EP 6
ガダルカナル
1942年、夏。
ミッドウェー海戦は、起こらなかった。
日本中を熱狂させた「勝利」のニュースは、シンガポール陥落を最後に途絶えた。
東條英機(坂上)が強権を発動し、「戦線の不拡大」と「本土防衛体制の確立」を最優先としたからだ。
国民は「次の勝利」を渇望し、海軍は「使われなかった戦力」を持て余し、陸軍は「地味な防衛任務」に不満を募らせていた。
官邸の執務室で、坂上は積み上がった報告書を読んでいた。
その大半は、彼の「未来の知識」によって強引に開始されたプロジェクトの、芳しくない進捗報告だった。
* 「ニ号研究(原爆)」: 仁科博士のチームは、遠心分離法の理論構築には成功しつつあるが、必要な高精度ベアリングの国産化は絶望的。ドイツからのUボート輸送に頼るしかないが、その成功率は低い。
* 「新型迎撃機(対B-29)」: 三菱・中島共に、排気タービン(ターボチャージャー)の高熱と高回転に耐えうる合金の開発に難航。要求性能(高度1万2千m)には程遠い。
* 「兵站(シーレーン防衛)」: これが最も深刻だった。坂上が(東條の権限で)海軍に「対潜哨戒」の重要性を説き、護衛艦艇の増産を命じても、海軍の意識は「艦隊決戦」に囚われたままだった。米潜水艦(ガトー級)によるタンカー撃沈の報告が、日に日に増えていた。
(間に合わない…このままでは、ミッドウェーを回避しても、別の形で史実通りにジリ貧になる)
坂上は、冷えた珈琲を飲み干し、苦いキャンディを口に入れた。
その時だった。
「緊急電! 緊急電!」
赤松秘書官が、文字通り転がり込んできた。
「敵! 米海兵隊と思わる大部隊が、ソロモン諸島、ガダルカナル島に上陸!」
「ついに来たか…」
坂上の呟きは、誰にも聞こえなかった。
(ドーリットル空襲で俺を動かせなかった米軍が、ついに本格的な反攻に出てきた。史実通り、8月だ)
地下の大本営作戦室は、数時間で召集された陸海軍の幹部たちの怒気で満ちていた。
「またも海軍の哨戒ミスか!」
「何を悠長な! 現地の海軍陸戦隊が玉砕するぞ!」
「直ちに陸軍部隊を派遣すべきだ! 一木支隊(史実で最初に送られ壊滅した部隊)を急行させよ!」
陸軍参謀本部の作戦課長が、地図を指して叫んだ。
「敵は多く見積もっても数千。我が精鋭、一木支隊が上陸すれば、一蹴できます!」
坂上(東條)が、その場に響き渡る音を立てて、テーブルを拳で叩いた。
「黙れ」
東條の甲高い声とは違う、地を這うような冷たい声。
「いずも」で部下を叱責する、坂上真一の「司令官」としての声だった。
「諸君は、今、この国を滅ぼす決定をしようとしている」
「そ、総理…?何を…」
「敵の目的が、あのジャングル島の占領だと思うか?」
坂上は地図のガダルカナル島を指差した。
「違う。彼らが狙っているのは、そこにある『飛行場』だ。ラバウル(日本軍の重要拠点)を叩き、我が南方資源地帯へのシーレーンを遮断するための、『不沈空母』を手に入れることだ!」
21世紀の軍事理論(拠点防衛と航空優勢)を、彼は1942年の将軍たちに叩きつけた。
「一木支隊だと? 偵察もなしに、敵の戦力も見積もらずに、数千の兵を送り込むのか? 敵飛行場から飛び立つ敵機の真下に?」
「そ、それは…」
「それは『作戦』ではない。『特攻』だ」
坂上は、祖父の死を脳裏に浮かべ、その言葉に最大限の嫌悪を込めた。
「兵を、飢えと無謀な突撃で『消耗』させること(ガダルカナル島の史実)は、私が総理である限り、絶対に許可しない」
彼は、陸軍と海軍の参謀たちを交互に睨みつけた。
「海軍に命じる。ミッドウェーで使わなかった空母機動部隊(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、そして瑞鶴、翔鶴)を、今すぐソロモン海に集結させろ。目的は敵輸送船団の撃滅と、敵飛行場の『完全破壊』だ」
「なっ! 虎の子の機動部隊を、あのような狭い海域に…!」海軍が反発する。
「陸軍に命じる。一木支隊の投入は中止。直ちに第2師団(精鋭部隊)を動員準備。だが、上陸は許可しない」
「(東條)総理! 敵に飛行場を完成されてしまいます!」陸軍が絶叫する。
「だから言っただろう!」
坂上は吼えた。
「海軍が、敵飛行場を『完全に』沈黙させ、制空権と制海権を確保するまで、陸軍は一兵たりとも上陸するな!」
「海軍が空を、陸軍が地を、同時に制圧する。これより、ガダルカナル島攻略作戦は、陸海軍の垣根を撤廃した『統合任務部隊』によって遂行する!」
『統合任務部隊(Joint Task Force)』。
この時代、この国の軍隊には存在しない概念だった。
「そ、そんな前例は…」
「俺が前例だ」
坂上(東條)は、総理大臣、陸軍大臣、そして内務大臣(警察権力)の全ての権限を剥き出しにした。
「これは『賭博』ではない。我が国の『生存』をかけた、防衛戦だ。
海軍は、飛行場を破壊しろ。
陸軍は、海軍が確保した地獄に、万全の兵站と火力(重砲)を持って上陸し、敵を殲滅しろ。
どちらか一方でも失敗すれば、我々は南方資源を失い、本土は干上がる」
彼は、史実のガダルカナルで起きた「陸海軍の連携不足」「兵站軽視」「兵力の逐次投入」という、全ての敗因を、この瞬間に握り潰した。
作戦室は静まり返っていた。
ミッドウェーを潰された海軍の憎悪と、作戦の自由を奪われた陸軍の不満が、渦を巻いて坂上に突き刺さる。
(暗殺されるなら、それでもいい)
坂上は、口の中の珈琲飴を噛み砕いた。
(だが、俺の故郷が焼かれる未来と、部下(国民)が飢え死にする未来だけは、絶対に回避する)
ここに、史実とは全く異なる「ガダルカナル攻防戦」——日本軍が温存した正規空母戦力すべてと、陸軍の精鋭師団、そして坂上の「兵站」思想が投入される、本当の「決戦」の幕が切って落とされようとしていた。
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