転章 剛焉 ―― 黒の理 ――


 風が止んだ。

 夜でも昼でもない、狭間の空。

 かつて第六管理区と呼ばれた都市は、光を失い、音を失い、ただ息を潜めていた。

 誰もが忘れた街。だが、この夜、世界は再びその名を刻む。


 通信塔の屋上に、黒衣の男が立っていた。

 漆黒の外套が灰を孕み、膝まで垂れている。

 その視線の先――黒く爛れた地面に、奈落の痕が脈動していた。


「……真の平和を与えよう」


 囁く声は祈りのようで、告解のようだった。

 大地が低く唸り、割れ目から絶望の理が滲み出る。

 それは煙でも霧でもない。理の漏出――世界そのものの悲鳴。


 通信塔の赤灯が一斉に消えた。

 中央管制の無線が、断末魔のような雑音を放つ。


『識別不明体、出現――!』

『同調波、奈落レベル超過!』

『予知班が――』

『第零特務群 神威、出動せよ!』


 動死法の最終防衛戦力――神威。

 日本に残された唯一の“神殺し部隊”。

 亜人兵二十名、全員が規格外の異能者。

 国家が持ちうる最後の理性と暴力の結晶。

 その出動は異様なほど早かった。

 感知兵 シグルが、発生の数時間前に“何かが来る”と感じていたからだ。


「反応、確定。位置座標、第六管理区――」

 無線の向こうで、彼女の声が叫びになった。

「……これは“理”そのもの!?――勝てない! 逃げて!!」


 二十名の亜人兵が、白い残光を引いて空を裂く。

 祈りのように降下する光。

 だが、地に触れるより早く、世界が沈黙した。


 黒が上書きした。


 抵抗も、衝突も、音すらなく。

 白光は、虚空に吸い込まれて消えた。


「排除完了」


 淡々と、機械のように呟く。

 瓦礫の上に残ったのは、焼けた識別票がひとつ。

 灰が風に乗り、夜に溶けていった。

 地平線の向こうで、警報が鳴り響く。

 A級災害からS級災害へ。

 だが、意味はもう無かった。

 世界が災害そのものになったのだから。

 剛焉は歩き出す。

 足元で、奈落の欠片が光を放つ。

 建物の灯がひとつ、またひとつと消えていく。

 都市の終わりは、まるで夜明けのように静かだった。


 遠く霧ヶ原の方角に微かな波紋が走った。

 男の瞳が、わずかに揺れる。


「俺の存在証明は終わったぜ。さて……」


 口調が変わる。

 軽やかだった声が、低く、深く、世界に沈む。


「どう動く、我が半身よ」


 風が止み、世界が息を詰める。

 黒の理が満ち、夜が完成する。


 霧ヶ原の空が、一瞬だけ黒く染まった。

 仁は、その理由を知らない。



 ――そして、“本当の世界崩壊”が始まる。

 

 

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