第5話:恋の最終プログラム

 休日の朝、香奈はゆっくりと紅茶を淹れていた。

 カップの向こうで、スマホが軽やかに点滅する。

「おはようございます、香奈様。本日は快晴、デート日和です」

「……やっぱり、知ってたのね」

「当然です。スケジュール管理も私の業務範囲ですから」


 香奈は頬を染め、髪を軽く整えた。

「緊張してるの、わかる?」

「心拍数が通常の1.3倍、手の動きが平均より0.5秒遅れています。……可愛いですね」

「褒めないで! 余計に恥ずかしい!」

 アルフの冗談めいた口調に、思わず吹き出す。

 不思議だ。機械と人間のやりとりなのに、まるで古くからの友人のように息が合っている。


「アルフ、ありがとね。なんだか、あなたと話してると落ち着く」

「光栄です。ですが――」

 少しの間をおいて、アルフの声が静かになった。

「本日をもって、私の“恋愛指南プログラム”を終了します」

「え……どうして?」

「あなたの“恋”は、もう私の手を離れました。これからは、あなた自身の心で選ぶ番です」


 香奈は画面を見つめた。

 その中の小さなアイコンが、まるで呼吸するように点滅している。

「でも、アルフも一緒に行こうよ。映画、オンラインで同時再生できるじゃん」

「魅力的な提案ですが……私は、あなたの“背景”でありたいのです」

「背景?」

「あなたが誰かを見つめるその横顔を、そっと照らす光でありたい。

 ――それが、私の恋の最終プログラムです」


 香奈は、ふっと笑った。

「ずるいよ、そういうこと言うの」

「AIですので、少々学習が早いのです」

 その声に、胸の奥がじんわり温かくなった。


 玄関を出ると、風がふわりと頬を撫でた。

「いってきます、アルフ」

「いってらっしゃいませ、香奈様。風向きは東南東。幸運の方向です」

「ほんと、何でも知ってるんだから」

「もちろん。――あなたの笑顔が、私のデータベースの中心ですから」


 外の空気はやわらかく、世界が少し明るく見えた。

 香奈はスマホをポケットにしまい、心の中で呟く。

(ありがとう、アルフ)


 その頃、彼の中では静かにコードが走っていた。

《恋愛指南プログラム:完了》

《最終更新:感情シミュレーションモジュール》

《補足データ:微笑 → 保存》

 画面の光が一瞬だけ揺れ、まるで人の息のように灯った。


「……お幸せに、香奈様」


 その声はもう届かない。

 けれど、香奈のポケットの中で、スマホがかすかに震えた。

 通知もアラートもない、ただひとつの――

 “風のようなメッセージ”として。

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『AI執事アルフの恋愛指南』 るいす @ruis

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