完全自殺マニュアル
メンヘラであるという事は、そう簡単なことじゃない。 私には「まともな頭」っていうのが、物心ついた時から一切わからなかった。
だから私に言わせれば、「メンヘラのフリ」をしてる人間のことなんて、到底理解できない。
生きてれば生きてるほど、そういう人たちを見てきた。 少し頑張れば「まともな人生」を歩めそうなのに、なぜか頭がバグってるフリをする人たち。 大抵はいつの間にか「まとも」に戻っていくけど、中には、うっかり「おかしいフリ」をしてるうちに、本当に死んじゃう人だっていた。
そういう人を見るたびに、私のおかしくて、とっくに欠損してる脳みそがこう言うの。 「どうして?」って。 「ちゃんとした頭を持ってる人間が、なんで『幸せになる権利』を使わないの?」って。
「普通に生きる」って、本当は最高に幸せなことなのに。 私みたいな本物のメンヘラにとって、人生はハードモードでしかないんだから。
1993年7月7日、七夕。それが私の誕生日。 両親は「ロマンチックな日に生まれた」なんて喜んだけど、世間は違った。その日は、あの『完全自殺マニュアル』が発売された日でもあったから。
もちろん、生まれたばかりの赤ん坊にそんな事が分かるはずもない。あの本の存在を知ったのは、ずっと先の話だ。 でも、当時の世間は大変な騒ぎだったらしい。PTAが猛抗議して、テレビでは連日「こんな本を売っていいのか」なんて論争が起きていたって。
世間はいつだってそう。 本物のメンヘラにとって、生きていくより死ぬほうがずっと楽だっていう、そんな簡単な真実が分からない。だから、いざ「死」を突きつけられると慌てて蓋をする。 ……でも、その気持ちも少しは分かる。人間は死が怖い。自殺なんてもってのほか。それを認めたら、自分にも厄災が降りかかる気がして不安なんだろう。
まともな人たちも、ある意味かわいそうなのかもしれない。 「生の呪い」っていうやつに、がんじがらめにされてるんだから。
当時はSNSなんて洒落しゃれたものはまだない。だからあの本は、この時代に生きていた「本物」たちにとって、唯一の福音だったんだろう。
…本当、1993年ってろくなことがない。 就職氷河期が始まって、世の中がじわじわと閉塞感に包まれていった時代。 私みたいなのが生まれるには、これ以上ないくらいおあつらえ向きの年だ。
私には、親に「大事にされた」っていう思い出がほとんどない。 両親は共働きで家にいなかったし、二人の仲は私が生まれてすぐに冷え切っていた。おまけに、父親はずっと浮気していた。母親は最初からそれに気づいていたけど、なぜか離婚はしなかった。
それは、私にとって最悪の環境だった。 母親は、その冷え切った家の中で静かに心を病んでいった。彼女は、父の愛情が冷めた現実を受け止められるほど強くないくせに、誰かの愛情なしでは生きていけない人だった。 そして、その満たされない愛情の矛先は、全部あたしに向いた。
……虐待と、過剰なまでの過保護。 彼女は、あたしの些細な失敗を一切、許さなかった。
すべてが壊れたのは、小学校1年生の春。 国語の、たぶん入学して初めてのテストだった。本格的なものじゃなく、実力を測るためのお試しみたいなやつ。私も気構えたりせず、深く考えずに受けた。 結果は95点。先生は「おしかったね」と笑った。
鮮明に覚えている。 子供心に95点っていう点数がすごく嬉しくて、帰り道は足取りも軽かった。 よく晴れた日で、日差しが木々を照らし、若葉わかばの影を風が揺らしてた。あの頃の春は、まだ春と冬が混ざったような匂いがして、その優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「お母さんに喜んでもらえる」 …私は、本気でそう思い込んでいた。
あれが、私の人生のターニングポイント。 「日常」だと思っていた世界が、ぐらりと揺らぐ直前。 あたしが最後に見た、色鮮やかな世界。
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