フィジカルサイバー忍者アーツ2

七突兵

第1話プロローグ

 そこはニュー東京のビル群にあって一際抜きんでる、摩天楼の一棟。ジェンシン社本社ビルの、三十五階フロアの会議室。テーブルに居並んでいる重役連の前に立つ島本係長と部下の湯沢は、気圧された面持ちだった。それはそうだ。係長程度の地位では、言葉を交わすことなどめったにないお歴々なのだ。ましてや平社員の湯沢など、廊下の隅に控えて、通り過ぎるのを見送るのがせいぜいである。

「この、会田なる男、ある種の思想に影響されていたとかいうことはなかったのかね。同僚としてそのような言動を見聞きしたことはないかね」

 重役の質問に、しばしそれが自分に向けてのものだと気付かなかった湯沢だったが、島本係長に肘で小突かれて、慌てて反応した。

「いえ、そういうことは特に気づきませんでした。個人的に深い話をする間柄でもなく、付き合いも会社の中だけでしたので」

 慌てて答えた湯沢の声はうわずっていた。引っ立てられてきた罪人のような心境であり、後ろめたいところのあるなしに関わらず、居並んでいるお歴々にとって、湯沢ごときの社員生命の殺生与奪などたやすいことなのだ。

「左がかった組織に関わられたりすると、また面倒なことになるのだが、いずれにせよ厄介なことである」

 別の重役が言った。

「これが普通の横領なら、一億円の被害額だったとしても、警察に任せて済む話だ。しかし、これは警察には任せられない」

「内々に、処理するしかない」

 静かだが強い響きの声があり、それがこの会議の結論だった。席次最上位のその人物は、ライトグレーのスーツの四五十代の男。肩幅の広い、引き締まったスポーツマン体型は、美食に弛緩した体型の多い重役連の中で、殊に冴えた佇まいの彼は、筆頭重役の蔵王不比等であった。

「そのために、こうして半藤君も呼んである」

 蔵王不比等からその名が出ると、重役連の表情には、微かな翳りと緊張が走り、いくつかの目が会議室の隅に影のように控える人物へ、ちらりと投げられた。

「蔵王君の言うように、外部に任せられる案件ではないし、半藤君ならうまく処理してくれるだろう」

 ジェンシン社社長の稲見清吾も同意する。形式上は稲見がこの会社のトップだが、山王財閥当主蔵王慶一郎の三男で、山王ホールディングスの重役にも名を連ねる蔵王不比等の前では、雇われ社長の存在感は軽く映る。

「半藤君には完璧の首尾を期待している。君たちも、何かあったら半藤君を全力でサポートとしてくれ」

 社長からの直々の言葉に、係長と平社員は頭を下げる。

「サージカルオペレーションかね。あまり大量出血とならぬように」

 蔵王不比等は、その顔に冷たげな笑みを刷いた。

 会議室より退出した島本係長と部下の湯沢。休憩室に入って、自販機で買ったコーヒーを手に小テーブルにつく。紙コップのコーヒーを飲んだ湯沢は、

「お偉方の前に出るのって、息が詰まりそうになりますね。部長に呼び出されるのだって緊張するのに、重役連や社長ですからね」

 生き返った心地であった。

「社長よりヤバいのは蔵王さんだぞ」

 休憩室に、他に人のいないこを確認してなお、島本係長は声をひそめる。

「蔵王一族でも武闘派と噂されるあの人が顔を出したことが、どうにも穏やかじゃない。それに、あの半藤だ」

「社長も信頼しているようでしたけど、何者です」

「所属も役職も不明。下の名前すらわからない。だが半藤と聞けば、この会社でも

事情通は首を寒くする。会社の裏処理担当って噂だ」

「裏処理?」

「君の入社する前のことだけど、エレベーターの中で女子社員の首が切断されるという事件があった。平日の日中、多くの社員が仕事をしていたこの会社で、エレベーターに乗ろうと待っていた社員たちの前で、ドアが開いたエレベーターの中は、血の海となっていた。胴体がうつ伏せに倒れていて、その背中に女の首が、ドアに向けて載せてあったのだ。悲鳴があがり、女子社員の中には気を失う者もいた」

「ソレ、聞いたことあります。都市伝説の類のデマですよね。まさかこの会社のエレベーターで、そんなことがあるなんて信じられません」

「私は、その現場に居合わせて、この目で見たのだがね」

 島本係長は苦笑する。

「ホントですか」

「新人にこの話をしても、今の君のように真に受けないのがほとんどだ。しかし、あの半藤が出てきた以上、都市伝説なんて与太話で済ませていられないから、心して聞いてくれ」

 島本係長の真剣な顔に、湯沢も気を吞まれた。

「後で聞いた話だが、殺された女はどこかの組織のスパイだったらしい。しかし、スパイ一人、誰にも知られずに処理するのも容易いはずだ。それをわざわざ、営業中の本社ビルのエレベーター内で殺害して、惨状を衆目にさらしたのは、一つにはスパイを送り込んだ組織への警告であったのだろう。そしてもう一つ、会社はなんであれ、不都合なことはなかったことに出来る。その力を社員に見せつける意図もあったのだ。警察が来て型通りの捜査はしたが、以降なんの発表もなく、もちろん犯人が検挙されることもなく、事件は忘れ去られた。報道も一切無く、大手メディアはもとより、SNSにも、一本の投稿すらなかったのだ」

「その犯人が、あの、半藤って人なのですか」

「それは、私たちが知る必要のないことだ。大事なのは、そのヤバい奴に関わらさせられるってことだ」

「でも、僕は会田の暗号資産を横領には無関係ですし、同僚として事情を聞かれただけじゃないのですか」

「社長もおっしゃったろう、半藤さんのサポートに尽力しろって。そういう役目を仰せつかったってことで、無関係のなんのと言ったところで、どうにもならないのさ」

「そんな」

 湯沢は思いもかけぬことに巻き込まれ、困惑の表情で、

「何をしたらいいんですか」

「なにか要請があるまでは、普段通りにしてていい。あちらの目的は、会田の身柄を押さえることだからな」

「会社は、会田を捕まえたらどうするつもりですか」

 なにげに聞いた湯沢だったが、島本係長の険しい表情に息を吞んだ。

「肝に銘じておけ。半藤と彼の部署の者たちは自分たちの雇い主、つまり蔵王一族の人たちと重役連、俺たちにとっては雲の上の方々以外の、俺たちのような一般の社員など、手にかけるのに躊躇ないのだ。長生きしたければ余計なことは考えず、命令に尽力することだ」

「・・・・・」

 湯沢は啞然となった。四大財閥に数えられる山王財閥の中核企業ジェンシン社。そこの正社員となって、大学の同期たちからは就職勝ち組と見なされていた。しかし今、思いもかけず大企業の暗黒面を見せられて、優越感も吹っ飛ぶ不安に、おののくばかりであった。

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