第4話 銀河移民船オチ号

 それは、歴史上もっとも明るくて、もっともくだらない暴走だった。


 馬鹿教の信者たちは、ある朝ひらめいた。

「地球はもう笑った。次は宇宙を笑わせよう!」

 誰が言い出したのか、本人も覚えていない。

 けれど笑いは伝染する。

 翌日には世界中の広場で“宇宙布教ライブ”が同時開催され、翌週には“国連”が改名された。


 国際ボケ会議(I.B.C.)。

 議長は開会宣言でいきなり滑った。

 しかしその失敗が評価され、拍手喝采。

 議題は一つ、「どうやって宇宙を笑わせるか」。

 真剣な顔で全員がボケを検討するという、前代未聞の会議だった。


 物理学者が提案する。

「光速でツッコミを飛ばしてみよう!」

 詩人が言う。

「宇宙そのものに“オチ”をつけたい」

 そして企業連合が立ち上がった。

「我々は船を造る! その名も――銀河移民船オチ号!」


 船体は全長一キロ、スコッチエッグを模した黄金の球体。

 外殻は卵の白身をイメージした反射素材で、光を受けるたびに「ぷるん」と見える。

 エンジン部分は「黄身炉」と呼ばれ、熱エネルギーではなく“笑い声”で稼働する。

 発明者いわく、「ツッコミの周波数が一番燃費がいい」らしい。


 愚楽はその報道を屋台のテレビで見ながら、麺をすすっていた。

「……またバカなもん作ったな」

 店主が苦笑する。

「師匠、ついに宇宙進出ですよ。夢がありますね」

「夢ってのは寝て見るもんだ。起きてまで見ると危ねぇ」


 だが、翌日。

 新聞の一面にはこうあった。


 〈名誉総教祖・愚楽氏、オチ号の守護神に就任〉


 屋台の前には報道ドローンが群がり、インタビュー合成映像まで勝手に作られている。

「愚楽氏はこう語った。“宇宙のボケは深い”」

 本人は言っていない。言った覚えもない。


「いや俺、行かねぇぞ」

 愚楽はそうつぶやいた。

 だがそのころには、彼の顔写真がすでにオチ号の船体全面にプリントされていた。

 スコッチエッグの黄身の中央に、満面の笑み。

 それが発射台で太陽光を反射して輝いていた。


 出発の日。

 全世界が中継を見守った。

 乗組員たちは宇宙服ではなく法衣のようなスーツを着て、胸に箸を差している。

 司令官がマイクを握った。

「地球代表、馬鹿教布教団、出発するボケー!」

 群衆が応える。

「いってきまボケーーーッ!」

 その声が共鳴し、笑いの波動で発射装置が作動。

 オチ号はふわりと浮かび上がった。

 まるで巨大な卵が、笑いの力で孵化するように。


 愚楽はその光景を見ながら、屋台のビールをあおった。

「ま、行く奴は勝手に行けばいい。俺は地球の重力が好きだ」

「師匠、見てくださいよ。空の色が変わってきた!」

 確かに、空はいつもより澄んでいた。

 青と黒の境目に、何かの“目”のような光が浮かんでいた。

 それは星とも衛星とも違い、じっと地球を見つめているようだった。


 通信網が一瞬ざわめいた。

 地球全域に不明な信号が流れる。


「観測対象:地球文明。笑いエネルギー、閾値突破。」

「記録開始――“オチ号”軌道上昇中。」


 愚楽は首をかしげた。

「なんだ、誰か笑ってんのか?」

「師匠、それ、電波ですよ」

「電波か……まあ、笑いも電波みたいなもんだな。届くときゃ届く」


 空の向こうで、黄金の球体が小さくきらめいた。

 オチ号は加速し、雲を抜け、笑いの残響を地球に残して消えた。

 発射場に残された看板には、でかでかとこう書かれていた。


「宇宙も笑わせてみせる!」


 だが数時間後、地上のモニターにはこう表示された。


 > 『通信途絶。原因:笑い過ぎによる機器誤作動。』


 愚楽は苦笑した。

「やれやれ、オチが早ぇな」


 夜、屋台の赤ちょうちんが風に揺れた。

 空には、まだ“何か”が地球を見ている。

 それは冷たい機械の目なのか、それとも、笑いを探す誰かの眼差しか。


 愚楽はどんぶりを置き、湯気の向こうにぼそりとつぶやいた。

「頼むから……宇宙まで馬鹿やるなよ」


 ちょうどその瞬間、上空の闇で――

 遠い、かすかな笑い声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る