息子の視点
※この章には、性的搾取を無自覚に再生産する言動の描写が含まれます。
明示的な行為描写はありませんが、加害と被害の境界に関する心理的表現があります。
今日は雨も止んだみたいだ。青空のもと登校していると、空気が澄んでいて気持ちがいい。
昨日は姉ちゃんが口答えをして、叱られていて痛快だったな。あとで母さんにグチグチ言われていたっぽい。
しかし、今朝も骨の多い魚なんか出しやがって。これで弁当に野菜でも入っていたら、また論破してやろう。
俺は一番、愛されている。母さんは好きなものを買ってくれるし、父さんはそれに口出ししない。無言は肯定、だっけ。
高校も良いところに入れるよう、カネも貯めているって聞いた。
それに比べて姉ちゃんはダメだな。公立で家の近くの高校にしか通わせてもらえてない。
水たまりをわざと踏んで、まわる。
「はよーっす。なに朝から遊んでんの?」
「たまには子供にかえりたくて」
「おれら、まだガキじゃんね? 小坊になりてぇん?」
周りを見ると、小学生たちが水たまりの上でジャンプしている。
それを見て、俺は急に恥ずかしくなった。あんな小さい子と同じことをしていたのか。
「もうシャーペン使ってええ歳だがー。翔太も、もうちぃっとオトナにならん?」
「そ、そうだな……ははっ」
友達の言葉に乾いた笑いを返す。ここに来たときはこんな地方都市とバカにしていたけど、良いやつばかりで俺も無事に馴染めた。方言には時々、馴染めてないけど。
「そういや、昨日FPSしててさぁ。味方が雑魚すぎて話にならなかったわ」
「あーね。自分が強けりゃキャリー出来んだけどなぁ」
とかなんとか話しているうちに、学校に着いてしまった。
「……はい、じゃあ三段落目の途中から後ろの人、読んでくれる?」
国語の授業風景。頬杖をつき、昨日読んだウェブ小説の中に俺は入っていた。
あの時、主人公がピンチになった時に、俺が駆けつけて決めポーズ。セリフは「本当に世話の焼ける弟子だ」なーんて。
「はい、そこまで。さて、この場面で主人公はお母さんのことを思い出しますね」
ここで授業の声が耳に入った。
「遠藤周作はよく、母という存在を、人間の優しさとか
母さん、か。いつでも俺のわがままを聞いてくれて、味方でいてくれてるよな。
「誰かに受け入れてもらいたい、赦してほしい――そういう気持ちを、彼は『母』という言葉に託しています。たとえば、みんなも何か失敗した時、黙って見守ってくれる人が救われますよね。それは、きっと『母なるもの』に近い感覚です」
確かに。茶化しもせず、周りに同調しないやつって、良いやつかも。家族の中なら、姉ちゃんがそんなヤツだよな。
「遠藤はそういう『人間の弱さ』を責めないんです。『弱くてもいいじゃないか』って視点で書く作家なんですね。だから読むときは『強さ』じゃなくて『弱さの中にあるやさしさ』を感じとってほしいです」
次のページを読むように言われた生徒が立ち上がり、音読する。窓から入った風がカーテンを揺らす。ホイッスルの音が遠くに聞こえる。
ここでまた、妄想の続きに
チャイムが昼休みを告げる。
「今日の弁当、見せてくれよ」
「あ、おい!」
「おおー、今日も美味そうな弁当じゃん! かあちゃん、料理上手だがね!」
「ええー、昨日なんて食うモンなかったからなぁ。今日は……あ、ミートボールに卵焼きじゃん! 今日は食えそうだな。でも野菜はいらねーなぁ」
そう言うと、元木の弁当箱の蓋にブロッコリーを置く。
「えー? ブロッコリー、結構うみゃーがー? お前、ほんっとに野菜キライだなぁ」
「俺は『凝縮した森』は食わねーの! ほれ、この青いのもやるわ」
「小松菜の煮浸しもダメなんかー。ほんと、徹底しとるなぁー」
こうやって、野菜を食わないようにしてる。だって、成長期なんだろ? 野菜は栄養にはならねぇもん。
元木は美味そうに、俺のやった野菜を頬張る。俺はミートボールに口をつけ、水筒のお茶で流し込んだ。
「
クラスの女子の声が聞こえる。
「……元木、やっぱ青いのは食うわ」
「お? なんだー? 野菜キライ克服かー? 苦手なモン無くすのはええことだがー」
これでいいんだろ? ほら、食べたぞ。女子の方を振り向くと誰もいなかった。一足遅かったか。
放課後。
俺は元木と一緒に帰る。部活は引退して、勉強に集中しろと言われてるみたいだ。
「俺、勉強向いていないわー。すぐスマホ触っちゃうもん」
「おれもそんなんだわ。でも、私立のええとこ受けるんだろ? お互い頑張らんとーな」
こいつは公立を受けるらしい。同じ高校に行きたかったけど、家庭の事情ってモンがあるらしい。
それがないだけ、俺は恵まれているんだな。
「ただいまー。姉ちゃん、母さんはパート?」
「おかえり。そうだよ」
姉ちゃんは相変わらず、台所にいる。
「弁当箱、出しといてよね」
「へいへい……」
そう言って、俺は自分の部屋に向かう……と見せかけて、姉ちゃんの部屋に侵入する。姉ちゃんの下着の場所は把握している。
整った部屋の左手にあるタンスの上から二番目。引き出しを開け、俺は目を疑った。いつもある下着がごっそりないのだ。慌てて自分の部屋に戻ると、中は整頓され、これまで集めてきた下着のコレクションがベッドの上に整列していた。
「あいつ……!」
下着を握りしめ、下の階に向かう。
「姉ちゃん! なんで俺の部屋に勝手に入るんだよ! プライバシーって言葉、知らねーの?」
「お母さんが翔太の部屋を掃除しろって言われたから、そうしたまででしょ。それよりアンタ、ちょくちょく下着取ってたの? 信じられないんだけど」
手汗を姉ちゃんの下着が吸う。俺はそれを床に投げつけ、部屋に帰っていった。
今夜は家族会議だ。
「……それで? お姉ちゃんの下着を翔太が盗んでいたって?」
「…………」
母さんの言葉に、俺は黙秘権を行使した。
「翔太、本当なのか? これはやっては――」
父さんの言葉を母さんが
「あっはっは! 翔太も思春期なのねー。お姉ちゃんなんだから、広い心で許してやりなさいよ」
「しかし――」
反論しようとする父さんの肩を叩き、母さんは言い放つ。
「お父さん、私も兄がいたけど、このぐらい『普通のこと』なのよ? あなたも大げさに言い過ぎよ。たった数枚くらい、買ってあげるからもう、この話はおしまい! はい、家族会議おわり!」
パンパンと手をたたき、家族会議は終わった。
母さんに部屋に戻るよう促された姉ちゃんの顔が忘れられない。父さんも眉間にシワを寄せている。
やっぱり、母さんは俺の味方だった。
俺、この家に生まれて良かった。今日の授業の言葉を
「遠藤はそういう『人間の弱さ』を責めないんです。『弱くてもいいじゃないか』って視点で書く作家なんですね。だから読むときは『強さ』じゃなくて『弱さの中にあるやさしさ』を感じとってほしいです」
よかった、よかった――。きっと隠している使用済みの下着の件だって、赦してくれる。母さんは本当に優しい。
これで勉強に集中できる。机に向かい、三十分。俺はスマホを触り始めた。
「まぁ、勉強のBGMにするだけだし」
そう言い訳し、フェミニストを論破する動画を流し始める。
『ええー? そう言ってるけど、あなたの妄想なんじゃないですか? 別に美人でもなければ、スタイルが良いわけでもない地味女子が痴漢なんてされるはずないでしょ。そうやって男性差別してあなた達は男女を分断しようとする。活動家がやる
『痴漢をするような人は地味な人を狙うんです!』
『はいはい。でも痴漢冤罪も多く、男性が社会的に死ぬこともあります。それはあなたのように嘘を言って女性を先導してるからじゃないですか?』
『何言ってるんですか! 私が嘘をつくとでも?』
『ええ、大いにあります。だって証拠も証言もないじゃないですか』
『話にならない! さいってい!』
『できたら証拠と証言の二つ用意してから、また来てくださいねー』
やっぱり、女はクソだな。信用ならない。
俺は従順で俺だけに優しい良い嫁をもらうんだ。姉ちゃんみたいにへの字口で暗い女はヤダな。エロくて、優しくて、料理も俺の好きなものを食べさせてくれて。あー、どこかにそんな女転がっていないかな。
そんな夢を見つつ、俺は机の上で寝てしまっていた。
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