られるのは、アクが強い部下ってことなのかなぁ」


「……? どうかしましたか?」


「なんでもないよ。――そろそろ着くから、降りる準備してね」


エンジン音とタイヤの摩擦音が響く。

視界の先に、南域監査支部の建物が近づいてきた。


その建物は、まるでノエルを迎え入れるというより、

“真実から遠ざけるための門”のように見えた。

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