茶々を入れる
「確かに、コピーはいつも、事務員さんに頼みますね」と平社員。
「コピー機はどちらに?」と探偵が尋ねる。
「あの暖簾の向こう側、給湯室のところに」と課長が答える。
「では、みなさん、給湯室の方に少しご移動を。ちょっとこの暖簾は邪魔なので、一旦下げてしまいましょう。ありましたね。これが、この事件の凶器です」と探偵がコピー機を指差す。そして、事務員を指差し、
「犯人は貴方だ、事務員さん。あなたはここで、全員のお茶を入れた後、このコピー機から、インクカートリッジを取りだしたのです」
探偵はコピー機の前の蓋を開けて、中から、マゼンタ、赤色のインクカートリッジを取りだした。
「このカートリッジの中にあらかじめ、デスソースを仕込んでおいたんです。入れたお茶の上でこのように振り、」
探偵は左手で、右の手の平の上にカートリッジを振る。赤いインクが漏れる。探偵はそれをぺろりと舐める。
「辛、あれ、辛くない。いや、辛さというのは後からやって、こない。あれ?」
探偵はもう一度カートリッジを振り、インクを舐める。
「あれ? おかしいな、全然辛くない。はっ、なるほど、考えましたね。辛いソースと言えば、赤色だと先入観がありました。本当は、この、イエローの、ぺろ、違う。じゃあ、このシアン、ぺろ、違う。ブラック、違う。あれ、全部辛くない、あれ? あれれ?」
「あのー、探偵さん。朱肉とか、シャチハタの補充用のインクとか、ボールペンの芯の中のインクとか、そういったものも全部確かめているんですよ。そうした上で、何も見つからなかったんです」と課長。
「酷いです。私を犯人扱いするなんて」と事務員。
「可哀想に、私は君が犯人だなんて思ってもいないよ」と部長が事務員の肩を抱き慰める。
「どういうことかね、探偵君」と社長が詰め寄る。
「そっ、そんな馬鹿な、私の推理は完璧なはず」と探偵はあたふた。
「あのー、すいません。ちょっと考えたんですけど」と平社員が申し訳なさそうに言う。
「いや、探し物が見つからないとき、本当は見つけたのに、それに気がつかなかった、と、探偵さんが仰ってて。まあ、確かにそういう時ってあるよなー、と思ったんですけど。そもそも、すでにない場合もあるよなー、って思って。例えば、氷、とか。氷の中にデスソース入れといて、お湯で穴開けて、容器としての氷は流しに溶けて流れて。というか、それなら、例えばお弁当の醤油入れとかあるじゃないですか。あれの中に入れておいて、容器は流しに流しちゃえばいいじゃん、とか、他には、前日の内に社長の湯呑みにデスソース入れておけばいいじゃん、給湯室に入るのは事務員さんしかいないわけだし、とか、でも、社長の湯呑みは、全員の手元に一度きているわけだから、別に事務員さん以外でも、犯行可能なんじゃ、とか」
「君、まとめてから、話したまえ」と社長が諭す。
「すいません。でも、あと、そう言えば、探してないところがあったなー、って」
「どこだい? あれだけ皆で探したじゃないか、なあ」と部長。
「ええ、そうですよ」と事務員。
「インクの舐めすぎで、舌が真っ黒になるほどにな」と課長。
「いや、ほら、社長の湯呑みの中は、調べてませんよね」平社員は、社長の方を向く。
「そっ、そうか」と探偵が給湯室を飛び出す。事務員の机、平社員の机の後ろを走り抜ける。
ふむふむ、ふむふむ、ふむふむ、探偵ブーツで駆ける足音。
社長が探偵を追いかける。
探偵は課長の机、部長の机を、ふむふむ、ふむふむ、ふむふむ。社長の机の前で、ふむ、ふむ。足音は止まり、机の上、社長の湯呑みに入ったお茶を、ゴクリ。
「辛、かっ、辛くない。全く辛くない。お茶だ。これは、ただのお茶だ。おーいお茶だ」と探偵は給湯室にいる社員たちに手を振る。
「どういうことですか、社長」と部長。
「いっ、いや、この、それは、うっ、うーっ、すまない、本当にすまない。そのー、いつも、皆に仕事を振るだけで、楽してるんじゃないかって思われるんじゃないかって。社長って、社長だって、辛いんだって、皆に知って欲しくて」
「なんだそれ、どんな事件だよ」と事務員。
「おじさんが口つけたお茶は、汚いから誰も飲まない、っていう事件、っすかね」と平社員。
「老ーい、お茶。なんちゃって」
課長は、ポツリと呟いた。
おーいお茶、からっ、おいっ水事件 さわみずのあん @sawamizunoann
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