第3話 欲しがり女

硯川レイコ・亀家ナオコ・白島ヒロヤの場合。



「ごめんね、レイコ。ヒロヤさん私の方がいいんだって」


「レ、レイコ!? ち、違うんだ!! これは──」


「えぇ……」


 自宅アパートに帰ると、同棲していた彼氏が、幼馴染の亀家ナオコに寝取られていた……。



「ねぇ、そのシュシュかわいいね。ちょうだ〜い」


 それが、彼女の第一声だった。


 腐れ縁というものがある。

 縁を切ろうと思ってもきれない、好ましくない縁の事だが、それが私と亀家ナオコとの関係だった。


 何故かといえば、母親同士が学生時代からの友人な上、子供が生まれたら仲良くさせたいねなんて約束をしていたからだ。

 その結果、事あるごとに母親同士の集まりの場に連れて行かれ、ナオコと会うことになってしまったのだ。


「ダメだよ。お母さんに買ってもらったばかりだから」


 私は断ったが、ナオコは泣き叫んで暴れた為、結局そのシュシュは奪われてしまった。


 それからナオコは、私に会うたびに私の持っている物を欲しがった。

 小物にキーホルダーに、髪飾り。ナオコは目ざとく私のお気に入りを見抜き、ことごとくそれを欲しがった。


 そんなわけで、ナオコと会うときには地味な格好で行く様になった。

 母は不満だったらしいけど、私物を奪われるから仕方がないと伝えたら、一応は納得してくれた。

 それでも集まりに連れて行くことは、やめてくれなかったけど。


 小学生までは学区が違ったので、母親同士の集まり以外では平和に過ごすことができた。


 だが、中学に入学すると、地獄が始まった。

 それまでアパート暮らしだったナオコ一家が家を買い、その場所が私と同じ学区になってしまったのだ。

 それで中学はナオコと同じになった。しかも三年間、同じクラス。


 そして待っていたのは、予想通りの地獄。

 私の持っている物を欲しがるのは相変わらずで、それは私の友人にも及ぶ。

 

 ナオコは友人たちにも同じ事をして、まあ嫌われた。そのお陰で友人たちが私の味方になってくれたのだけは幸いだったけど。

 友人の誰かが好きな男子がいるなんて言えば、颯爽とそれを奪って行くのだ。

 ちなみに、ナオコはそこそこの美少女だ。


 そんなわけで、親しい友人が私しかいなくなり、縁を切ろうにも切れなくなってしまったのだ。

 高校も一緒になってしまい、初めてできた彼氏は奪われ、私を下げて自分の評価を上げるという技術も手にいれ、高校時代はさらに地獄となった。

 なんせ、ナオコは猫被りだけは上手かったから。


 だから、本格的にナオコと離れる計画を立て、大学はかなり努力して都会の大学に合格することができた。

 一人暮らしは大変だったが、ナオコのいない生活はとてつもなく快適だった。

 ナオコはというと、地元の大学に進学したらしい。


 私はそのまま都会で就職し、無事に結婚を約束した恋人まで出来た。

 順風満帆だった。

 だから、きっと。油断していたのだ。ナオコがいる地獄から遠ざかっていたから。


「家亀ナオコでーす! よろしくお願いしまーす!!」


 中途採用で、私の勤める会社にナオコがやって来た。


「──っ」


「あれ? レイコじゃん!? 久しぶり〜」


 しかもこちらを認識されてしまい、以降中高時代と同じ展開。

 彼女の教育係に抜擢されてしまった。

 おかげで中高時代の悪夢、再び。


 ただ、計算外だったのは三年付き合った彼氏の白島ヒロヤを、出会って三ヶ月で寝取られた事だ。


 ヒロヤにはあんなに気をつけろと、注意していたというのにひどい裏切りだった。



「ごめん、レイコ……」


「別れるから、出ていって」


「レイコ!?」


「え、別れちゃうの? じゃあ、もういらないかな〜」


「はあ!?」


「ナオコもだよ? ヒロヤは荷物は後で実家に送るから早くして!」


「はいは〜い」


「ま、待ってくれ! レイコ、俺は騙されて」


「私の嫌いな女に突っ込んだお前なんて、もういらねーんだよ!」


 そうして、汚らわしい二人を追い出し、私は深夜の大掃除。

 明日は土曜日なので、徹夜で綺麗にした。

 ついでに彼氏の荷物も纏め、ちょうどあった通販の段ボールに突っ込み、次の日着払いで彼の実家に送ったのだった。


 全てが終わると、泥の様に寝て気づいたら日曜日。

 

 腹が減ったが、作る気力もなく、シャワーを浴びて最低限の身支度を整え、街へと繰り出した。


 とはいえ、何が食べたいのかが分からない。

 腹は減っているのに、何も食べたくない。

 ファーストフードでも食べようと思ったが、今そんな物を食べたら、吐き気がする。


「……」


 そんな事を思っていると、いつの間にか駅前に来ていた。

 ふと、視線の先にナオコを見つけて、慌てて近くにあったお店に入った。

 いや、冷静に考えれば見間違いかもしれないのだが、体が勝手に行動していた。


「いらっしゃい」


 入った先は、喫茶店だった。

 駅前にあるこぢんまりとしたカフェで、気にはなっていたが入るタイミングがなかった店だ。


「お一人様ですか?」

「は、はい……」


 店主は意外と若い男性だった。四十……、いや三十代だろうか?

 脱サラでもして喫茶店でも始めた感じだ。


「カウンター席でもよろしいですか?」

「あ、はい」


 店主に促され、カウンター席のやけに背の高い椅子に座る。


「メニューです」

「ありがとうございます」


 メニューの最初のページには、コーヒーがデカデカと載っている。

 この喫茶店の売りはコーヒーらしい。


 それならとお勧めのホットコーヒーとレアチーズケーキを頼む。


 そして、ほっとすると思い出されるのは昨夜、いや金曜日の出来事だからもう一昨日の出来事だ。

 三年付き合った彼氏があっさりとナオコに奪われた。

 確かにナオコは見た目がいい。

 だからといって、三年も付き合った彼女の家で、そんなことをする?

 言い寄られてそんなにあっさり、ヤるものなの?

 あんなに、気をつけろっていったのに、あり得ない!!


 悲しみ過ぎて虚無になり、少し落ち着いてくると怒りが沸き上がってきた。


「どうぞ」

「──! あ、ありがとう、ございます……」


 声をかけられて、ハッとする。

 コーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。

 レアチーズケーキは土台生地と真っ白な上部だけという、シンプルなもの。

 

「いただきます……」


 コーヒーは酸味と苦味のバランスが良く、マイルドな味わいだ。

 ケーキも酸味と甘味のバランスがよく、コーヒーを引き立てている。

 美味しい物を摂取し、少し落ち着いた。

 でも、心は晴れない。


「……何かお悩み事でも?」

「え?」

「いえ、何かお悩みを抱えている様でしたので」

「そう、ですね。つい最近、嫌なことがありまして……」

「話してみると、少しは心が晴れるかもしれません」

「いえ、でも……」

「そういった話を聞くのも、喫茶店の店主の仕事なのですよ」


 そう言って優しく微笑まれ、つい私は一気に一昨日の出来事を話してしまった。

 そして、堰を切ったように泣いてしまった。

 店内に他に人がいなかった事は、幸いだった。


 ただ、ハンカチを持ってきていなかったので、紙ナプキンを大量消費してしまったのは、申し訳なかったが。


「……そういう事なら、晴らして見ませんか? その恨み」

「え? 恨みを?」


 復讐屋的な人達を、雇うという事だろうか?

 恨みは晴らしたいが、犯罪行為は無理だ。


「ああ、暴力を振るうとか、非合法な方々に頼むというわけではありません」

「では、どうやって?」

「お薬を飲ませるんです。憎い相手に」

「薬を?」


 それは、宜しくないタイプの?


「もちろん、毒薬の様な命を奪う物でも、違法なお薬でもありませんよ」

「では、どんな薬なんですか?」

「飲んだ人物が、それまで買ってきた恨みを、全て晴らされる、という物です」

「そんな薬が……」


 本当にあるなら、どんなに良いだろう。


「私も、昔お世話になりましてね。将来を誓い合った人にひどい裏切りを受けましたが、その薬のお陰で前に進むことができました」


 前に進む。


 復讐なんて、無意味だといわれているけれど、でもそれで前に進めるのなら──。


「その薬は、どうすれば手に入りますか?」

「それでしたら──」


 店主が、店の出入り口に目を向ける。

 ドアチャイムが爽やかな音を立てる。


 振り向くと、半グレみたいなお兄さんがいた。


「何? お客さん?」


 私は逃げたくなった。



「──なるほどね」


 半グレみたいなお兄さんこと、キョウさんは私の話を聞き、そしてポケットから小さな包み紙を取り出した。


「これは?」

「茶木さん──、店主が説明しただろう? これが呪いの薬『呪いのタネ』だよ」

「これが……」


 

包み紙は、時代劇とかで出てくる薬を包む折り方をされており、中には本当に粉状の薬が入っている。

 確か、薬包紙という奴だったか。


 半グレみたいなお兄さんから渡されると、覚醒するような違法なお薬を買っているようにしか見えない。


「これを、相手に飲ませればいい。命をとる様な効果は無いが、恨みは晴らせるだろう。まあ、そこまで恨まれていなければ、大したことは起こらないけど、それでもいい?」

「はい」


 それなら、無関係の人が飲んでも大した影響はないのかな?

 まあ、その人が別の誰かに大いに恨まれているなら、別だけど。


「一つでいいかな?」

「……いいえ、二つ、お願いします」


 そう。ナオコも憎いけど、三年間の絆を無碍にしたヒロヤも憎い。

 愛情が全て憎しみに変わってしまった。


 だから、二人して不幸になればいい。


「では、二つで六万円ね。初回だから少し安くなっている」

「……クレジットカードは使えます?」

「……現金のみだ」


 その後、コンビニATMでお金を下ろしてきてから、薬を購入した。



 その後、アパートに帰ってきて、これからの予定を考える。


 さて、良い物は手に入れたけど、あとはどうやって二人に飲ませればいいだろう?

 会社で……だと、人の目があるし、もし誰か他の人に飲まれたら、折角の六万円が勿体無い。


 確実に飲ませるなら……。


「二人に料理でも振る舞うか?」


 それなら、確実に食べさせられるし、それを目の前で確認できる。

 飲食店に誘うのも有りだが、二人の目を掻い潜って、食事に混入するのは難しいだろう。

 それなら、この部屋に呼べばいい。


「どうせ、引越し予定だし、確実ではある」


 問題は二人が私の誘いに乗るか、だ。


「ヒロヤは、話し合いがしたいっとか言えば来るだろうし、ナオコもおそらく……」


 やってみるか。


 私は早速、二人にメッセージを送った。



翌週の土曜日。二人は、まんまとウチに来た。


「レイコなんでこの女がいるんだ!?」


「それはこっちのセリフなんだけど〜。っていうか、あの後また会おうって誘ってきたくせに、レイコに呼び出されてくるんだ〜」


「そ、それは……」

「二人を呼び出したのは、お別れパーティーをする為よ」

「え?」

「お別れパーティー?」


 私は、一呼吸おいて続ける。


「とりあえず、食べて」


 目の前のテーブルには、宅配ピザやサイドメニューが並べられている。

 手作りだと警戒するかと思い、こうなったのだ。

 ピザもサイドメニューもナオコとヒロヤの好物ばかり。

 こういう時に、関係が深いと助かるわね。……悲しいけど。


 私がサイドメニューのサラダやポテトをつまみ始めると、二人は顔を見合わせながらも、食べ始めた。

 ちなみに、会話はないのでピリピリした空気の中での食事となった。


 食事が済んだら、私はコーヒーを淹れた。あの喫茶店で購入したヤツだ。

 コーヒーを二人の目の前と、自分の前に置き、私は再び二人の対面に座る。

 この時には、二人の緊張はほぐれた様だ。

 私の淹れたコーヒーも、ちゃんと飲んでくれた。

 気を紛らわす為か、すぐにカップの中のコーヒーは無くなった。


 それを確かめると、私は切り出した。 


「ナオコ、私はもうあなたに自分の物も恋人も、奪われる事は懲り懲りなの。だから今後一切、私には近づかないでほしい」

「は、はあ!? アタシ達、幼馴染でしょう?」

「幼い頃から無理矢理一緒にいさせられたから、そういう意味では幼馴染ね。でも私は一度たりともあなたを友達だと思った事はないわ」

「そんな……」


 ショックを受けているナオコ。


「私の恋人を奪っておいて、友達でいられるとでも?」

「で、でも、それでも一緒にいてくれたじゃない!!」

「あなたが勝手に私にくっついていただけよ。私は拒絶していたわ。あなたは気づかなかったみたいだけど」

「──っ」


 ナオコは涙ぐんで、俯いた。

 

 次はヒロヤだ。


「ヒロヤ、三年間ありがとう。まさか、最後にこんなおわり方をするなんて、思ってもいなかったわ。ただの浮気ならまだしも、私の嫌いな女とだなんて、殺しても足りないぐらいだよ」

「ごめん! でも、俺も騙されたんだ!! こいつは、レイコの友人だっていうから、話を聞きたいと思って……」

「私は昔から亀家ナオコという女にされてきたことを伝えてきたわ」

「それは、本当にそんな女なのかと、見極めようと……」

「そもそも、たとえナオコでなくても、異性と二人きりになるのはおかしいわ。初めから浮気が目的としか思えない」

「……」

「浮気をされた事もそうだけど、あなたが私の言ったことを信じず、軽く考えていたことが何よりも悲しいわ。

 あなたにとっては私との三年間は、その程度のものだったのね……」

「レイコ、違うんだ。本当に、ごめん……」

「……」


 二人は泣いていた。


「じゃあ、これでおしまい。もう関わる事はないから、あとは付き合うなり何なり好きにして」


 私は二人を追い出した。


 その後、会社も辞め、引っ越しもしてスマホの番号も変えたため、二人との関係は本当に絶たれたのだった。



  レイコが二人の前から姿を消した後、ナオコは気が抜けた様になってしまった。

 あんな事をしたが、ナオコにとっては唯一の友人だった。

 そして、何をしても許してくれる、全てを受け止めてくれる相手だと思い込んでいたのだ。いつだって最終的には許してくれたから。


 だが、それは幻想で、本当は諦観されていただけだった。


「……」


 会社には来ていたが、仕事には身が入らず、ミスを連発。

 終いには、少し休んだほうがいいと言われ、有給を取ることになった。


 本来なら嬉しいことだが、ナオコは少しもそうではなかった。


 会社からの帰り道、目の前に見知った人物が現れた。


「ヒロヤさん……?」


 その様子は異常だった。

 目は血走り、髪はボサボサ。

 そういえば、最近彼が出勤していなかったことを思い出した。


「お前のせいで、レイコと別れることになった。お前がいなければ、玲子と結婚して、幸せな家庭を築いていく筈だったのに!!」

「は、はあ!? 誘いに乗ったのはあなたでしょう? レイコに飽きたって言って!!」

「うるせぇ! 死ね!!」


 ヒロトの手にはナイフ。


「──は?」


 街灯の光に銀色に煌めくそれが、逃げる間もなくナオコの腹に吸い込まれた。


「〜〜〜〜っ」


 刺された腹が熱くなり、力が抜ける。

 立っていられなくなり、その場に倒れた。

 

 ヒロトは、刺さったナイフを抜き取り、何度もナオコに突き立てる。

 その後、到着した警察に取り押さえられるまで、いつまでもそうしていた。



「それで、その後はどうなったのですか?」


 ハレカフェの店主の茶木さんが言った。

 私が『呪いのタネ』を買ったあの喫茶店だ。店名はハレカフェというらしい。

 喫茶店ではなかった様だ。

 いや、カフェと喫茶店は同じなのか?


「わかりません。結末を知る前に二人の元から消えましたから」


 私はコーヒー豆を選別しながら行った。


 現在、私は会社を辞め、このお店で働いている。

 ちょうど、バイトを募集していたのだ。


「そうですか。勿体無い」

「もう、私の人生には関係ない二人なので、いいんです」

「まあ、前に進めるのでしたら、それも有りなのかもしれませんね」



 呪薬師キョウはその様子を聞くともなしに聞きながら、新聞を読む。

 新聞には、とある会社の前で男が女を刺殺したという記事が大きく書かれていた。理由は痴情のもつれで、犯行は人の目が多い場所で行われたようだ。

 女の方は滅多刺しにされたが、幸い一命は取り留め、男の方は現行犯で逮捕された。実刑は免れないだろうとの事だった。


「命は助かったか。だが、あの状態ではもう素面では、外は歩けないかもしれないな……。

 まぁ、恨みは無事、晴らされたみたいで何より、か……」


 キョウは新聞を畳むと、丁度注文していたホットサンドセットが運ばれて来たのだった。






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