EP 12

屍(しかばね)の上の改革

1943年4月18日。

史実において山本五十六が戦死したその日、大本営は一つの発表に揺れた。

「連合艦隊司令長官山本五十六元帥、ラバウルよりトラックへ移動中、悪天候により搭乗機が消息不明。捜索中なれど、絶望的」

海軍省は慟哭に包まれた。

だが、その数日後、海軍の主要拠点(呉、横須賀、トラック)の司令官室にのみ、極秘の電文が届いた。

『ワレ、健在ナリ。全艦隊ハ、東條総理ノ指示ニ従イ、海上護衛任務ヲ完遂セヨ。 ヤ(山本の暗号)』

山本は生きていた。

坂上(東條)が陸軍の潜水艦(まるゆ)で極秘裏に移送し、トラック諸島近海の秘密基地(コードネーム『信濃』)に設置された地下司令部(バンカー)に「潜伏」したのだ。

しかし、表向き「山本を失った」海軍の動揺は凄まじく、その憎悪は一斉に東條に向けられた。

「東條が、長官を前線に追いやり、見殺しにしたのだ!」

「あの悪天候での移動は、総理の強要だったに違いない!」

坂上は、その全ての憎悪を、無表情で受け止めた。

彼は、山本の「死(偽装)」を口実にして、改革の最後のアクセルを踏み込んだ。

「山本元帥の遺志を継ぐ!」

坂上(東條)は、ラジオ演説で国民に宣言した。

「我が国は、今、存亡の危機にある。敵の卑劣な潜水艦により、生命線が脅かされている! 山本元帥の御霊(みたま)に報いるためにも、全軍、対潜戦闘に邁進せよ!」

そして、彼は断行した。

呉軍港。

日本の象徴たる戦艦「大和」のドックに、陸軍の憲兵隊と工兵隊が乗り込んできた。

「何をするか! ここは海軍の聖域だぞ!」

海軍の技術者や兵士が、スパナや工具を手に立ちはだかる。

「大和から降りろ! 陸軍の犬め!」

「総理命令である!」

陸軍少佐が、拳銃を抜き、命令書を突きつけた。

「戦艦大和、主砲塔旋回ベアリング、及び甲板装甲の一部を、『ニ号研究(原爆)』及び『護衛空母改装』のため、陸軍が徴発する!」

「ふざけるな!」

「大和は俺たちの魂だ!」

一触即発。

海軍兵士が、憲兵隊に掴みかかろうとした瞬間。

ドック全体に、スピーカーから重々しい声が響き渡った。

『よせ。…よさんか』

それは、ドックに併設された海軍工廠(こうしょう)の長であり、大和建造にも関わった老提督(中将)の声だった。

『…山本長官の、最後の命令書を、君たちは読んでいないのか』

彼は、山本が「潜伏」する直前に書き残した、海軍上層部宛の『遺書(という体裁の命令書)』を読み上げた。

「…我が身、ソロモンの海に朽ちるとも、魂は護国の礎とならん。海軍将兵は、小異(艦隊決戦)を捨て、大同(本土防衛)につけ。東條総理の合理こそが、今や我が国の唯一の道である…」

技術者たちは、その場で泣き崩れた。

憎い東條の命令ではなく、敬愛する山本長官の「遺言」ならば、従うしかなかった。

彼らは、自らの手で、血の涙を流しながら「大和」の解体(パーツ徴発)を開始した。

坂上は、その報告を官邸で聞き、珈琲飴を噛み砕く。

(すまない、山本君。君の死(ウソ)まで利用させてもらう)

改革は強引に進められた。

海軍の航空隊は「艦隊決戦」から「対潜哨戒」へと任務が切り替えられ、護衛空母の建造が始まった。仁科博士の元には、「大和」から抜き取られた世界最高水準のベアリングが届けられ、遠心分離機の開発が急ピッチで進み始めた。

だが、その「屍(しかばね)の上の改革」は、最後の反発勢力を追い詰めていた。

1943年5月。

東京・九段下の料亭。

陸軍の過激派青年将校(皇道派の残党)と、海軍の艦隊決戦主義者(源田実の信奉者など)が、禁断の密会を行っていた。

「もはや我慢ならん!」陸軍大佐が声を荒げる。

「東條は、山本元帥までも見殺しにした! あの男は国賊だ!」

「大和を解体し、陸軍の怪しげな研究(原爆)に回すなど、神をも恐れぬ所業!」

「奴は、海軍から牙(艦隊)を抜き、陸軍を本土防衛という『守り』に閉じ込めた。聖戦はどうなる!」

彼らの狂信は、一つの結論に達した。

「東條を討つ」

だが、今回は12月の『冲鷹』での暗殺未遂とは訳が違う。

「陸海軍の合同部隊による、官邸・陸軍省・海軍省の一斉蜂起。東條を暗殺し、その首を陛下に捧げ、軍事政権を樹立する」

いわゆる「クーデター」だった。決行日は、6月1日と定められた。

その動きは、坂上の耳に即座に届いていた。

彼が東條の権限(内相・陸相)で再編した、憲兵隊と特高警察(特別高等警察)による、直属の防諜網。それは、21世紀の「いずも」CIC(戦闘情報センター)の情報処理能力を、この時代で再現したものだった。

官邸、総理執務室。

赤松秘書官が、血相を変えて報告する。

「総理、ついに動きます。6月1日未明、陸軍の近衛師団の一部と、海軍の横須賀陸戦隊の一部、計約1500名が…」

「知っている」

坂上は、珈琲飴の瓶を眺めながら、静かに言った。

「赤松君。俺は、6月1日、官邸を空ける」

「なっ!? 逃げるのですか!?」

「逆だ。迎え撃つ」

坂上は、地図の「陸軍省」を指差した。

「俺はあの日、陸軍省の大臣室にいる。そして、近衛師団(クーデター鎮圧側の主力)の信頼できる部隊を、陸軍省の周囲に『演習』の名目で配置しておく」

「総理…それは、あまりに危険です!」

「危険ではない。合理的だ」

坂上は冷たく笑った。東條の顔で。

「反乱軍(クーデター部隊)の大義名分は、『奸臣・東條を討つ』だ。彼らが『官邸』を襲えば、それは『政府への反逆』だ。だが、彼らが『陸軍省』に来れば?」

「それは…」赤松は息を呑んだ。

「『陸軍大臣(俺)』への『直訴』、あるいは『下克上』だ。軍内部の騒乱に過ぎん」

坂上は、このクーデターを「政治的内乱(2.26事件)」にさせず、「軍内部の規律違反」として処理するつもりだった。

「俺は、陸軍大臣として、陸軍省で彼らを待つ。

そして、彼らが陸軍大臣(俺)に銃を向けた瞬間、彼らは『反乱軍』となる。

その瞬間、周囲に配置した近衛師団が『反乱軍』を包囲し、鎮圧する。

…一切の政治的交渉の余地なく、武力でだ」

それは、クーデターを利用した、反対勢力の一斉「粛清」計画だった。

「いずも」艦長、坂上真一の冷徹な「迎撃」プランが、今、発動されようとしていた。

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