公園墓地の怪

 公園墓地の怪~夜


 Y市南部N地区に市営霊園がある。「N公園墓地」と呼ばれ国道に平行する細い谷間を墓地として造成したものだ。谷間の斜面を階段状に切り開いた墓苑は、今は多くの区画がほぼ埋まり、びっしりと大小の墓石が並んでいる。墓苑の中央には道路と駐車場が整備されており、そこに百本を超える桜が植栽されて、市民には隠れた花の名所として知られ、春には墓参者より花見客の方が多くなる。

 八月の旧盆である。一年でもっとも墓苑が賑わう時で、墓参者は日中の暑さを避けて朝か夕方に参るので朝夕は特に人が多く、駐車場がいっぱいになる時間帯もある。特に夕暮れには墓の灯籠に火を入れる習慣がこの地域にはあり、黄昏時になると次々と灯籠が灯されて、数百の灯りで墓苑全体がほの明るく照らされ、夏の風物詩のひとつとなる。

田丸健介は、今年四十二歳。この墓苑の管理をY市から委託された業者の社員で、通常は清掃や整備が主な仕事だが、さすがに盆シーズンは忙しく、特に旧盆の三日間は夜勤も設定される。遠方からの帰省者が深夜早朝に来苑することがあったし、原則禁止しているのだが、供物があるとイノシシなどがそれを目当てに来て、墓地を荒らす可能性もあるため適宜それを片付けるという仕事もあった。

 深夜の墓地の見回りは気味が悪いでしょうと、よく聞かれることがあったが、この仕事について八年目の田丸は、そうした話は信じない方だったし、これまで幽霊の類いに出会ったこともなかった。たまに茂みがガサガサと揺れるが、大抵はイノシシなのだ。タヌキかもしれない、びくびくするよりは追い払わなければならない。

 会社事務所はすぐ近くなので、旧盆中は泊まり込みで夜間に三回の見回りが定められていた。深夜零時、田丸は会社の軽トラを墓苑駐車場に停めると、大型の懐中電灯を持ち出して見回りを始める。蒸し暑い熱帯夜に、終日焚き込められた線香の香りがまだ強く残っていた。墓ごとに灯されていた灯明はさすがに燃え尽き、常設の外灯が道沿いに等間隔で並ぶ以外に灯りはなく、墓苑全体が静かに闇に沈んでいた。駐車場に車もなかったし、今夜は深夜の墓参者はなさそうだった。

一通り見回りを終え、一度事務所へ戻ろうと駐車場へ引き返し始めた田丸は、墓苑一番奥の池の横を歩いていた。この池は墓苑として整備される以前からあったもので、かつては農業用の溜め池だったらしい。その時、いきなり強い風が墓苑の谷に吹き寄せた。真夏に異常に冷たい風で、思わずぞっとした田丸は次の瞬間、風にさざめく池から目が離せなくなる。先程まで黒く沈んでいた水面にいくつもの灯りが映されていた。

「これは……あり得ん!」田丸はおそるおそる振り返る。

つい先程まで闇に沈んでいた谷の斜面に並ぶすべての墓の灯明が、煌々と灯されていた。夕刻に灯された蝋燭は深夜までにすべて燃え尽きる。近年は電池式のLED灯明もあるが、それもタイマーで数時間後には消える仕組みである。稀に夜半過ぎまでついている灯明もあるが、ごく一部で、山火事などにならぬようそれを消して回るのも自分の仕事である。今夜は点いていた灯明はひとつもなかったと記憶する。

しかし美しい光景だった。墓苑の斜面に広がる灯明は、儚げな灯りではなく、しっかりとした輝きを放って煌めいている。池の水面がそれを映して、田丸の左右は光の洪水である。まるで大都会の夜景を見るような光景に、いつか、田丸は意識が遠のいていた。



公園墓地の怪~昼


久々の墓参だった。 

都田弘は七歳になる長男琉生を連れて、両親の眠る墓に参っていた。大学進学を機に東京に出て、そのまま就職も結婚もあちらでし、郷里のY市には数年に一度しか帰省していない。父は孫の顔も見ないまま亡くなり、母も昨年の春、入所していた施設内で前突然倒れて帰らぬ人となった。実家のことを任せっきりにしている妹夫婦は、嫌みの一つも言いたくなるだろうと思う。そのご機嫌伺いも兼ねて、今年の盆は長男の琉生を連れて帰省したのだった。出版社に勤務する妻は休めないらしく、そのまま東京に残ったが、本当のところ彼女が田舎が苦手だとということを弘は知っている。

 墓はY市N公園墓地の階段状の区画で一番上にある。見晴らしはいいが、真夏炎天下にここまで階段を上るのはかなり大変だった。朝のうちに来ればよかったと後悔したが、琉生は元気いっぱい張り切って駆け上がり「パパ、早く早く」とせかす。水を替え花をさして線香をあげるとようやく呼吸が整った。走り回る琉生を叱りつけ、墓前で手を合わせる。それでも神妙に拝みごとの真似をする子の小さな手を見ながら、祖母である母を覚えてはいないだろうと思い、死の間際までこの子を気にかけてくれていた母の墓前に、その成長ぶりを見せることができたように感じ、帰ってきてよかったと思う都田弘だった。

「ココニハクルナ」

突然、何かの声が聞こえた。耳に聞こえたのか、頭に飛び込んできたのか区別がつかない。あたりを見渡すが、離れたところに盆の墓参する人の姿がちらほら見えるだけで、近くには誰もいない。 ――また声がする。

「ヒロシ、ココニハクルナ」

それは間違いなく亡くなった母の声だった。子どもの頃、はしゃいで危ないことをすると厳しく叱られたあの声。戸惑いのあまり弘は琉生の手をギュッと握る。琉生は驚いたようだったが、手を振りほどこうとはしなかった。突然不安にかられ、子どもの手を引いて両親の墓前を離れて階段を降り始める。目の前には公園墓地の池が見えた。

「お魚がいるよ」 琉生が池を指さした。

まあ、公園の池だし鯉くらいはいるだろうと弘も階段を降りながら池に目をやる。

「え?」 思わず声が出た。

確かになにやら白っぽいものがうようよと池の中、と言うより池全面に動き回っている。……しかし鯉や鮒などではない。階段を降りきった弘は、琉生の手を引いたまま池に歩み寄る。これ以上近づいてはいけないと別の自分が警告するが、確かめずにはいられなかったのだ。遠目にはまるで大きめのヒラメが白い方の面を上にして泳いでいるようにも見えたが、もちろんそうではなかった。

「へんなお魚だねえ」さすがに琉生も気がついたらしい。

  魚などではなかった。池一面に泳いでいるように見えるのは、数百とも思われる白い「ヒトガタ」であった。まるで厚さがないようにひらひらとして、顔に当たる部分には目だろうか、黒い穴が二つ並んでいる。――正体はわからないが、夏の真昼にとてつもなく恐ろしいものを見ている気がして、周囲に視線を移すと、三人ほどの墓参者が自分たちと同じ池の畔の道を歩いてくるのが見えた。しかし、都田弘は気がつく。その家族と思われる三人には何も見えていないのだ。池を覗いている者もいるが、だとすれば池全面に動き回るあれに気づかないはずがない。あのおぞましいものが見えているのは自分と琉生だけなのか、それはなぜ?……その時、その三人から悲鳴にも似た驚きの声が上がる。

 やはりあれが見えたのか。少しだけほっとして弘は再び池に視線を移した。しかしそこには先程の白いヒトガタだけでなく、真ん中あたりにぽっかりと男性が浮かび上がっていた。作業員の制服を着た中年の男性。大きく目と口を見開いて夏の空を見上げている。弘は慌てて琉生を抱きかかえ、その目を塞いだ。

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