23 とりあえずは一安心


 この世の春である。

 なんて、大それたことを言いたくなるような気分で部屋までの道のりを歩く。

 屋敷の廊下はいつもメイドたちがきれいに掃除してくれているし、天気も良くて清々しい。数歩進んでくるりと振り返る。スカートの裾がふわりと、舞ってさらに気分が高揚した。


 振り返った先にいるのは、お父様におねだりして買ってもらった本たちを運んでいるスタンリー。

 先日から、別の劇場も開拓し始めた。家が王都にあるって素晴らしいわね。大きめの劇場がふらりと行ける程度の距離に複数箇所あるのだもの。


 貴族街にある劇場は三つ。一番大きな劇場は初めに訪れた場所で、あと一週間ほど同じ公演が続く。千秋楽までにもう一回くらい行きたいわね。

 あぁそうそう。いくつか劇場を周って観劇したり、次回公演のパンフレットを貰って気が付いたのだけど、どうにも我が国は、余り古典小説は強くないみたい。全く残っていないわけではないのでしょうが、我が国からは少し離れた国の小説ばかりが、今の世に残っている。最初に見た舞台もそうだったし。

 まぁ今は、普通に国内の作家の小説が多く流通しているし、何なら我が国は昔から音楽方面に力を入れていたので、生演奏の舞台が気軽にみられるのはとてもいいことよね。


「何、にやにやしてるんですか」

「いいじゃない。楽しみにしていた本が届いたのよ?」


 スタンリーに運ばせているのは、どれも先日見た舞台の原作と、某国の詳しい文化史が書き綴られた分厚い本だ。

 残念なことに私はこれでも貴族令嬢なので、取り寄せた物は安全を確保するため一度使用人たちの手で中身を確認された後の受け渡しになる。それは本であっても同じで、スタンリーたちが、一枚一枚ページを捲って妙なものが挟まっていないか確認したのだろう。

 なんか、ごめんね? 小説の方はともかく、文化史の方は分厚い資料集だし、大変だったでしょ?


 申し訳なく思いつつも、芸術文化に理解を深めるのも貴族のお役目だし、花嫁修業の一環だから! なんて自分に言い訳をして、スタンリーの服を引っ張って急かす。

 実際この前、覚えたばかりの言葉で観光客の紳士のおてつだいもできたし! 学んだことは無駄にはなってないわ!


「ね、もう検品は終わってるんでしょ? 部屋まで運んでよ」

「はいはい、今持ってきますから。ちゃんと前見て歩かないと、転びますよ」

「早く早く!」


 翻訳された物もいいけど、やっぱり原典だと微妙に意味が変わってくる文章があって面白いのよ。

 使用人の控室前に伸びる廊下を進み玄関前のホールへ。二階にある自室まであと少し。その少しが待ちきれない。

 そんなことを考えていたら、ふと、玄関先にいる人物と目が合った。メイドが来客対応をしてくれていたらしい。一気に頬に熱が集まってくる。


「やぁ、マリー。その、楽しそうだね」


 エリックに見られた。

 え、なんでいるの!?


「あの、えっと、エリック?」

「舞台のチケットを貰って、よければと思ったんだが……出直した方が良かったかな?」

「いえ、大丈夫ですわ」


 見られた。どうしよう見られた! え、普通にはしたなかったわよね? 幼い頃から家に言える使用人とはいえ、スタンリーの服を引っ張っていたし。家族とか、使用人たちの前でしかしてないのよ? 本当よ? いや、そもそもやるなって理論はもう遅いのよ。

 ちょっと! スタンリーも小声で、「やべっ」とか言わないでよ。しれっと頭を下げて逃げる体制取らないで! わかるけど! 立場的にはそうするしかないんだろうけど!

 逃げる様に去っていくスタンリーを、エリックが無言で見送っている。ねぇお願い、せめて何か言って。


「舞台ですよね、もちろんご一緒させていただきたいですわ」


 非常に気まずい。

 エリックの前ではちゃんと、お淑やかな令嬢でいたかったのに! 大丈夫よね? 幻滅されてないわよね!?


「ん? あぁ。市民街にある劇場なんだが、興味はあるかい?」

「えぇ、とても!」


 エリックがいつものように笑顔を向けてくれる。

 よかった! 言及されない! でもそれはそれで不安!


「楽しそうだったけど、何かいいことでも?」

「はい、頼んでいた本が届いて。その、ごめんなさい。はしたなかったですよね」

「いや? 可愛らしかったよ?」


 またそんなことを。旅から帰って来て以来、エリックはどうしてかそんな恋人にするような物言いをよくする。いずれ結婚するのだし何もおかしくはないのだけど、もうちょっと手心が欲しい。

 幻滅されるよりはずっといいんだろうけど、さすがに面と向かってそういうことを言われ続けるのは恥ずかしいわ。


「ところで、さっきの彼は……」

「スタンリーがどうかなさいました?」

「……スタンリー。そっか、彼が」


 なんだかよくわからない納得をしたかと思うと、エリックがぱっといつもの笑顔に戻る。

 それから、チケットと一緒に貰ってきたらしいパンフレットを見せてくれて、市民街の舞台について教えてくれる。

 さっきの何だったのかしら? 下手に突いて、藪蛇を出したくないので聞かないけど。


 エリックの話を聞きながらパンフレットに視線を落とす。日付も時間も問題ない。演目も脚本家も知らない辺り、最近の作家か、舞台のために書き下ろした作品なのかもしれない。

 一先ず観劇の約束は無事交わした。エリックの様子はいつもと変わらない。危機的状況は脱出したとみて良いのかしら?

 ……嫌われなくて、よかったぁ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る