釘抜き祭り

をはち

釘抜き祭り

釘抜き祭り



冷たく湿った秋の風が、国有林の木々を揺らしていた。


10月の満月の夜、雨宮正幸と太田曜子は、関東から車を飛ばしてこの山奥にやってきた。


大学の友人から聞いた「松茸が大量に採れる穴場」を目指し、期待に胸を膨らませていた二人だったが、


森の奥深くをあちこち動き回った結果、道を見失い、迷子になってしまった。


「正幸、ほんとにこの道でいいの?」


曜子が不安げに尋ねた。


彼女の声は、霧に飲み込まれるように弱々しく響いた。


「地図アプリが圏外で…でも、さっきの分岐で間違えた気がする」


正幸はスマートフォンを握りしめ、苛立ちを隠せなかった。


二人は松茸探しを諦め、近くの村を探すことにした。


すると、遠くから銃声が響いた。


ドン、ドン、と規則的なリズムで、


それは祭りのような喧騒を思わせた。


「猟師がいるんだ! 誤射されたら危ないから、気をつけよう」


正幸は慎重に距離を取りつつ、銃声の方向へ進むことを提案した。


曜子も頷き、二人は木々の間を縫うように歩き続けた。


やがて、森の切れ目に小さな村が現れた。


古びた家屋が点在し、まるで時間が止まったような雰囲気が漂っていた。


村の入り口で、二人は深山大悟とその妻・えりに出会った。


夫婦は温厚そうな笑顔で二人を迎え、迷子の事情を聞くと、快く自宅に泊めてくれることになった。


「こんな山奥で迷ったら危ねえよ。今日は特別な日だから、なおさらだ」


大悟は意味深な言葉を口にしつつ、二人を家に招き入れた。


家の中は古びた木材の匂いが漂い、囲炉裏の火がわずかに部屋を温めていた。


夫婦の息子・忠志は無口な少年で、どこか落ち着かない様子で二人をチラチラと見つめていた。


夕食の席で、大悟が村の風習について語り始めた。


「この村じゃ、毎年10月の満月の日に、特別な祭りがあるんだ。


『釘抜き祭り』ってね。まぁ、よそ者には関係ない話だが」


彼はそこで言葉を切り、えりと視線を交わした。


曜子は何か不穏なものを感じたが、疲れ果てていたこともあり、深く追求しなかった。






釘抜き祭りの表と裏



その夜、雨宮と太田は客間で寝床についた。


だが、深夜、家の外から奇妙な音が聞こえてきた。


ドン、ドン、という重い音。


まるで何かを叩き割るような、鈍い響きだった。


曜子は目を覚まし、正幸を揺り起こした。


「ねえ、なんか変な音しない?」


二人は窓の隙間から外を覗いた。


満月の光の下、神社の境内では村人たちが集まり、何かを行っているようだった。


火が揺らめき、影が不気味に揺れていた。


実は、この音は神社の関係者が忠志を呼び出すために意図的に出したものだった。


深山家に客がいることを知らない神社の者たちは、いつものように儀式の準備を進めていたのだ。


正幸は好奇心を抑えきれず、「ちょっと見てくる」と囁いた。


曜子は止めたかったが、彼の決意は固く、結局二人でそっと家を抜け出した。


神社に近づくと、村人たちが円形に並べられた丸太の周りに集まっているのが見えた。


丸太にはそれぞれ村人の名前が刻まれ、中心には12の枠に猟師たちが立っていた。


月明かりに照らされた彼らの顔は、どこか異様な緊張感を漂わせていた。


釘抜き祭りの表向きの儀式は、こうだ。


神無月の満月の日の朝、村人たちは子供の胴回りほどの丸太を用意し、自分の名前をノミで刻み込む。


それを神社の裏に村人の人数分並べ、前年に置かれた自分の丸太を中央の境内に移す。


丸太は中空の円形に配置され、その外側に十二支の枠が均等に置かれる。


正午になると、神主に選ばれた12人の猟師が一人ずつ十二支の枠に入り、順番に丸太に向けて一発ずつ銃を撃ち込む。


合計144発の銃弾が撃ち込まれると、丸太の持ち主は自分の丸太を拾って、弾の数を数える。


一番多く弾が当たった者は、その年、厄が多い者として自らの行いを慎む。


そして、弾の数にかかわらず、弾が当たった丸太の持ち主は神主による厄払いを受ける。


これは村人たちが知る、表向きの祭りの姿だ。


しかし、釘抜き祭りの真の目的は、村人たちには知らされていない。


戦国時代から続くこの秘密の儀式は、神社の関係者だけが代々受け継いできた。


神無月の夜、「神が見ていない」この時に、神社の者たちは村に潜む「不浄な者」を炙り出す。


儀式の後、回収された丸太は神社の裏で密かに鉈で細かく割られる。


その際、中から虫が這い出てきた丸太の持ち主は、「心に虫が住みついた者」——つまり、密告者や裏切り者と見なされる。


もし銃撃の際に虫に弾が当たっていれば、その者は許されるが、


そうでなければ、神社の者たちによって「事故」に見せかけて密かに始末される。


これが「釘抜き」の真意だ。村から不浄な者を「抜く」ための、恐ろしい裁きの儀式なのだ。






巻き込まれた部外者



正幸と曜子は、境内を覗きながら異様な雰囲気に気圧されていた。


村人たちは丸太を集め、弾の数を数えていたが、その場にいること自体、場違いだと感じ始めていた。


「なんか…ヤバい雰囲気じゃない?」曜子が囁く。


彼女の声は震えていた。


その時、忠志が二人に気づいた。彼の目は異様に鋭く、まるで獲物を捉えた獣のようだった。


「お前ら、なんでここにいる?」


彼の声は低く、敵意に満ちていた。


忠志自身、自分の丸太に虫がいたことなど知らない。


丸太はすでに神社の者に回収され、裏で処理されているからだ。


「ただ…興味があって…」


正幸が言い訳する間もなく、忠志は二人を神社の裏手に連れていった。


そこには、儀式の後で回収された丸太が積まれていた。


神社の関係者が鉈で丸太を切り刻む中、異様な光景が広がっていた。


ある丸太を割った瞬間、中から無数の虫が這い出てきた。


その丸太には「忠志」と刻まれていた。


「こいつは…裏切り者の丸太だ」


神主が低い声で呟いた。


村人たちの視線が一斉に忠志、そしてその場にいる雨宮と太田に向けられた。


部外者がこの秘密を目撃してしまった瞬間、神社の者たちの空気が変わった。


「待って! 俺たち、ただ迷っただけで…!」


正幸の叫びは、神主の冷たい視線に掻き消された。


神主は静かに言った。


「神が見ていない夜だから、私たちが裁く。この村に余所者がいることは、神さえ知らない」


その言葉を合図に、神社の者たちが二人を取り囲んだ。


月明かりの下、鉈が鈍く光った。


忠志は自分が裁きの対象だと気づかぬまま、ただ二人を睨みつけていた。


神社の者たちは、忠志を呼び出すつもりが、部外者を巻き込んでしまったことに苛立ちを隠せなかった。







恐怖の夜




満月の光が境内に差し込む中、雨宮と太田は必死で逃げ道を探した。


だが、神社の者たちの動きは統制されており、まるで何百年も繰り返してきた儀式のようだった。


銃声が再び響き、曜子が悲鳴を上げた。


彼女の足に鋭い痛みが走り、倒れ込む。


弾がかすったのだ。


「曜子!」


正幸は彼女を支えようとしたが、背後から神主の持つ鉈が振り下ろされた。


鋭い刃が正幸の肩を切り裂き、彼は地面に崩れ落ちた。


「部外者がこの秘密を知った以上…村から『抜く』しかない」


神主の声は冷たく、まるで感情がなかった。


忠志は混乱したまま、自分がなぜここにいるのか理解できずにいた。


だが、神社の者たちは容赦なかった。


忠志の丸太に虫がいたこと、そして部外者が秘密を目撃したこと——どちらも「不浄」と見なされ、始末される運命だった。


村人たちは何も知らず、ただ表向きの祭りを信じている。


だが、神社の者たちは、満月の夜に村から「釘」を抜くために、冷酷な裁きを下すのだ。


雨宮と太田、そして忠志は、円陣の中心に引きずり込まれた。


枯れ葉を砕き詰められゆく音、鉈の鈍い音、そして神社の者たちの呪文のような囁きが、


追われるモノが放つ恐怖を夜の静寂へと押し込めた。







終幕




翌朝、村は再び静けさを取り戻していた。


神社には新しい丸太が並び、昨夜の出来事はまるで存在しなかったかのように消えていた。


深山夫妻は、息子と客が消えたことに戸惑いながらも、村の日常に戻った。


神社の者たちは、忠志の「事故」と部外者の「行方不明」を、誰にも悟られぬよう処理した。


国有林のどこかで、松茸を探しに来た二人の大学生の行方は、誰にも知られなかった。


そして、忠志の名もまた、村の記憶から静かに「抜かれた」。


神無月の満月の夜、釘抜き祭りは続く。


神が見ていない夜、神社の者たちは村に潜む不浄を密かに裁く。


村人たちはその真実を知らず、ただ古い風習を信じ続ける。


そして、部外者がこの秘密に触れた時、彼らは村から永遠に「抜かれる」運命を辿るのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

釘抜き祭り をはち @kaginoo8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ