(一)なないろバザール
この大陸には自治権を有する市場が点在し、その一つに『なないろバザール』がある。
なないろバザールは荒れ地続きの交通の要所にあって、目敏い資本家集団が小さな宿場町を整備し、東西の高級品や特産品の交換場所として一大マーケットを作り出したのが始まり。
さらに仕事を求めるもの、一発逆転を夢見るもの、はぐれものの流入で勝手に発展を続け、同心円を描くように拡大していった。
なないろバザールの外縁では怪しい売買も行われているが、旧市場はレンガ塀に囲まれて、アーチ型の大きな正門が礼儀正しく旅人を出迎える。
門の内側に入るとまず大きな広場があり、騎乗したまま入れるのはここまで。旅人や商人は次々にラクダや馬、ロバから降り、荷車があれば車庫屋に預け、自ら手綱を引いて宿屋に移動する。
時間があれば広場の階段で塀に上るとよい。ゆったりと区画整理された旧市場の大小の店舗群の向こう、小さな宿屋と雑多な市場と共同住宅が奥へ奥へと広がって、塀は何度も作り直して迷路のようになってしまっている。さらにその外側にも旅人のおこぼれを拾うように貧相な宿屋や露店が細々と営まれている。
今しがた到着したキャラバンに混じって、小型竜のバカラに乗るカツウミと、大型羚羊のルーレットに乗るアウグストの姿があった。
2人は地味なフード付きマントの旅装で、腰には輪にした縄を着けている。カツウミの髪は大分伸びていて後ろで縛られている。
バカラから降りたカツウミが手綱をアウグストに任せて、2人の商人に近づく。
薄い髪をなでつけた押しの強そうな男が、白髪の明らかに年上の男をぐずぐず𠮟りつけている。このキャラバンのオーナーのダニザルカと番頭のビットルである。
「おいおい俺の話を聞いてたぁ? これ前も言ったことだけど……」
なかなかダニザルカの小言が切れそうもない。カツウミが声を張って割り込む。
「ダニザルカさん、この度はお世話になります!」
ダニザルカは小言を中断させられ不機嫌を丸出しに振り向く。が、強靭な若者と見て取るや素知らぬ体になる。ビットルが気を利かせ口を挟む。
「オーナー、カツウミくんですよ。キャラバンに見習い参加している――やあ、無事に着いたね」
「あ、あ、ペンテアルトの。――うん、初めての旅はどうだったかなぁ? 不自由はなかったぁ?」
語尾を伸ばす猫なで声が癇に障る……。カツウミはしっかりと笑顔を作って、
「ありがとうございます。大丈夫です」
「そーお。何かあったら、すぐビットルに言ってちょうだいね」
ダニザルカは威厳を取り戻すように胸を張り、
「じゃ、後は任せたからな。へまはするなよ」
と、尊大に言い放ち、せかせかとガニ股で立ち去る。
ビットルは苦笑しながら見送って、カツウミを振り返る。
「さて、私たちは定宿に行くけど、君は竜使いだからね。泊れる宿屋は少し遠いけど、あのあたりに固まっているよ」
と、指す先は場外である。
カツウミは正門にたどり着くまでのごちゃごちゃした町並みを思い出し、念のために尋ねる。
「中は無理ですか」
「門内の宿は君らが考えているより高いんだよ。しかも爬虫類を嫌がる宿もある。まず特別料金を請求されるね」
軽輩扱いより爬虫類呼ばわりに不快を隠せず、去ろうとするカツウミ。
「どうも。自分たちで探します」
「あ、待って。気を悪くしないで。――君たち、ペンテアルト陸運隊の一族だって。どうしてうちみたいな小さいキャラバンに」
「――実は俺の祖父が陸運隊の総長でして、アウグスト――あっちの彼は右腕の息子なんです。俺たちぜんぜん新米の下っ端なのに、祖父のキャラバンでみんなに気を使われたら、修行にならないと思いまして、最初は2人で始めることにしたんです」
ダニザルカのキャラバンに入る前にいくつかのキャラバンを回って、必ず聞かれた質問だ。カツウミは優等生の顔つきを作り、すらすらと答える。
ビットルは素直に感心したふうに頷き、
「若いのに偉いね。そうそう、ダニザルカさんから、ペンテアルトさんはいい後継ぎに恵まれて羨ましい、よく面倒を見るようにって言われているんだ。――それで今回の仕入れは何だい」
そんな気配りする男かね、この爺さんこそ商売人が長いのだろう、――カツウミは推測する。
「高級プリント柄の端切れです。祖父が、荷としては嵩張るけど、初めはこのくらいがいいだろうと。あと友人たちに頼まれたいくつか――」
「ああ、さすがペンテアルトさんだ。なるほどプリントの端切れなら失敗は少ないものね」
ビットルは感心した体で何度も頷く。
「そうか。じゃあ注意しとくけど、君たちは慣れないから日暮れ以降の外出は避けたほうがいいね。買い物は昼間限定。バザールの内側の店で済ますこと。それから明後日は朝早いから、出発時間は厳守ね」
「3日も旅してきたのにすぐ出ちゃうんですね~」
アウグストがひょっこり顔を出す。
「おや、アウグストくん、だっけ」
おい荷物と手綱を任せてたのに、――とカツウミが振り返ると、バカラとルーレットは壁際で大人しく並んで待っており、小型竜を恐れて近寄るものもない。
2人は仲の良い孫と祖父のように会話を続ける。
「君は『なないろバザール』の名の由来を知っているかい?」
「いいえ。あれー、そういえばここ、別にカラフルでもないですよね」
「7つの色――つまり虹のこと。虹のたもとに妖精が宝石を入れた杯を埋めている、という北方の民話からきているんだ。そのずっとずっと前は『ぬすっと市場』と呼ばれていたんだよ」
「ぬすっと? ひでぇ名前ですね」
「実際、東西の盗品が持ち込まれて売買されていたんだ。ここをマーケットに開発するとき、その通称じゃまずいと『なないろバザール』と命名した。ただ集まるのは、儲けに群がる連中さ、今も昔も」
ビットルは自嘲したあと、キャラバンの隊員が不貞腐れて待っているのに気づき、太陽の高さで時間を見る。
「教えておくよ。このなないろバザールは、値段の付くものなら何でも売っている。そのためいろんな奴がここに集まる。訳アリも含めてね。ここに大金や貴重品を持って長期滞在するのは、愚か者のすることだよ」
ちらり漏れたベテラン商売人の凄みに、思わずカツウミとアウグストの表情が引き締まった。
「さて。バザールは広いよ。買い物はちゃっちゃと済ますんだね」
ビットルは人の好い白髪の番頭に戻り、猫背で隊員たちのところに向かう。
日がどっぷりと暮れ、疲れたカツウミとアウグストが、宿屋の狭いカウンターの前に立つ。
髪が羽毛の小柄な老女がじろりと見る。
「客ならフードは外しとくれよ。うちゃ、前金だからね」
受付の横の壁に『宿屋内の盗難には一切責任を持ちません』との大きな張り紙がある。
夜も更けた宿屋の一室。ランプの明かりが壁の釘に掛かった2人分のマントを照らす。
カツウミが下着姿で窮屈な室内の床に座って、不機嫌に荷物を整理し、帳面に品物名と金額を書きつけている。
「あの晩飯はぼったくりだなよなぁ。この狭さといい、泥棒宿と改名しろ」
「うん、明日はもうちょっといい食堂探そうよ」
アウグストは丁寧に服にブラシをかけながら同意する。
「でもここ、本当に色んなものを売っているね。見て回っているだけで楽しい」
「ぼーっとしてると掏りにやられるぞ。買い付けが終わったら掘り出し物を探すか」
服を畳んで卓に置くと、アウグストは思い出したように、
「カツウミくん今日さ、ダニザルカさんにムカついてたよね。我慢するようになったんだね」
カツウミにじろり見られてアウグストが首を縮める。カツウミは帳面を閉じて何も聞かなったように、改めて部屋のちゃちな戸や壁を見回して、
「ここ大丈夫かな。ぐっすり寝てたら盗られましたなんて、冗談じゃないぞ」
「う、うん。ノブに金物吊しておこうか」
「おう。寝る前にな」
アウグストが荷物の中を探す間、カツウミが考え込む。
「――決めた。明日はバカラを連れて行く。あの顔は用心棒になる」
「え、バカラにするの?」
「あと金はお前も半分持て。これは旅費と予備だから、きっちり体に括りつけて落とすなよ」
アウグストがコインの入った巾着袋を受け取り、重さを確かめて預かるのをためらう。
「やっぱり親父たちのキャラバンに入った方が――」
「馬鹿言え。爺ぃにな、仕入れに支度にと金を借りてんだ。どれだけこき使われるか分からん」
言下に撥ねつけられて、アウグストがしょんぼりする。
「そうだね……」
「いいから、明日はちゃっちゃと済まして、うちへ帰るぞ」
カツウミはビットルの口真似をして、立ち上がりベッドに転がる。そのまま軽い寝息を立て、夜中にトイレに立つアウグストが戸を開けるまで、熟睡していた。
(続く)
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