episode 2



「はぁ……」


ため息が止まらない。


あの行為の後、逃げるように旧校舎を出てきた。


次の日は金曜日だったから出たい授業だけ出てすぐ帰ったおかげで吏生さんの姿を見ずに済んだ。


そもそも、あの広い校舎で会う方が難しいかもしれないけど、念には念を…。



でもそんな今は月曜日の朝。


気分はすごく憂鬱。


あの人が何年でどの学部か分からない。


同じ学部じゃなければ校舎が違うはずだし、あんまり会う機会は無さそうだけど…。


今日は2限からだから朝は少しゆっくりできたけど、嫌な時間ってなんでこんなにあっという間にやってくるの…?


ギリギリに教室に入ると、窓際の1番後ろの席が運良く空いていた。


そこに座り、目立たないように授業を受けた。


安心できるのは授業中だけなのに、いつもは長く感じる授業もあっという間に終わってしまった。


3限も出るから合間にトイレを済ませて、教室に戻ると少し賑やかになっていた。


まさか吏生さんがいるのでは…、と思ったけどそうではなかった。


でもある男性の周りを女の子たちが囲んでいるのが見える。


その女の子達の声がやけに耳につく。



「ねぇ、今日は私の相手してよ~」


「え、今日は私だよね?」


「この後は私とご飯の約束じゃなかった?」



あの人もだいぶモテるんだろうな…。


チラっとそっちを見ると、丁度囲まれている人がこっちを見たような気がしてすぐ目を逸らした。


もうあんまり男の人と関わりを持ちたくないと思った私は気付かれてはいないと思い込んでいた。


茶髪のその人が私を視界に入れたことなんて知る由もなしに──。





3限が終わって、席を立とうとした時「なぁ」と行く手を塞がれた。


見上げると、茶髪の男の人が道を塞いでいた。


その人が少し屈んで私の顔を覗き込んでくる。


「へぇ、そそる顔してんね。この後ちょっと俺に時間ちょーだい」


「え…?あっ、ちょっと…!」



なぜか今度はこの人に捕まった。


さっきの女の人達はどうしたの?


なんで私はこの人に腕を掴まれて歩いてるの…?


あの地獄の日が頭に思い浮かんで涙が出そうになった。



その人は空き教室入り、誰もいないのを確認するとドアを閉めた。


そしていきなり唇を塞いでくる。



「んっ…、やっ…!」


少し力を入れれば口は離れたけど、また直ぐに塞がれてしまう。


もう一度力を入れてその人の胸を押してみたけど、さっきのように上手くはいかず、噛み付くようにキスを繰り返してくる。


無理やり口をこじ開けて入ってくる舌はあの人と同じように気持ち悪い。


酸欠になりかけたのか、足がグラグラしてきて力が入らなくなってくる…。


それを見兼ねたのか、この人は私を軽々持ち上げ、テーブルの上に座らせ、またキスを繰り返す。



やっとの事で唇が離れたと思ったら、


「下っ手くそ」


と文句を言われた。


息を整えるので必死な私はその人の顔を見ることしかできなかった。


「鼻で呼吸すればそんな苦しくなんないだろ」


「無理……っ」


「じゃあ息したくなったら角度変えるとかしたら一瞬でも息吸えるだろ」



なんで好きでも無い人とこんな事が出来るのか私には理解できない…。


この人だって初対面だから私の事なんて何も知らないはずなのに…。



「名前何?」



今更……。


順番が逆だし、名前を知ったからと言って許されるわけではないけど…。


この人に教える義理はない…、と思って下を向いていると、顎を捕まれて視線が合うようにして


「俺はらい。お前は?」


遅すぎる自己紹介をされた。


「百合…」


「百合ね。あの授業受けてたってことは1年で経済学部?」


小さく頷くと、「俺も」と言われた。



吏生さんだけじゃなかった。


この大学にはこんな人が沢山いるのかもしれない…。


せっかく地元から離れた大学に来たのに、こんなの最悪…。


頭の中で色々思い返していると、來が距離を縮めてきた。



「百合って口小さいよなー。でも舌ふかふかで気持ちいいし、俺キス好きなんだよね」


気持ち悪い…。


早く逃げなきゃ…。



机を降りようとしたけど、


「ちょっ!……んん……っ」


また顎を掴まれてキスをされる。



「お前の口の中で感じるとこ」


「ん…っ、」


「ここと、」


「ふ…っぁ…」


「ここ」


上顎や歯列をなぞられたり、舌の下まで侵入してきたりして、たまに体がピクッと痙攣しそうになったりする。


そんな事が続けられて、もう息が続かないって思った時、私は自らキスをされながら唇の角度を変えていた。


言われた通り、息が少しできて酸素が入ってきた。



私がその行動をした事によって、來の口端が少し上がったように見えたのは気の所為…?


いつまで続くか分からないと思っていたキスは、ピリリリッ!という着信音で終わりを迎えた。


私は学校にいる時は必ずマナーモードにしているから、來の携帯が鳴っているとすぐに分かった。


來が自身のポケットから携帯を出して電話をとると、衝撃的な言葉を口にした。



「何、吏生さん。俺今忙しいんだけど」



心臓がドクンッと大きく揺れるのを感じた。


それは今1番聞きたくなかった人の名前だから。


逃げなきゃ…。


それしか頭の中になくて、急いで今いる教室を出ようとドアノブに手をかけたけど、反対の腕を來に力強く掴まれてしまった。


來から逃げられないと悟った私は、とりあえず会話を聞くことしか出来なかった。



「誰それ」


「───────」


「名前は?」


「───」


「ゆり?」



私の名前が出た瞬間、來と目が合った。


そして首を振る私を見て少し困ったような表情を浮かべた。



「あー…、俺名前あんまり気にしたことないんだけど外見は?」


「────、─────────」


「この学部なの?」


「─────」


「まぁ探してみるよ。じゃあ」



電話を切ると、來はため息をついた。


そしてその後、机ではなく私を椅子に座らせてその横に自分も座ってこっちを見てくる。



「もしかして吏生さんに気に入られた?」


その言葉に体がビクッとする。


「知らない…」


「良くね?授業はサボっても平気だし、くっそイケメンじゃん」


「あんな人大っ嫌い…」


私の言葉に來は目をパチパチさせて驚いた後、悪巧みしてるような顔にすぐ変わった。



「へぇ、おもしろ。あの吏生さんが拒否られてんだぁ」


「あの人から逃げる方法ないの?」


「無いだろ」


「そんな…」



どうしたらいいの…。


折角親に頼み込んで入った大学なのに、4年間も怯えて過ごすなんて絶対に嫌だ…。



「あ、じゃあ俺の彼女になれば?」


何かいい解決策でもあるのかと思えば、とんでもないことを言い出した。


「ありえない…」


「俺の彼女って言えば諦めてくれるかもしれねぇじゃん」


そうかもしないけど、こんな最低な人の彼女なんて無理。


それに、


「気持ち悪い…」


心の声が思いっきり言葉に出てしまった。


「お前なぁ…、少しはオブラートに包めよ」


ゲンナリした顔をして來は立ち上がった。


「まぁ吏生さんはこの後用事あって帰るって言ってたし、飯でも行かね?」


同じ学部だからか、このあと講義がないのを知っているのは無理もない…。


「行かない…」


「この大学の事とか、吏生さんの事とか知りたくねぇの?」


「それは…、知りたいけど…」


私に酷いことをしてきたこの人を信用してもいいのかな…


「何もしねぇよ。吏生さんに見つけたら手ぇ出すなって言われたし」


そんなに吏生さんが逆らえないほど偉い人だとは思えないけど、來からしたらそうなんだろう。


同じ大学に通う学生なのになんで…。




「來とはご飯行きたくないから今教えてほしい」


吏生さんは綺麗で中性的な顔立ちだけど、來も顔は整っているから結構目立つ。


極力一緒にいたくない。


「お前可愛い顔して結構毒舌だな」


どう思われたっていい。


むしろ印象が悪い方が近づかれなくて済むだろうし。



「まぁいいや。とりあえず、吏生さんが理事長の親戚ってのは知ってんの?」


「うん」


「吏生さんの親が結構金持ちで英才教育させてたから、もう勉強なんてしなくて済むほどあの人は頭いいわけよ。でも就職する前に少しでも自由をあげるために大学に入らせたって感じかな」


「だから…?」


「小さい頃から勉強漬けで理事長は可哀想って思ったんじゃね?理事長、吏生さんには甘いって訳」


「へぇ…」


「取り壊すはずだった旧校舎を自由に使えるのは吏生さんと、吏生さんが許した人だけ」



なんかよく分からないけど、おぼっちゃまって事は理解できた。


「ちなみに俺も旧校舎入れるうちの一人だから」


「勉強しに来るところなのに必要あるの?」


「そう言われると答えはNOなんだけど、あると色々と便利だしなぁ」



なんかだいたい分かってきた。


きっと吏生さんみたいに女の人を連れてきてそういうことをしているだ。


馬鹿みたい。


理事長と親戚なだけでそんなことしていい場所ではないのに。


でも、一つだけ気になることがある。



「旧校舎に入れる人は何人いるの…?」


「俺と吏生さん、あとは蘭さんだな」


他の人はこの内の誰かが一緒でないと入ってはいけないらしい。


「まぁ蘭さんは可愛いと言うより綺麗系が好きだから大丈夫だと思うど、たまに可愛い系連れてる時もあるから気をつけろよ」


「そんなこと言われてもどの人か分からないし…」


「んー、黒髪のイケメン。あ、左目の下に涙ボクロあるわ」


黒髪なんて沢山いるし、いちいち顔を見たりしないからホクロがあるかなんて分からない。


でも、ひとつだけ心当たりがある。


私が吏生さんに旧校舎に連れていかれた時、途中で話していた人…。


確か黒髪だったし、会話の雰囲気的にもその人かもしれない。


だけど顔は全く覚えていないせいで警戒しようがない…。



その後も吏生さんの事について少し教えてもらった。


2年生で経済学部っていうのには危機感をすごく感じた。



「もう帰る…」


なんか逃げられる気がしなくなってきた。


明日からどうしよう…。




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