第2話 白磁のダムナティオ

「知佳——」


 知佳の顔を見たみゆきは、ホッとした安心感と、嬉しさで気の抜けた声が出た。

 だが、呼びかけられた知佳は、無表情のまま黒曜石のような美しい漆黒の瞳を川原田に向けたままだ。


 冷徹ささえ感じる美少女の突然の登場に、さすがの川原田も一瞬たじろいだように見えたが、すぐに作り笑顔を整えると、


「やあ、君は七条さんのお友達かな? 丁度いいところに来たね。今、彼女には人生最大のチャンスを逃さないための……」

 

 再び演説を始めた川原田の目の前で、知佳は手にした入会届をビリビリに破き、テーブルの上に放った。


「え? 何か言いました?」

 

 思わず絶句した川原田を、知佳は正面から見据える。その表情はあくまで無表情を崩さない。

 

 だが、川原田もさるもの、驚きつつも、ニヤリと笑みを浮かべ、


「いや、これは誤解を与えてしまったみたいだね……君の友達の七条さんは、僕たちの活動に興味を持ってもらっていてね……投資におけるチャンスはそう多くない。だから詳しくその内容を説明していたところなんだ」

 

 川原田の口からスラスラと出てきた嘘に、みゆきは仰天する。


「ちょっと、なんでそんな嘘を? 全く興味ないって言っているじゃないですか!」


 だが川原田は、みゆきの抗議を聞き流し、知佳の方を見たままだ。


「へぇ、そうですか。私にも聞かせてください」


「ちょ、ちょっと、知佳!」


 思いもよらぬ知佳の言葉に、みゆきは慌てて腰を浮かす。


 川原田は目を怪しく輝かせ、舌なめずりせんばかりに知佳の方へ身を乗り出した。


「素晴らしい! いいね! とりあえず僕が話したいのは、うちの研究会が伝手つてを駆使して得た投資の情報を、うちのメンバーだけに共有しているんだ。そこにジョインしてもらえれば、君たちにも幸運のおすそ分けが巡ってくる、ってわけさ」


「具体的には?」


 知佳は相変わらず無表情に川原田を見下ろしている。みゆきとしては、この男の口車に知佳が乗ってしまうのではないかと気が気ではない。


「具体的な内容は入会してもらわないとね……なにせ、特別な情報だから」


 川原田はニヤリと粘っこい笑みを浮かべる。


「そう……じゃあ入会なんてできないわね」


 知佳は眉一つ動かさずに宣告する。

 だが、川原田は馬鹿にするかのようにフッと息を漏らすと、


「そうなの? もったいないなぁ。千載一遇って言葉はこのためにあるんだよ。世の中多くの人が目の前のチャンスを見逃して、後で後悔するんだ。人生ってのはここぞってところで勝負しないといけないけど、多くの人はできないのさ。だから成功者ってのは少ないんだよ」


「大して歳の変わらないあなたに、人生の何たるかを教えてもらう義理はないわ。それに……」


 知佳は片眉を上げると、川原田を正面から見据え、


「どうせあんたには説明できないでしょ? おいしい投資話とか。そもそも理解なんてしてないんじゃない?」


 と、嘲るように言った。


 川原田はそれまでの粘っこい笑顔を引っ込め真顔になると、語気を荒げた。


「君は失礼だな……もうけ話をそんな簡単にペラペラしゃべるわけないだろう! そんなことは子供でもわかるだろ!」


「何言ってんの? あんた。だから理解してないって言ってんじゃない。理解できてたら核心部分は除いたとしても概要は話せるはずよ。それすらできないレベルってことでしょ」


「くそ! ……こいつ……分かったよ。概要を話してやるよ。ただお前らが反論できなかったら無条件で入会させるからな」


「ええ、どうぞ。楽しみだわ」


 知佳と川原田のやり取りをハラハラしながら見ていたみゆきだが、何よりもビスクドールのような冷たさを感じる知佳の美貌が、この時ばかりは恐ろしく思えるほどだった。

 川原田はそんな知佳を睨みつけながら、概要を話しだした。


「我々が投資しているのは、企業の株や債権などに直接投資するのとは違う……うちの研究会と関連するコミュニティの中だけでシェアされている、に対する投資をしているんだ」


「とあるシステム?」


 みゆきはつい興味をそそられて聞き返してしまった。だが今の川原田は、エサに食いついたカモのことなど目に入らないようだ。


「そう。詳しくは明かせないが、『』だと考えればいい……これが凄いんだ。運用益は月利で平均して5%から10%は固い」


「月利で5%から10%? 年に60%から120%になるって言うの?」


 眉を寄せ、不審げに聞いた知佳だが、その様子を動揺と受け取ったのか、川原田はニヤリと厭らしい笑みを再び浮かべると、


「ああ、そうさ。驚くだろ? しかも元本保証付きだ」


「そう……ちなみにだけど、そんな素晴らしいシステムを開発したのはなんという会社なの? 普通にニュースになってもよさそうだけど、聞いたこともないわ」


「ニュースになんかならないよ。あくまでクローズドなコミュニティでの運用だからね……ただ、この名前は君たちも聞いたことがあるかもしれないね――黒江くろえ 正信まさのぶ


「黒江――正信……確か、投資家で金融コンサルとかやっている――」


 黒江 正信。知佳は思い当たることがあったようだが、みゆきには全くの初耳だった。


「フフフ……どう? おいしいチャンスだってやっと分かった? 自分たちがどんだけもったいない愚かな行為を――」


「黒江 正信が関係していようがいまいが、私の判断基準にならないわ」


 余裕を取り戻し始めていた川原田の言葉を、ぶった切るように知佳は言い放つ。


「き、君はほんとにバカだな! カリスマ投資家の黒江 正信だぞ? その人が開発した素晴らしいシステムで―――」


「だ・か・ら、その素晴らしい黒江様が、元本保証って言ってるんでしょ?」


「えっ? ……あ、ああ、そうだよ。別個で動いているヘッジファンドと連動するようになっているから、万が一AIが損失を出しても元本は保証されるんだ……」


 知佳の言っている意味を図りかねているのだろう、明らかに川原田の目が泳ぎ始めた。


「そう――ところであんた。投資の世界で『』ってどういう意味か知ってる?」


「……え、それは、さ、最初に投資した金額を保証するという意味で――」


「そんなこと聞いてんじゃないわよ。日本ではね、出資を募る際に元本を保証する行為は『出資法』違反に該当するのよ」


 川原田の顔に脂汗が浮き始めた。人間追いつめられると本当に脂汗をかくものなのかと、みゆきは変なところで感心していた。


「い、いやいや……もちろん、その『出資法』に違反しないよう……あれだ、その、実質的に元本保証という意味だから――」


「実質なんて言葉、つけたところで免責にはならないわよ」


 しどろもどろの川原田を容赦なく叩き潰す。


 だが、知佳の黒曜石のような美しい瞳は、川原田を捉えて離さない。


「――それから」


「ま、まだ――」


「さっき、『月利5%から10%の運用益が固い』って言ったわよね?」


「それは……その」


 川原田の顔は泣きそうになっている。無表情な美少女に責め立てられたらこうもなるだろうと、みゆきは少し同情する。


「あのね、あたかも利益が確実なものかのようにして勧誘するのは『断定的な判断の提供』というものに該当するのよ。これも『金融商品取引法』で厳しく禁止されている違法行為なのよ」


 何も言い返せなくなった川原田は俯いていたが、急に小刻みに震えだすと、小さな声で「……ウルサイ……ウルサイ……ウルサイ」と呟きだした。


「……さっきから聞いてりゃ、法律、法律って……何がそんなに大事なんだ! そんなんだからお前らみたいなのはチャンスを逃すんだ! 人が親切に言ってやってるのに! それを――」


「親切? 何を言ってるの? あたしの方こそ親切で言ってあげてるのに」


「……なんだと」


「あんたが本気で”良かれと思って”話しているんなら、あんた自身が詐欺の片棒を担がされてる可能性があることを教えてあげてんのよ」


「ウルサイ! そんなわけないだろ! く、黒江 正信だぞ! そんなこと――」


 川原田は顔を真っ赤にして、知佳を憎々しげに睨みつける。


 だがそんな怒りの表情を目の前にしても、知佳の涼やかな無表情は揺るがない。


「黒江 正信ね……有名なカリスマ投資家が、凡ミスみたいな法律違反……しかも2つも……それってさ――」


 知佳は川原田の目を覗き込むと、宣告するように言った。


「あんたの言っている黒江 正信は、本当に黒江 正信なの?」

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