その翡翠き彷徨い【第61話 荒野の果て】

七海ポルカ

第1話






 深い森の中に隠れるように、その神殿はあった。


 青みを帯びた煉瓦で作られた、不思議な雰囲気のする入り口だけが山肌に作られている。

 入り口はさほど大きくないが、山を利用しその内部に神殿を築いたのだった。

 エドアルトとミルグレンは訳の分からないまま、そこに連れて来られてしまった。


「イーシャ卿のお客人だ。客間にお連れしろ」


 黒ローブの神官が頷く。

「どうぞこちらへ」

 やはり感情のない声で案内された。

 中は随分入り組んでいるようだ。

 さほど人は見なかったものの、かなり多くの人間の気配は感じた。

 ここはちゃんと神殿として機能しているのだろう。

 でも内部はどこも薄暗く、通り過ぎる人間達も表情がなく暗い印象だ。


(何なんだろう……ここ)


 それにあの村もだ。


「どうぞ。しばらくここでおくつろぎ下さい。間もなくリュシアン様がいらっしゃいます」

「あの、そのリュシアンって人はどういう」

「リュシアン・エイブ様は我がベスラ教団の総司祭長であらせられます」

 それだけを言うと黒い神官は出て行ってしまった。

 一応茶などは置いては行ったが、客間というには窓もなく、燭台に灯された蝋燭が三本、心許なく灯っているだけである。


「気味悪い部屋!」


 ミルグレンがばっさりと言い放つ。

「どーすんのよ、こんな訳分かんないとこ連れて来られて」

「だっ、仕方ないだろあの状況……殺されると思ったんだから!」

 エドアルトはコインを取り出す。


「ホントこれのおかげで助かったよ……」


「何なのソレ」

 ミルグレンが覗き込んで来る。

「前にメリクにもらったガルドウームのコインなんだ」


「えっ! メリク様に?」

 目敏くそこだけ嬉しそうに反応した。


「その時に聞いたんだよ。このコインの意味とか。あとメリクは確かガルドウームでは、新しい空気が生まれつつあるのかもみたいなことも言ってた」


「あんたが言うとよく意味が全然分かんない」

「う、うるさいな! 俺だって空気とか言われても分かんねーよ! でもあの話、もし聞いてなかったら、俺達どうなってたと思う?」

「さー? 普通なら秘密を知った邪魔者には消えてもらうとか、心臓ぶすりじゃないかしら」

「怖いこと言うなよ! あとそれは普通じゃない!」

「なによー。」

「そ、そ、そんなことよりだ!」

 エドアルトは声の音を小さくした。


「……あの村のことだよ。お前、あれ、どういうことだと思う?」


「不死者の村。」


「だーっ! だからはっきり言うなよ! なんだそのイヤな表現!」

「うるさいわねいちいち。実際に見たでしょうが。あんたあの中に一人でも生きてる人間がいるように見えたわけ?」


「……いや見えない」


 そう考えると今でもゾッとする。

 そうだよ。

 あの村には生きてる人間は一人もいなかったんだ。


「でしょ。ならそういうことよ。私達はまんまと騙されたわけ」

「騙されたとか問題はそこじゃないと思うぞ……」

 エドアルトは疲れたように椅子に座る。

「ここの奴、あの村のこと知ってるみたいだっただろ。それってどういうことだ?」

「……」

「不死者ってさ……おれ、悪い幽霊と同義語くらいの認識しかないけど……あんな、村とかに大勢集まったりするのか?」

「しないわよ。バカじゃないの。どこの世界に村作って長閑に集団で暮らす不死者がいるのよ」

 ミルグレンが呆れ返る。


「そーじゃなくって! 

 おれは見たままのことを言ってるんだよ。実際村に住んでただろ! 

 あと、昼間宿に入る時応対した奴は普通の人間に見えたぞ! 

 あんまりちゃんと見てなかったけど!」


「見えたならそういうことなんじゃないの」

「えっ?」



 扉が開いた。

 森で会った男が入って来る。


「お待たせして申し訳ない。ああ、もっとくつろいでいただいて良いのですよ」

「こんな所でどうやっ……」

 不満げな声で言いかけたミルグレンの口をエドアルトがすかさずぱーん! と手の平で止める。

「どうも、お気遣いいただいて」

「申し遅れました。私はリュシアン・エイブと申します。ベスラ教団では総司祭長として神殿の運営に携わっております」

「俺はエドアルト。こっちが……」

「早くここ出て王都に行きたい。」

 ミルグレンが仏頂面で言った。エドアルトがもう一度口を塞ぐ。

「失礼だろっ! すいません、こいつはミルグレンって言います」

「はは……」

 リュシアン・エイブは笑った。


(……あれ?)


 普通の穏やかな笑みだった。

「妹さんですか?」

「えっ、あ……ああ! はい! そうなんです実は……妹は田舎者で! 礼儀とか知らない奴で本当すみません」

「いやいや、いいのです。本当に貴方がたには失礼なことをしてしまった。この場でもう一度お詫び申し上げます」

 森で会った時は不信感で一杯だったが、こうして見ると普通の人に見えた。

「いえ、こちらこそ……」

 エドアルトはおやと思い頭を下げる。

「お二人は王都へ?」

「あ、はい……えっと、……兄に、ガルドウームの王都には綺麗な神殿が多いから一度は見るといいって言われて……」

 咄嗟に作り話をしたので、ミルグレンがまた何か言うと厄介だと思ったが、彼女は黙っていてくれた。

「なるほど、兄君にお会いに行く道中なのですね」

 そうではなかったが男が勝手にそう言ったので、首を縦に振る。


「ふむ。確かにガルドウームは信仰の都です。かつてはね」


 リュシアンは立ち上がり部屋の中をゆっくりと歩き始める。

 彼は部屋の中に掛けてあった一枚の絵の前で立ち止まった。

 その絵は何か、水の中に立つ美しい神殿を描いたもののようだ。


「……だが今は見る影もない」


「え?」

「【有翼の蛇戦争】をご存知でしょう? あれからこの国は正しき秩序を失い、信仰を忘れた者共がはびこるようになってしまった」

「……」




「――――ねぇ。もう出て行きたいんだけど。」




 腕を組んだミルグレンがはっきりと言った。

 リュシアンが振り返る。

「こ、こら。失礼だろ妹! すいません、こいつ田舎者だから早く王都が見たいって五月蝿くって。ちょっと黙ってなさい!」

「ははは。お若い方では無理もない。ところでここを発つ前に貴方がたにお願いがあるのです」

「お願いですか?」

「ええ。先程言った通り、今のガルドウームは国として衰退の一路を辿っています」

 エドアルトは思い出す。


(メリクも確か、そんな風に言ってた。もっと悪くなって行くだろうって)


「残された者として……我々は滅び行く国を救わねばなりません。

 私達ベスラ教団はその尊い使命を請け負っているのです」


「は……はぁ、なるほど」


「ここでお会いしたのも何かの縁だ。貴方もこのベスラ教団で力を尽くしませんか?」


 エドアルトはぽかーんとした。

「力を尽くすってあの……入れってことですか?」

「いえいえ、強制する気など全くありませんよ。強制される信仰など、紛い物以外の何ものでもありませんからね。私はただ、貴方がたにとってそれはよい話だと言っているのです」

「いや、でも俺、ガルドウームの人間じゃないですし……正直国のこともあんまし……」

 リュシアンは笑った。

「生まれなど問いませんよ。何せこの国で生まれても、この国の信仰を理解しない人間は山ほどいる。貴方がたは知識を正しく理解した。それならば、今、混乱するこの国に何が必要かも分かっていただけるはず」




「ここに留まる気はないわ」




 ミルグレンがはっきりとリュシアンの眼を見据えて言った。

 それは否定の遅いエドアルトに苛立っての行為にも見えた。

「人を待たせているのよ。もう行くわ」

 彼女は歩き出す。


「そうですか。貴方がたならもしやと思ったのですが……残念です」


 ミルグレンが扉を開けるとそこにすぐ黒の神官二人が立ち塞がった。

 エドアルトは振り返る。

「何を……」

 リュシアン・エイブは静かに微笑んでいる。


「言ったでしょう。よい話だと。

 貴方がたは偶然とはいえジャシャールの村の真実を知った。

 もてなして帰すとでもお思いでしたか?」


「ジャシャールの村って……あの、不死者の村か? ちょっと待て、よくわかんないぞ! あんたらがやっぱりあの村に何か、関わってるのか⁉」


「要するに、私達の敵ではない貴方達に与えられるのは二択ですよ。我々の秘密を共有して同胞となるか、ならないか」


 リュシアンとの会話は上手く繋がらなかった。


「私はあの村に迷い込んだ人間に二択は普通、与えない。

死の女神ルテシア】の名を讃えた貴方がただからこそ、慈悲を与えたのです」



「お前ら一体、あの村でなにを……迷い込んだ人間になにをしたんだ!」



「何も……」


 男は笑んだ。

 やはり普通の、穏やかな笑みだ。

 だがこの場合の普通の笑みは、返って不気味で歪に見えた。


(こいつ、普通じゃなくて)


「何もしてはいませんよ。彼らは幸せに暮らしている。あの場所で」

「えっ⁉」

「貴方も見たでしょう」

 虚空を見つめ徘徊する人の器。

 魂のない、その異形。

 エドアルトの脳裏に浮かぶ。


「まさか……」





「【死を愛せ。さすれば死もまた愛す】」





 コツ……リュシアンはゆっくりと歩き出す。


(普通に、狂ってるんだ……!)


「私は彼らに尋ねました。生きたいかとね。ここで死ぬか、死を越えて尚、生きたいかと。彼らは皆、同じ答えだった。『生きていられるならば何でもいい』と、そう答えたのです」


 嘲笑が混じる。


「愚か者どもが。信仰を忘れ、浅ましく生にしがみつく売奴があの方を死なせたのだ」



(あの方……?)



「放しなさいよっ!」

「元気のいいお嬢さんだがここは厳粛なる神殿内だ。静かにしていただこう」

「いや! 何すんのよ!」

「ま、待てよ!」

 エドアルトがリュシアンを引き止める。


「か、考える時間が欲しい! 

 いいだろ、俺達は旅の途中だったんだ! 

 そんな突然仲間になれとか言われても簡単に頷けるわけない!」


「私は丁重に貴方がたを誘い、包み隠さず全てを話した。貴方がたは私の示した選択肢を拒んだ。私は強制はしない。信仰心の無い者は宗教を堕落させる。

 ……だが……まぁ、いいでしょう。貴方が考えるのは勝手だ。

 しかしこの神殿は必要無い者を長くは置かない。こう見えて『大勢の者』を抱えているのでね……。

 明朝までに答えを出しなさい。

 出て行きたくばどうぞ自由に……ただしこの神殿を一歩出ればジャシャールの森はグール共の巣窟です。

 見た所、大した魔力もない貴方がたにあの森を無事で抜け出せるとは思いませんがね、フフフ……」


 リュシアン・エイブの瞳に魔力の光があった。

 エドアルトは気付く。

 彼はエドアルトとミルグレンがほとんど魔力を持たないことをすぐに見抜いた。

 力のある術師はそうやって、相手の魔力を強く感じ取ることが出来るらしい。


(メリクもそうだから、分かる)


 離れていても彼らは魔力を敏感に感じ取って、相手の場所を把握したりも出来るらしい。

 この男もそれなりの実力者だとしたら、逃げたとしても追跡を躱すのは困難になる。

 だが、今この場で決まるよりはいい。


「彼女を放せ。あんた達は神官なんだろ」


 リュシアンが軽く手を上げる。

 ミルグレンを捕らえていた男達はその手を離した。


「では明朝答えを聞きに参りましょう。おやすみなさい。よい夢を」




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