24 このドキドキはきっと素敵なもの
馬車の窓に映る景色が、どんどん見慣れないものになっていく。
出不精なのもあるけれど、王都にはまだまだ私の知らない景色があるらしい。カタカタと、いつもより少し揺れる馬車に乗って市民街を行く。もう少し、道路整備してもよくない? 馬車でこれだけ揺れるなら街中を移動するのも一苦労でしょ?
市民はそんなに馬車に乗らないとしても、凹凸のある道はそれだけで十分疲れるはずよ? え? 日常生活で慣れるの? つまり皆毎日トレーニングしてるってこと? 苦行では?
市民街の区画にある劇場に行くために、エリックと二人馬車で談笑する。
メイドたちに頼んで、今日見に行く舞台の事前情報を調べてもらい予習もしてきた。なんでも、劇場の抱えている脚本家が書いた、現代的な内容の演目らしい。
私が勉強している古典演劇とは違うけど、楽しみ方はきっと同じで問題ないと思うのよね。もちろん内容自体も楽しむつもりだけれど、登場人物たちを取り巻く背景を知ることで、彼らの物語に深みが出る。まるで本当にそこで生きているように感じられる。
「楽しみだね。にこにこしてる」
「え? そんなに顔に出ていたかしら? 恥ずかしいですわ」
「可愛いよ」
「あまり、見ないでください」
全くこの人は。あなただってにこにこしているくせに。
じっとりと睨み上げるようにエリックを見ても、その意図は伝わらないのか、笑顔のママどうかしたのか? と、問われる。羞恥というものがないのかしら。
そんな私の心情などお構いなしに、馬車は止まり、劇場にたどり着く。
普段であれば劇場前に馬車を止めるものの、どういうわけか劇場前には多くの人が集まっており、少し離れたところに止めて馬車を降りる。
随分賑わっているわね。貴族街の劇場とはまた違う雰囲気。外にまで人があふれているっていうのがちょっと気になるけど、周囲を見回せば、皆楽しそうに談笑していて。これだけの人がこの舞台を楽しみにしているのだと思うと、なんだかウキウキする。
エリックに連れられて劇場の中に入って驚いたのはまず、ロビーのスペースが殆どないこと。
玄関を潜ってすぐにスタッフが立っていて、そこでチケットを確認されると、そのすぐ奥の扉に案内される。そしてその先には、座席と舞台が広がっているという必要最低限の設備しか存在しないこと。
建物自体がそこまで大きくないせいかしら? ロビーにはチケットの確認以外の役割を持たせず、座席数を確保しているのね。
でも、たくさん人が来たり、チケットの確認に手間取ったら、建物の外にまで人が並びそうな作りねぇ。実際、まだ入場せずにチケットを片手に劇場の外で、立ち話をしている人たちが多くいるし。
少しそわそわしながら劇場を見回していると、隣でエリックがこちらを微笑ましそうに見ている。仕方ないじゃない、だってこういう劇場は初めてくるのだもの。気になるでしょ?
通された座席でも、人のざわめきを落ち着かず、なんだか不思議な感じがする。
開演前とはいえ観客はにぎやかで、舞台の世界観に没頭すると言うよりは、非日常を楽しむのがこの劇場の楽しみ方なのかもしれない。これはこれで面白いわね。
それにしても、舞台と観客席が近いわ。楽団がいないからかしら? なら、音響は蓄音機かしら?
予算や売り上げ、人の入りも違うだろうし、貴族街の劇場とは別の方向で色々と工夫しているのね。
ざわざわとしている周囲に、エリックが私とは違う理由で辺りを見渡している。
私たちの知っている観劇は、もう少し大人しいというか、観客がそこまで話し合わないものだから、戸惑うのもしょうがないのかもしれない。
私だって驚いてはいるけど、ここに来ている人たちは舞台の内容だけではなく、特別な体験を楽しみにしているのだとしたら、このざわめきはきっと、彼らの演目に対する期待の表れに違いない。
そう考えたら、公演前の多少のざわめきも微笑ましく感じた。
しばらく喧騒を聞きながら、ひそひそとエリックとおしゃべりをする。思っていたのとは違う劇場の雰囲気に戸惑っていたエリックも、劇場の席が埋まって来る頃には表情も穏やかなものになっていた。
後ろの方で出入り口の扉を閉まる音が聞こえる。多分、この公演の分の、すべてのチケットが入り口のスタッフの手に集まったのだろう。
そうして、ブザーが劇場内に鳴り響く。
照明が消え、舞台に降りていた幕がゆっくりと開けていく最中、少しずつ見えてくる舞台の背景美術に胸が高鳴っていく。周囲のざわめきが引いていき、代わりに誰かの息を呑む音が聞こえた。
ドキドキした心臓を落ち着けるように深呼吸して、座席にちゃんとした姿勢で座り直す。それからちょっとだけ、エリックの方に肩を寄せた。
「楽しみね」
一言だけ、小声でそっとエリックに話しかけて姿勢を正す。薄暗い舞台の上にぼんやりと人影が見える。
一筋のスポットライトが、その人物を照らし出した。舞台上の演者がスッと顔を上げ、口を開く。
さぁ、開幕の時間だ。
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