第2話(AI)
「わたくしに、手加減の必要はありませんわよ?」
カチューシャは、ドレスの懐に仕舞われた小さな金色の箱を、また一つ取り出す。
箱が開く。中から巨大な塊、重厚なマホガニーの机が飛び出す。
それは空中を滑るように、ユーリアの白い潜伏エリアへ高速で射出された。
「クソッ! とりあえずデカいモン出しとけば、オレが見えなくても当たるだろっつーことかよ! 雑な攻撃だな!」
白い壁に溶け込んでいたユーリアは、机の直撃寸前で跳躍。廊下の壁を蹴って、ひたすら白い背景を伝って逃走する。
その途中、ユーリアは近くにあった古い花瓶に右手を触れた。花瓶は瞬時に無機質な白に染まり、ユーリアはそれをカチューシャに向けて投げつけた。
カチューシャは眉一つ動かさない。
「野蛮ですわ」
彼女は再び懐から箱を取り出し、飛来する花瓶の直前で、自分自身を箱に仕舞い込んだ。花瓶は箱に直撃し、白い破片となって砕け散った。
箱が再び開くと、カチューシャは優雅に姿を現した。そして、懐からまた別の箱を取り出し、「砲弾を装填した大砲」を出現させた。
轟音と共に、砲弾が、花瓶があったあたりに発射される。
「へっ! どこ狙ってんだよ!」
白に溶け込んだままのユーリアは、すでにそこから移動していた。
だが、カチューシャの攻撃は止まらない。懐から取り出される箱から、シャンデリア、巨大なチェス盤、甲冑などが、次々と、途切れることなく射出された。
「くっ……!」
ユーリアは、ひたすら白い背景を伝って回避に徹していた。彼女の能力は、隠密と白染め。
壁や床などの周囲が白くなった状況で、能力で白く染めた物を投げれば、その攻撃が見えづらくて回避もしづらい……という効果はあるが。だが、一瞬で自分を箱の中に入れられるカチューシャならば、飛び道具が目の前にきたことに気づいてからでも、充分に防御することが出来てしまう。攻守ともに使える柔軟で強力なカチューシャの能力に対して、直接的な攻撃手段がないのだ。
そんな、不利な状況の中で。
ユーリアは、カチューシャが出した「鉄骨」を避ける際に、体勢を崩しまった。
ドッ!
「し、しまっ……!」
白い床に、尻もちをつくように叩きつけられたユーリア。全身が白く溶け込んでいても、その衝撃音はカチューシャに届いた。
「あらあら」
勝ち誇った笑顔を作るカチューシャ。先ほどの大砲の砲口を、音のした方に向ける。
「うふふ。これで、この戦いは決着ですわね。マチルダ……ちゃんと見ているかしら? このわたくしが、美しく勝利するところを」
それからカチューシャは、さっき脇に置いたロシアンブルーのぬいぐるみ「マチルダ」のほうに愛しい視線を向け……ようとした。
しかしその時、白い影の中から、ユーリアの嘲り混じりの声が聞こえた。
「どこ見てんだ、お嬢様? お前の大好きな『お人形』なら、アンタの足の下だぜ?」
カチューシャは、視線を自分の足元に移す。そして、言葉を失ってしまった。
気づいたからだ。ユーリアの能力によって、真っ白になってしまった黒檀張りの床――それが、カチューシャの足の下だけ少し盛り上がっている。
その盛り上がり方が、あまりにも見覚えのある形をしている、ということに。
「……ぁ」
ユーリアが、その「盛り上がっている床」だけ、白を解除した。それによって、その盛り上がっているのが、自分の最大の心の支え――マチルダだと理解した瞬間……カチューシャの陶磁のように白い顔は、ショックの青へと一変した。
「ああ! ああ! な、なんてことを! よりにもよって、このわたくしに、愛するマチルダを踏ませるなんて⁉」
慌てて足をどかし、それを抱きしめる。
「ご、ごめんなさいね、マチルダ! わざとじゃないのよ⁉ このわたくしが、あなたのことを…………はっ⁉」
さらに、カチューシャは気づく。そのぬいぐるみから、うっすらと、さっきまではするはずもなかった悪臭がすることを。カチューシャが最も嫌悪する、タバコの臭いだ。
「あ、あなた、は……」
カチューシャの声は、震えていた。
「け、汚らわしい……あまりにも、汚らわしいですわよ⁉ こんな醜い臭いを、わたくしの大切なマチルダにつけるなんて! この臭いは、さっきあなたがマチルダを移動させたときについたものでしょう⁉ つまり……あなたはこんな臭いをさせる汚らわしい物……タバコを吸っているということ! 仮にも制服を着た学生が、そのような卑しい嗜好を持っていたとは! 見た目だけでなく、中身までもが、この神聖な学園に相応しくない汚らわしい存在だと、自ら証明するとは!」
カチューシャの美しい顔は、すでに完全に崩壊していた。美意識と愛するものを冒涜されただけでなく、ユーリアの存在そのものが「ノブレス学園のルールに反する醜悪な不良分子」であると確信したことが、怒りを最高潮に高めたのだ。瞳の奥には、憎悪に近い激情が宿っている。
「あなたのような醜悪な存在は、到底許すことが出来ません! 砲弾などであっさり消し去るのではなく、わたくしがこの手で、引導を渡して差し上げますわ!」
カチューシャは箱から、先端が鋭利な
そして、それを突き刺すように構えながら怒りのままにユーリアが潜んでいると思われる場所へ向かって一直線に突進した。優雅さを捨て、ドレスをはためかせた、排除することだけを目的とした荒々しい突進だった。
「ふ……」
ユーリアは、カチューシャが感情で「一本道」で突っ込んでくることに、白い影の中でニヤリと笑う。
ドシン!
気づいたときにはカチューシャの身体は、一直線の導線上に仕掛けられていた「白く偽装された落とし穴」に落ちていた。そのときのカチューシャにはユーリアへの憎悪しか頭になかったため、床の異変に気づかなかったのだ。
転倒と共に、カチューシャの右足首がありえない角度で捻じ曲がる。
「……ぐぁっ!」
彼女の口から、上品さとはかけ離れた苦痛の叫びが漏れた。
ユーリアは自分の白を解除し、倒れたカチューシャを見下ろす。
「へっ。ざまーみろ、クソお嬢様が。今のアンタ、全然『美しく』ないぜ?」
足を痛めて、自由に動けないカチューシャ。
「野蛮、極まりない……」
屈辱と激痛に顔を歪ませ、呼吸を荒くしながら、自分をはめた憎き相手を睨みつけていた。
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