第3話(AI)

 激痛。

 右足首の激しい痛みが、カチューシャの意識を容赦なく揺さぶっている。その激痛に耐えながら、彼女はどうにか落とし穴から這い出し、撤退していた。


 ユーリアはまた、体を白に変えてしまった。周囲の壁、床もすべて真っ白になっていて、彼女の姿はそれに完全に溶け込んでいた。

「おらおら! どーした、お嬢様! さっきまでの威勢は、どーしちまったんだよー!」

 周囲の物や、これまでカチューシャが出した物を、白くして次々と投げてくるユーリア。

 カチューシャは、先程と同じように箱に入ってそれを防御しようとするが、痛みによって動作が鈍り、完全に防御しきれないことも多くなる。

「ぅ、く……ッ!」

 彼女のドレスは裂け、白い肌には無数の傷がついている。そんな状態で白い床を這い回っている惨めなカチューシャに向けて、飛び道具は正確に飛んでくる。


 這い回る床には、カチューシャの血が滲むが、それもすぐに白くなってしまう。ユーリアの能力が有効な状態では、一度白くなった物に色をつけることも出来ないようだ。そんな状態で、

(なぜ、なの……)

 カチューシャは思考を巡らせていた。

(わたくしは今、逃げている。こんな惨めな状態でも、常に移動をしている……それなのに、彼女はなぜ、わたくしの場所を正確に攻撃できるの……?)

「さあ、お遊びは終わりだぜ! ……トドメの時間だ!」

 ユーリアの声が、極めて近くで聞こえた。


 ユーリアは容赦しなかった。カチューシャが身構える間もなく、周囲の白い空間が、さらに濃密な、何もかもを覆い尽くす白に変わった。ユーリアが、空気中の水分や塵までもを白く染め上げたのだ。

 それは、霧や煙のようなレベルではない。目の前に白い壁があるかのような、完全な視界ゼロ状態だ。もはや、這い回ることさえ満足に出来ない。

(ああ、何も見えなくなってしまいましたわ……)

 足はまだ痛む。視界は消された。もう、相手の攻撃を箱で防御するタイミングも分からない。

 絶望してもおかしくないような状況。しかし、この「完全な視覚の喪失」は、カチューシャに一つのヒントを与えた。


(そうなのよ……。彼女はこれまで、全身を完璧に真っ白の壁の中に溶け込ませていた。それはつまり……自分の眼球さえも、白く染めていたということ……。そうでなければ、わたくしは真っ白な背景の中でも、彼女の瞳孔の「黒目」が移動するところは、見られたはずなのだから……。

 しかし、だとしたなら……完全に白く染まってしまった目で、光を取り込むことなんて出来なかったはず。今のわたくしと同じように、彼女も何も見えていなかったはず……。それなのに、なぜこれまで、わたくしを狙うことが可能だったの?

 ……はっ⁉)

 そこでカチューシャは気配を感じて、思考を止める。

 そして、反射的に素早く体を回転させて逃げようとした。しかし間に合わない。


 ガッ! ズザッ!

「う、あぁぁぁぁーっ!」

 ナイフを持ったユーリアの腕が、這いつくばるカチューシャの腹部に、振り下ろされていた。カチューシャは、さらなる激痛に絶叫する。豪華なドレスはすぐに血の赤に染まっていった。

(や、やはり……この正確さ……完全に、読まれていますわ。視覚ではない、別の感覚で……)

 カチューシャの意識が、朦朧としてくる。もう、あと数秒もたてば気を失って、この勝負は決着してしまうだろう。

 そんなとき……伸ばした彼女の手の先に、布の感触があった。

(こ、これは……)

 それは、最初にユーリアに差し出し、乱暴に叩き落とされたドレスだった。あのあと、ユーリアは周囲を白くするのと一緒にそのドレスも白くしてしまったらしく、背景に溶け込んで見えなくなっていたのだ。


 その白い塊に今……穴が開いていた。

 ちょうど、「さっきユーリアが持っていたナイフで一突きにされた」かのように、ドレスの胸の部分が裂けていた。


 その瞬間、カチューシャの思考回路が激しく回転する。

(ま……待ちなさい……。わたくしを追っていたのは、視覚ではない、別の何かの感覚……。そして、このドレス……それから、「マチルダの悪臭」……そ、そうか! そういうことだったのですわね⁉)

 その「気づき」によって脳が上書きされ、失いかけた意識が活性化していく。

 カチューシャは、絶望の中から真実の閃きを掴んだ。そして、もはや腹部の痛みは完全に無視して、自分が着ている血が染み付いたドレスを強く掴んだ。

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