第7話 嘘つき

 それから、私は中学生の頃の友だちとのメッセージアプリのグループに彼を招待した。双郷くんは嫌がることなく招待に応じた。

 話は「会いたい」ということにまとまり、私たちはかつて修学旅行で行った動物園に行くことになった。

 嬉しい気持ち半分、戸惑い半分というのが正直なところだ。双郷くんは、もうかつての彼のようにはならない。『兎澤和起』として、私たちの知らない姿を繕うのだ。

 私は片道2時間かかる動物園に車を走らせた。大好きなアーティストの音楽を流していたけど、全くノルことができなくて、モヤモヤした気持ちを抱えたままだった。

 待ち合わせの30分前に着き、入場していく客を横目に友だちたちを待つ。双郷くんの他に、小学生の頃から仲良くしてくれた平等院飛鳥ちゃん、双郷くんの友だちだった曽田くんが来ることになっている。

 「寧花ちゃん、お待たせ!」

 「飛鳥ちゃん、久しぶり!」

 最初に来たのは飛鳥ちゃんだった。元々美人でクラスの人気者だったけど、大人になって更に色気が増している。飛鳥ちゃんは大学院を出て心理士として病院で勤務しているらしい。土日休みが同じなので住んでいる場所は離れているけど今でも2ヶ月に一回くらい会っている。

 「あ、あれ曽田くんじゃない?」

 「本当だ! 曽田くーん!」

 飛鳥ちゃんに言われて曽田くんがキョロキョロしているのに気付き、私は彼に手を振った。曽田くんは私たちに気づくとパァッと見るからに嬉しそうに笑い駆け寄ってきた。

 「二人ともはやいね」

 「まぁね!」

 「曽田くんも遠いのにありがとうね」

 二人のいつもと変わらない雰囲気に胸を撫で下ろす。でも、これから来るもう一人のことを考えると落ち着かない。

 「えっと、小芦さんは平和くんにもう会ったんだよね?」

 「うん、まあ、ちょっとしか話してないけどね……。ずっと、人が変わったようにヘラヘラ話すの」

 私が事実を伝えると、飛鳥ちゃんも曽田くんも表情を曇らせる。

 私たちが4人が仲良かった期間は、中学2年生の半年くらいだった。たまたま修学旅行で同じ班になり、4人で行動する頻度が増えた。元から私は飛鳥ちゃんと仲が良くて、双郷くんともよく話していた。そこに双郷くんが飛鳥ちゃんに片想いしていた曽田くんを招き入れた形だ。

 短い間だったけど、4人での日々はかけがえのないものだった。

 でも、それは私たちの気持ちだ。双郷くんはそうじゃないんだ。

 「双郷くんもきっと、色々思うところはあるんだと思うわ。今の彼を、私たちが否定するのは違うから……そこだけ、気をつけましょ? みんなで楽しめるように」

 「そうだね」

 飛鳥ちゃんの言葉に、私と曽田くんは頷く。本当なら元の私たちに戻りたいけれど、それを双郷くんに望むことはできない。彼は完全に『兎澤和起』として再出発するつもりなのだから。

 それから5分ほどで、彼は来た。

 改めて見ても、背格好はかつての彼と殆ど変わってはいなかった。整った顔立ちに派手な金髪、彼が好んで着る黒い服。身に纏う物も、かつての彼となんら変わりはない。

 でも彼はもう、かつてのようにしかめっ面をしたりしなかった。その青い瞳をパアッと輝かせて、アイドルさながらに笑うのだ。

 「ごめん、遅かったね」

 やわらかい口調で、彼は言う。眉を八の字にして笑う彼は、顔は双郷平和なのに……双郷平和ではないようだった。

 「ううん。私たちも今来たところなの」

 飛鳥ちゃんがすぐに笑って言葉を返す。そんな彼女の言葉に、双郷くんは嬉しそうに口元に半円を浮かべる。

「よかった。……本当に、久しぶり。平等院、凄いキレイになったねー!」

 「ふふ、ありがとう。双……兎澤くんは顔色が良くなったね、よかったわ」

 「あ、そうでしょ? 今は寝れない日の方が少ないんだよね」

ヘラリと平和くんが笑う。

 そしてふと、その青い瞳が飛鳥ちゃんの隣の曽田くんを捉えた。そして、同性の彼にすらそのキレイな笑顔を向ける。

 「年司もすっかり大人になったんだねー。頼もしそうな顔になっちゃってさ。なんか寂しいなぁ」

 「それはその……君のおかげ、だよ」

 「あはは、そんなことないって。年司が腐らずに頑張ったからだよ」

 見た目は双郷平和なのに、彼はもう双郷平和ではなくなっていた。

 名前が変わったからではない。その上手くできたキレイな笑顔も、明るく楽しそうに弾む声も、私たちの知る彼ではなかった。

 本当に、自分のことを殺したんだ。

 私以外の人と会えば少しはボロが出るだろうと期待していた。でも、私は彼が何でできているのかを忘れていたのだ。

 双郷平和は、キレイに笑う。愛されるために、求められるために、他者の理想の自分を演じようとする。

 それが元々の彼だった。だから、今の彼こそ……その完成形なのだ。

 「急に小芦が来たから驚いたよー。探偵なんて雇ってるしさ」 

 「そ、その節は本当に申し訳無い……」

 「ううん、別に気にしてないよー」

 あはは、と明るく笑う双郷くんに私は苦笑いを浮かべるしかできなかった。

 「せっかく動物園来たんだし、園入ろうよ。確か年司は爬虫類が好きで、小芦と平等院はふれあいがしたかったんだっけ?」

 「そうね、兎澤くんはどこか見たいところあるかしら?」

 「俺? うーんと……」

 飛鳥ちゃんに尋ねられ、平和くんの笑顔が固まる。どうやら、こうやって自分のやりたいことを聞かれると困るのは変わっていないらしい。

 「気になるところあったらそのとき言うことにする」

「わかった、遠慮しないでね」

 「うん、ありがとう」

 双郷くんが朗らかに笑う。その笑顔はやはり完全な笑顔だ。決して作ってるようには見えない。

 「じゃあチケット買おっか」

 「あ、申し訳ないんだけど、俺割引させてもらっていい?」

「もちろんよ」

 飛鳥ちゃんが先導し、双郷くんが続く。双郷くんは片手にヒラヒラと手帳を持つが、その手は震えていた。彼が持つのは障がいの手帳なのだろう。それだけ、彼は日常生活に困難さを抱えているということだ。

 でも、その困り感を本人に聞くことはできない。彼はこの一日、きっとうまく私たちと関わろうとするだろう。うまく、キレイに笑って過ごす。そして、かつてのように「俺は大丈夫」だと見栄を張る。

 彼が変わったのは、あくまで見栄の張り方なのだ。根本が変わったわけではない。

 「兎澤くん、ここまで一人で来たの?」

 「ううん、兎澤サン……えっと、お……お義父さん? に送ってもらった」

 双郷くんは困ったように眉を八の字にして言った。『お義父さん』。その言葉を、どんな気持ちで言っているのだろう。彼はかつて『お父さん』と呼んでいた継父を溺れさせて殺したのだ。

 「懐かしいなー、獣臭い」

 双郷くんが目を細める。僅かな表情の変化でも人の視線を惹きつけるところは変わらず、やっぱり彼はキレイだった。 

 「どこから回ろうか」

 「そうね、このルートはどうかしら?」

 いつもはお出掛けとかだと張り切って仕切るけれど、私は何も言えなくなっていた。双郷くんの言動がいちいち気になって仕方がなかったのだ。双郷くんはそれに気付きながらもヘラヘラと笑ってパンフレットを広げる。そんな彼に、飛鳥ちゃんが優しく笑いかける。

 ああ、本当に10年前とは私たちは変わってしまったんだ。

 いや、変わったのはきっと……彼、だ。私はそれを受け止めきれてない。 

 双郷くんのパンフレットを持つ手は、やはり震えている。さっき手帳を持っていたときよりも、震えが大きくなっている。

 それでも彼は笑顔を絶やさない。

 「じゃあ、それで行こう。えーと、こっち?」

 「兎澤くん、反対だよ」 

 「え? 本当だ。あはは」

 何でもできて完璧だった双郷くんは、決めた道順と別の方向を行こうとしてヘラリと笑った。

 園を歩き始めると彼の変化はそのヘラヘラした態度だけではないことがすぐにわかる。

 騒ぐ子どもに、ベタベタしたカップル。熟年夫婦のような人たち。飼育員さん。色んな人とすれ違う度に、反射的にそちらを振り返る。象を見ていても、隣でシャッター音がするとすぐにそちらに視線が向く。

 笑顔だけ貼り付けて、彼は刺激に目をキョロキョロさせた。

 落ち着かないのか長い時間立ち止まることもできない。私がずっとペンギンの前に立っていると、彼はウロウロと周囲を歩き始めた。立っていても身体をユラユラ揺らしてじっとしていられない。

 それでも、笑顔だけは外さない。

 ふれあい動物園に行くと、ウサギと触れ合えると飼育員さんに言われた。私は双郷くんを避けるように進んで動物の元へ駆け寄る。

 ウサギを撫でながらちらりと彼を見る。曽田くんに触るかと聞かれ断った様子だ。

 「ふわふわで可愛いね」

 「ね、癒されるわ」

 双郷くんとの関わり方がわからなくて、私は飛鳥ちゃんと一緒にウサギを撫でながら「可愛いね」と話していた。でも、そんな中でも私の意識は双郷くんにある。

 当然だ、人を殺してなおストーカー紛いのことをするくらいに……想っているんだから。

 双郷くんはキラキラした瞳をウサギに向けて微笑んでいた。でも、すぐにその視線はキョロキョロと動き、曽田くん、飛鳥ちゃん、そして私へと向けられる。

 彼は私たちを信じてはいない。

 彼は誰のことも信じていなかったし、頼ることもなかった。だから殺しという間違いを犯したし、その後もこうやって自分を作っている。

 「兎澤くん、見て? この子、可愛いでしょ?」

飛鳥ちゃんがウサギを優しく抱えながら双郷くんに声を掛けた。双郷くんは変わらず微笑みを浮かべながら「可愛いね」と言う。

 「……大丈夫だよ、貴方が間違いそうになったら次は絶対にとめる。だから、大丈夫」

「え?」

 飛鳥ちゃんは、引かなかった。

 彼女は笑顔だけ貼り付けて楽しそうな顔をする双郷くんに、一歩踏み込む。

 「少しだけ、撫でてみない?」

 知っているはずだ。この男はただの人殺しではない。動物を殺して性的興奮を覚えた犯罪者なのだ。

それなのに彼女は臆することなく踏み込んだ。

かつての彼女ならそうはしなかっただろう。

 でも、飛鳥ちゃんはもうわかっているのだ。双郷くんが何を抑え込んでいるのかも、本当はどうしたいのかも、わかっている。

だから、次は助けたいと思っている。

 双郷くんは、「うーん」と首を捻る。考えるフリは、あまりにわざとらしく演技臭い。

それでも、彼は悩んだフリの末に少しだけウサギに触れた。ほんの少し、指先をわずかにウサギの毛に触れさせただけだ。

 触ったと判断できるかも怪しいくらいの動きだったけど、飛鳥ちゃんがパァッと目を輝かせる。

 「ありがとう。ね、可愛いでしょう?」

 「うん、そうだね」

 双郷くんがふにゃりと笑う。

よくできた作り笑いは外れなかったけど、飛鳥ちゃんはそれでもまた「ありがとう」と伝えていた。

私には、踏み込む勇気はなかった。



 「二人とも、そんなに食べんの?」

 「う、うん」

 「まぁね」

 お昼ご飯にしようということになりお食事処へ向かうと、食べることが好きな私と曽田くんは待っていたとばかりにたくさん頼んだ。変わらない私たちに双郷くんは笑っている。でも、その笑顔は本物ではないのだろう。

 双郷くんはずっと笑っていた。ふと彼を見ると必ず笑っているのだから、多分誰も見てなくても笑っている。もはや、笑顔という仮面だ。

 「兎澤くんは何食べる?」

 「俺はねー、そうだなー」

 飛鳥ちゃんが尋ねると、双郷くんは考えるフリをして「うーん」と唸る。こういうときはさすがに笑みをなくすけれど、それも「考えている顔」を演じているだけだ。

 「……うーんと……」

 考えているフリをして、ご飯のことなんて考えていないのだろう。彼が頭を働かせるのは、「他人に変だと思われない自分」をどう演じきるかだけなのだと思う。

 ウサギに触れたときも、きっとそうだった。

 彼は動物が好きだ。でも、壊したい本音に葛藤している。彼は幼少期には可愛いという理由で猫を殺していたらしいのだ。本当は優しく愛でることもできるけど、少しでも本当の自分が出るかもしれないと怯えている。

 ご飯なんて、何を選んでも誰も気にしない。でも、双郷くんにとってはそうではない。過去に誰かに「そうじゃない」と言われたことでもあるのだろうか。だから、他人の反応が怖くて決められないのだ。

 「私はこれにしようかしら」

 「じゃあ俺もそれにする」

 飛鳥ちゃんが選べば、ソレが無難なのだと双郷くんは真似をした。きっと、はじめに選んだ私とがたくさん選んでいたから何を真似するか困ったのだろう。

 ご飯中、私は全然喋れなかった。私は双郷くんに会うことを望んでいたけれど、やっぱり彼の変化に素直に受け止めきれていなかった。わかっていたはずなのに、それでも私はまだかつての彼を諦めきれていないのだろう。

 「あのさ」

 双郷くんは一口食べたきりだった。飛鳥ちゃんの真似をして頼んだオムライスは、小さな一口で終わってしまった。ついてきたスープにも口をつけない。

 考えてなかった。でも、彼こそ私たちの想像以上に緊張しているのだろう。不安がっている。もしかしたら恐怖すら感じているかもしれない。

 それなのに、口元の笑みは崩さない。まるで役者にでもなったかのように、その演技をやめることができない。

 宝石のような青の瞳を僅かに細めるだけで、彼の表情は完成される。多くの人がキレイだと感想を持つ表情を、友だちにすら剥がせない。

 いや、彼の中では私たちはもう友だちでもないのだろう。もしかしたらはじめから……そうだったのかもしれない。

 だからずっと頼ることをしなかった。自分は一丁前にいじめられていた曽田くんを助けたりしていたのに、自分の困り感は誰かに悟られるのを拒んでいた。そこに漬け込めば、威嚇して距離を取ろうと躍起になっていたじゃないか。

 「ずっと、心配かけて……迷惑かけて、ごめん」

 泣きそうな震える声だった。でも、もはや本心なのか嘘なのかわからない。

 「少年院にいるときに、色んな人に言われた。みんな、心配してくれてるって。俺なんかのこと、ずっと待っててくれてるんだって。それが、喜ぶべきことなのかも正直よくわからなかったんだけど……でも、やっぱり会ってみたら……俺でも少しわかったんだ。みんなにも悪いことしたんだなって。だから、ごめん。」

 言葉とともに、瞳が揺れる。

 彼がはじめから兎澤和起なら、私はこの言葉を素直に受け取っただろう。それくらい、話し方も表情も感情が籠もっているように見えた。

 でも、ここにいる全員が知っている。この男は双郷平和。見栄と嘘を張り続けて生きていた男だ。

彼は他人を信じてはいない。誰のことも頼ろうとしない。自分の弱さを見せることを許したりはしない。

 「貴方は、とっても頑張ってきたんだと思う」

 飛鳥ちゃんが、言葉を選びながらそう言った。

 犯した罪を肯定するわけにはいかない。彼のしたことを許してはいけない。それでも、私たちは彼が藻掻いてきた日々を知っていた。彼が殺した親にどれだけ苦しめられていたのか、その一部だけど知っていた。

 「今も、とっても頑張ってるんだよね。会いに来てくれて、私たちを受け入れてくれて、ありがとう」

 飛鳥ちゃんは彼の『今』を否定することなく、そう伝えた。

 双郷くんはキョトンと目を丸くした。その幼い顔は、作りものか天然のものなのかわからない。

 「俺こそ……ありがとう」

 双郷くんが笑う。

 その笑顔は、本当にキレイで……噓付きの顔だった。

 私は結局、何も伝えることができなかった。

 無言でご飯を食べながら、笑顔を貼り付けている彼を思う。

 双郷くんと昔のようになれるとは思っていなかった。

 未練があるのは私の勝手な都合で、彼は私を置いて先に進んでいる。

 昔は完璧だった彼は、もういない。

一人では生活できないし、薬を飲み忘れたら不安定になって寝ることもできない。病院に入退院を繰り返し、他人に危害を加えない代わりに自傷行為は激しい。

 私よりずっと成績が良かったけど最終学歴は少年院で受けた高卒認定試験合格。もう座って勉強することも困難。

そんな彼が身に着けたものは、とびっきりの演技力。

 双郷くんはヘラヘラと笑っている。やっぱり私は受け入れられない。

 何でこうなる前に……助けられなかったんだろう。

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