36 それでも、なんて


 こんなはずじゃなかったのに。何やってるんだろう、私。

 胸の内に重くのしかかる何かを押し出したくて、大きく息を吐いたけど、余計に質量が増した気がする。朝からなんとなくだる重い体を引きずって起き上がる。まぁ、起き上がっただけで、ベッドを這い出すこともできていないんだけど。

 特に用事はない。本当ならいつもみたいにベッドの上に転がってぐだぐだと出ない答えをこねくり回しながら過ごしているはずなのに、いつもと違って妙に早く解決しなければと言う思いだけが逸る。


 クルミさんが苦手だなんて、エリックに話すつもりはなかった。苦手なのも全部呑み込んで、上手く消化していくつもりだった。そうすれば上手くいくって思っていたのに、なぜあんなことを口走ってしまったのか。

 言うべきではなかった。でも、急に体の芯が冷えていく感覚がして、気が付いたら口をついて出ていた。


 あぁやだやだ。なんでいつもこう、私って意志が弱いのかしら。全部呑み込むって自分で決めたのに、すぐにダメにして。嫌われたってしょうがない。誰だって大切な友人を否定されたら嫌な気持ちになるに決まっているもの。

 そうよ、クルミさんは悪い人ではない。エリックの言う通りだわ。そんなのわかってる。わかっているから苦しいの。すごい人なのも、立派な人なのも。全部エリックが説明してくれたもの、知っているわ。だから耐えられないの。

 エリックが好きだと自覚した瞬間、自分よりもずっとすごい人がエリックの隣にいたのを見せつけられて、クルミさんを誤解していると諭されまでした。本当にもう嫌だ。


 せっかく誘ってくれたエリックのご実家でのデートも、蓋を開ければクルミさんの助言ありきの行動だったらしいし。

 というか、「私よりもクルミさんの方が、仲がいいのではないですか?」って何よ。そんなのわかっていたじゃない。一年間一緒に旅をして苦楽を共にした相手なので、仲がいいのは当たり前。信頼し合っているのが普通。そう思ったら、余計に苦しくなった。


 身勝手なのも、自業自得なのも、全部わかっている。

 時間はいくらでもあった。にもかかわらず、私はエリックの優しさに甘えて、きちんとした信頼関係を築いてこなかった。当たり障りなく、上辺だけ。もちろん真摯に誠実にを心がけていたけど、込み入ったことや心の内を話す機会はなかった。

 信用していなかったわけではない。ただ、嫌われるのが怖かっただけ。面倒じゃなくて、いつでも隣でにこにこしているお嬢さんなら、きっと嫌われない。そう思ってた。できなかった。


 素直に、話せていたら何か違った? せめて言い方とタイミングだけでも違えば、なんて今更考えたって仕方がないのにね。

 私はただ、エリックとの距離が近いクルミさんに会いたくないと思った。信頼し合って、理解し合っている二人を見たくないと思った。勝手に比較して、勝手に自分のダメなところを見せつけられているようで苦しくなる。


 動かない代わりに頭の中ばかりがぐるぐると回る。

 あの時は咄嗟に帰ってしまったけれど、エリックに言われたことも気になる。あの使用人というのはスタンリーだろうか。思えばあの日スタンリーといるところを見られた辺りからエリックの様子がおかしかった。

 懐いている、彼の方が好きなんじゃないか。誤解だと言いたいけど、それを言い出したら、自分にも帰ってくるのも自覚している。

 スタンリーは私にとって、幼い頃から家に仕えていてくれたフットマンで、もう一人の兄のようなものなので、気安くはあると思う。それ以上ではないけど、ああいう言葉が出たのはそう見えたってことで。私が、エリックとクルミさんの距離が近いと思ったのと同じ。


「マリー、少しいいかな」


 控えめなノックの後に、こっそりとオリビエ兄様が扉から顔を覗かせる。

 そういえば、今日は屋敷に居るってメイドたちも言っていたわね。慌てて居住まいを正そうとする私を片手で制して、ゆっくりとベッドの縁に座る。


「何があったか聞いてもいいかな?」

「……」

「前に話していたことも気になるし、ロジェにも相談にのってやれと言われていたんだが……、すまない。言い難かったね。エレノアにもよくデリカシーがないと怒られるんだ」


 困った様に眉を下げるオリビエ兄様に、ふっと息が漏れた。そういえば前にも婚約者のエレノアお姉さまに怒られるって言っていたなぁ。

 オリビエ兄様は、普段からちゃんとした喧嘩をしていらっしゃるのかしら? いえ、私のあれは、勝手に私が拗ねて失言をしただけで喧嘩にすらなっていないわね。


「エリックに良くないことを言ってしまったの」

「そう、それで落ち込んでいたのか。でもよくなかったと自覚して、反省しているんだろう?」

「……いいえ。本当は私、反省していないのかも。だって、言った理由ばっかりが頭の中に巡って、申し訳ないって気持ちよりも、嫌われちゃったって! 自分のことばっかり考えてる!」

「それはちょっと重症だね」


 だって、とか。だから、とか。言い訳ばかり考えている。最初に言い出したのは私なのに、話している内に勝手に傷ついて、勝手に嫌になってる。

 酷いことを言ったから謝らないといけないのに、どうやって謝ればいいかもわからない。


「じゃあマリーは、エリックを嫌いになった?」

「それは、違う。違うわ。嫌われたのは私の方、だと思う」

「エリックがそう言ったの?」

「……いいえ」

「じゃあマリーは、エリックとどうなりたい?」


 にこにこと、オリビエ兄様が私を見ている。まるでわたしが何を言うのかわかっているみたい。

 それを言うのはすごく苦しくて、勇気がいるけど。でも。


「仲直り、したい」

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